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「ゲットバック」の感想文

皆書いてる。ライターも。ミュージシャンも。ただのシロウトさんも。

わかる。見れば書きたくなるのだ。それくらい圧倒的なボリュームだった。新しい素材を使わずに50年前の素材だけを使い、新録インタビューなどを追加するなどのよくあるお茶の濁し方を一切しないある意味潔い作品でピーター・ジャクソン監督の力作であることは間違いないし、これがいわゆる真のドキュメンタリーなのかどうかという議論は置いておいて、編集と構成とそして音と画の補正は特に見事だった。見るだけでも体力を消耗したけど、もっと大変だったはずの制作側は果たしてどれくらい身を削る思いだったのか想像に難くない。

僕は中学校くらいでビートルズのファンになった。幼馴染みの岡村くんがある日、お兄さんが編集したというビートルズの音源をカセットテープにして貸してくれたのだ。いま思えばそれは多分いわゆる赤盤、青盤だと思うけど僕は心を奪われ、ずっと借りっぱなしになり最後はもうほぼ強奪するかのごとくそのテープをもらってしまったほど。テープが擦りきれるまで聞いた。

性格的には凝り性でオタクなのでどちらかというとマニアックな聴き方になったり文献とトンデモ本とか集めたりするタイプで、当時全国に何千人といたであろう素人ビートルズ愛好家のひとりとなった。高校時代や大学時代はやはりその当時の最新の音楽に惹かれ、ビートルズから離れ、あまり聞かなくなったりした時期もあったけど、社会人になってからはまたビートルズの良さに魅了され、その後はアンソロジー的なものやアニバーサリー盤のようなものの新譜が出れば必ず買うし、またマニアみたいになってきた。

その僕からするとこのゲットバックという映画は見るまでは少し怖かったのも事実。それはポールがもう何十年もずーっと怒ってるフィル・スペクターのプロデュースによるオーケストラアレンジや女声コーラスなどが入ったオリジナルアルバム「レットイットビー」で育った人間からすると、今更変に違うものが出てきて「これこそが本物」と言われてもピンとこないどころか、ジョンもジョージもなき今、死人に口なし状態で勝手に「ネイキッド」とか出しちゃうポールが歴史修正主義者のように思えて胡散臭くて仕方なかったところに、ジャクソン監督が「みな笑顔に溢れているんだよ」とか事前インタビューなどで言い出すと「おいおいこいつら本当に歴史を変えちまう気かよ」と思ってたからだ。

結論から書くと、そこまでバカみたいにハッピーな映画ではなかった。というかそこまで「レットイットビー」の印象を覆すほどでもなかったというべきか。むしろポールと他のメンバーとの口論のシーンは以前より増えていたし、やはりこのグループは終わるべくして終わったんだということを腹落ちできる映像となっていた。

ジョージが自分の曲に関心が無いポールやジョンに苛立ち、自分の大切な曲を台無しにされるぐらいならビートルズでやらなくていいと思うところや、ジョンにソロアルバムを出そうと思ってることを切り出すところや、有名なポールとの諍いのシーンなどは本当に見てて胸が痛くなる。1番年下でジョンとシンシアのデートにいつもくっついていってた少年がこのバンドと共にもっとも成長していったにもかかわらず、相変わらず子供扱いされていることは我慢できなかったのだろう。彼が「やめる」というところは悲しいし、ジョンがジョージと話した結果を受けてポールと話し合う隠し録りのシーンの生々しさにはハッとさせられる。ジョンが「俺の曲を君の好きなようにいじるのはもうやめてほしいんだ」と吐き出すように言う気持ちもよくわかるし、ポールの「じゃ俺が仕切らなかったら誰がやんだよ」という気持ちもわかる。つまりはもう彼らは20歳そこそこの若者ではないということだ。皆家族を持つ大人になってしまったのだ。

このドキュメンタリーを素晴らしいと絶賛している人は多い。僕もそこに異論はない。ビートルズ関係の映像って昔からいつも出し惜しみみたいに小出しで出てくる中でここまで大量に公開されたのはほぼ初めてだと思うのでそういう意味では画期的な試みだったと思うし、過剰にポールやリンゴの意向を聞き入れすぎずある種フェアな立場でまとめたピーター・ジャクソンの心意気は賞賛に値すると思う。1番見たかったルーフトップの長尺版はもっともスリリングだった。やはり最後はジョンの「これでオーディションに受かってればいいんだけど」でひと笑い、それで終わっていいとは思ったけどね。その後のシーンは蛇足に感じましたが・・。

それにしても。。

もしもポールがあそこまで出しゃばらず常に皆のやりたいことを引き出す役に徹していればよかったのか、映像の中のジョンもジョージもいつも今後のグループ活動について話してたように、きっと必ずしも途中の段階で脱退する気はなかったようにも思えるので、根気強くポールが己の我を押さえていればよかったのかもしれないなとか、もしもジョンが口八丁手八丁のアラン・クラインの言いなりにならず、リー・イーストマンにでも頼んでいたらどうなっていたんだろうとか、もしも一度ガス抜きのために全員ソロを一枚ずつ出してまた1年で戻ってくるというクィーンやキッスやストーンズみたいなことをしてればまだ長続きしたのかとか、いろいろ考えさせられてしまった。歴史のイフはいつだって悩ましい。

あと1つだけ言いたいこと。

マイケル・リンゼイ・ホッグについては擁護しておきたいが、映像の中で見切れている彼は、一貫して解決策やアイデアを出しながらなんとか作品として着地するように努力している姿が印象的だし、ルーフトップのクルーの組み方は当時としては先進的なマルチカム同期をしている。向かいのビルからのロング、正面からのカメラやドキュメンタリー用のハンドカメラなどその配置は的確だ。たとえ今回のこのピーター・ジャクソン版が今後のスタンダードになろうがマイケル・リンゼイ・ホッグの功績が貶されるものだとは思わない。映画「レット・イット・ビー」をあのギスギスした状況下で関係者の厳しいチェックの中、よくあそこまでまとめたなと思うもの。実質のプロデュースをしたグリン・ジョンズと共に称えておきたい。

それにしてもすごい映像だったな。しばらくはお腹いっぱいだ。

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