見出し画像

中華5Gスマホ Kirin9000sの謎

9月初旬、中国の通信機器メーカー華為技術(ファーウェイ、Huawei)の新型スマートフォン「Mate 60 Pro」に5G通信を可能にする7nmの半導体チップが使われていると報じられ各方面が騒然としました。

日本はアメリカの輸出管理規制に従い7月に中国に課している輸出管理の規制対象に新たに23品目を加えたばかりでしたが、中国がどうやってこの新世代の半導体チップを製品化することが出来たのかと憶測を呼びました。

アメリカの半導体対中輸出規制

アメリカはオバマ政権後期から対決姿勢を鮮明にしてきた中国に警戒心を抱くようになり、それまでの中国が豊かになれば民主的な国になると言う期待を前提にした融和政策から対決に転換したと言われています。

トランプ政権では中国の通信機器や高まる中国の半導体製造能力をアメリカの脅威と認定し輸出管理の厳格化を拡大していきました。

次くバイデン政権もその流れを踏襲し最先端分野の半導体製品、製造装置、素材、ソフトウェア、そして人材交流についても特定地域への制限を課し、日本やオランダといった半導体の核心技術を持つ国にも同様の措置を求めました。

この為、中国は事実上半導体の最先端分野の自国製造が極めて困難になったとみられていました。

従って今回の最先端世代に近い世代の半導体をどのように製品化したのか憶測を呼びました。

ファーウェイはどうやって7nmチップを入手したのか

当初はMate 60 Proのプロセッサは5nmとも伝えられ錯綜していましたが、どうやら7nmで確定したようです。

しかしこれまで中国ではSMICの14nmが最先端であった筈です。
可能性としては

・アメリカの制裁発動前に台湾TSMCが納品していた在庫を出してきた
・中国SMICなどが新たな製造プロセス技術を確立した

といった事が推測されました。
しかしこれまで、それらを確認できる「証拠」は出てきていません。

興味深いのは現在Mate 60 Proの実機を分解したとされる画像で確認できたチップパッケージの刻印は2020年35週製造を示唆するものしか見つかっていません。

"2035-CN"は2020年35週(8月23日-29日)中国製造か。

ファーウェイ、Huaweiが加えられたエンティティ・リスト改正は2020年8月27日付け、発効は9月という事ですから、この「2020年35週」は制裁発動前をいかにも誇示しているようにも見えます。

また、半導体チップをパッケージに封止したロット番号と思われますので通常は半導体チップそのものはそれより数ヶ月以上前には製造開始されていた、つまり生産技術を確立していた事になります。

もっとも、この刻印自体は自由に「リマーク」出来るものですから後から都合の良いように改変されている可能性も考えられます。

SoCに組み合わされているメモリはSK ハイニックスのNANDフラッシュメモリが使用されており、「韓国が輸出規制違反をしている証拠が出たぞ!」と一部界隈が色めき立ちましたが、これもメモリの製造時期を考えるとアメリカの輸出規制が強化されるより前に駆け込みで調達されていたものである可能性があるようです。

何よりSK ハイニックスにはアメリカ市場を失うリスクを冒す事にメリットがあるとは考えにくい状況です。

これらの事から当初は規制発効前にTSMCが納品した物を新チップKirin9000sとしてデビューさせたのではないかとも言われていましたが、それまでのTSMCが製造を請け負っていたKirin9000とはハイパースレッディングの数が違ったりダイサイズや実装エリアも異なると伝えられるなどTSMC製Kirin9000とは別物であると考えて良いようです。

次に考えられるのは、中国のSMICが実際に7nm世代の半導体製造能力を獲得したというもので、この場合はArF液浸のクアッドパターニングで実現したと推定されます。

というのもSMICは過去にArFのダブルパターニングで14nmのチップを製造出来たのではないかと言われていました。

SMICがハイシリコンの14nmの出荷計画を7月に急ブレーキhttps://www.sangyo-times.jp/article.aspx?ID=4359

その後もSMICは14nmの製造能力を獲得したという話は度々聞かれました。
SMIC が 14nmノードを量産、5nm と 7nm の開発についても言及

これはArF液浸露光による28nmを重ねるようにもう一度繰り返す事で14nmを実現したもので、それを発展させて更にもう一度重ねるとその半分の7nmを達成する事が出来るとされています。

実際、この手法で台湾TSMCは初期の7nmチップを製造していましたしSMICが導入していた当時の輸出管理に掛からかったASMLのArF液浸露光装置TWINSCAN NXT:1980Diでも良品の歩留まりはともかく、マルチパターニングの性能は有しています。

中国半導体「SMIC」、露光装置の調達継続にメド

しかしこの手法では一つの層に何度も処理を繰り返す事からパターンの再現性が低くなり、そうなると電気的特性が悪化してしまうので動作を安定させるためには性能を下げざるを得なくなります。

https://pc.watch.impress.co.jp/img/pcw/docs/1159/880/html/photo005_o.jpg.html

この為、高度な重ね合わせ制御が必要になる他、「感光」させるレジストの改善や結像をシャープにする光近接効果補正などを再現できるマスクパターンの設計など各工程ごとに高度な生産技術が必要とされる割には採算性は高くありません。

更に、単純に繰り返した分の工程が増える事から一枚のウェハを製造するのにかかる各コストが増大し、また製造するのに掛かる時間が増大してしまうので全体での生産性も低下します。この為ArF液浸のクアッドパターニングで製造された製品は実用的ではなく競争力も低いとされてきました。

https://image.itmedia.co.jp/ee/articles/1811/06/mm3017_181106nano6.jpg

既にTSMCやSamsung電子はEUV露光による生産に移行している事から直接的にはこれらの企業を脅かすよう程のではないと思われました。

可能性としてもっとも懸念されるのは中国がEUV露光装置を実用化できたのではないかという事で、その為ArF液浸製造を秘匿する必要が無くなったので世に出す事になったという見方もあり、この説には一定の説得力も感じます。

ただ、さすがに今回のKirin9000sチップが中国純国産EUV露光による製造であるとするのは少し技術的な飛躍が大きすぎるように思われます。

というのも研究室レベルで出来ていたとしても露光装置を工場に設置して電源を入れればすぐ製造できるといものではなく、安定した歩留まりが実現できるように調整を繰り返し、操業中も性能を維持する為に定期的な保守メンテナンスが必要になるデリケートな装置なので、これまでEUV露光で実績のない中国がいきなり量産できるものかという疑念がどこまでも付きまといます。

中国でも20年程前からEUV露光による半導体製造が研究されおり数年前には研究室レベルでの試作は出来ていたようですが、それが工場のラインに導入されているのかは分かりません。

この写真:2023年4月13日,中国科学院長春光学精密機械物理研究所でEUV露光装置の説明受ける白春礼 前科学院院長(中国共産党前中央委員)

https://x.com/TAKESHIxHATTOR1/status/1654743057861074944?s=20


同様の理由から中国が何らかの手段で輸出制限されているオランダのASML社のEUV露光装置を導入していた場合でも、同社からのメンテナンスを受けられなければ操業を続ける事は出来なくなってしまうとみられます。

リバースエンジニアリングでそっくりコピーしようにも世界中の部品サプライヤーから同等の部品を入手出来ない現状では性能は再現出来ないとみられます。

また設計図を転写したレチクル(フォトマスク)もEUVの波長の特性が異なることから従来とは全く別の物が必要になり、従来とは文字通り桁違いに高精度で平面性を実現していなければとても量産できるようなものにはならず、これも中国企業には量産化してきた実績がなく、またEUV露光ではそれ以前のレンズによる屈折縮小投影が出来ない事から反射光学が用いられますが設計もウェハ上で正しい形状で結像する事を逆算して反射を考慮し予め歪ませておく必要があり、またEUVの波長に最も感度が高く、かつシャープに結像するレジスト(感光剤)も開発する必要があるなど、多くの要素技術の開発も伴わなければ到底工場での量産を実現する事は出来ず、日米蘭それぞれの分野のトップクラス企業が協力して30年もの歳月をかけて開発を進めて来てようやく実現した程の高難度のものですから基礎研究力などで不足している分野がある中国がいくら研究を重ね、アメリカ企業などで働いていた中国人技術者らを呼び戻したところで、そうそう簡単にEUV露光での量産を実現できていると信じるに足るは充分と言える根拠がありません。


アメリカなどの研究機関が既にMate 60 Proを入手したとの事なので、チップそのものの解析の結果が判明すれば少なくともEUV露光なのかArF液浸のマルチパターニングでの製造なのかくらいは判明するとみられます。


Kirin9000sがどういった意図をもって製造された物かは分かりませんが、状況からリスクプロダクションとは考えにくく、当初からファーウェイ、Huaweiの新型スマホを念頭にデザインされたものとみられますが、スマホも早々に売り切れている事からチップの製造数はそう多くなく、また韓国製メモリなども制裁前に在庫を積み上げていた分しかないのなら、噂されている高性能版などへの展開はそれほど期待できないのではないかと思われます。

アメリカや日本では対中半導体規制が裏目になって中国の国産化を加速させてしまったとか、制裁の効果は無かったというようなネガティブな意見も散見されましたが中華圏のテック系SNSなどではファーウェイ、Huawei久々の新製品に興味を示しつつ、これが本当にアメリカの制裁を打ち破ったのか(EUV露光をモノにしたのか)、これを理由に新たな制裁が科されるのではないかというような「冷静」な見方をしている人を多く観測出来ました。

その後も吉利汽車向けのSMIC半導体チップが7nmではないかと言われており、中国が自国での7nmチップ製造能力を秘匿しておく必要がなくなり、製品を出荷する許可に至ったのかもしれませんが、いずれにしてもどういった意図で発売の判断に至ったのかを我々が知ることが出来るのは当分先の事になるでしょう。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?