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長男の不登校

 今から16年前、中間子の長男は小1の冬休み明けから学校に行かない選択をした。その前にも2回の登校渋りがあり、車で学校まで送って担任の先生が校門まで迎えに来てくれた。車から降りるのを嫌がる息子を見送った時、「なんだかな〜⁈」とモヤモヤした。

 その当時、私はカウンセリングを受けていたので息子の様子についても相談した。「問題を先送りしない方がいい」と言われ、早いうちに休むことを受け入れた。

 休むことにしてから、「どうせなら自由な時間がたっぷりあるから楽しく過ごそう!」と思い、近所の公営運動場で午前中からボール⚽️遊びに行ったりしていた。ところが、同級生の親御さんにばったり出会い「どうしたの?」と聞かれることが度々あり、息子が行きたがらなくなった。私がバカ正直に息子の前で「『行きたくないって言うから休んでいる』なんて言ったからかな?」と自分責めしたり。

 同居する義家族は学校を休むという選択を説明しても、「バカ親💢」と責められた。「子どもを学校に行かせない親がどこにいるのか💢」と。二次被害というヤツです。

投影の法則によると、

「人に責められる時は自分を責めている時。」

息子の問題は自分に責任があると自分を責めていたかもしれない。

 義家族があの手この手で息子の友達が息子に登校を促すように仕向けてくる。「朝、寄って声かけてやって〜」なんて。私はそういう友達のお母さんを遠ざけてしまった。そもそも私より義母の要望を優先するっておかしいと。人当たりがいい義母は母親でもないのに度々越権行為を繰り返していた。そのことに気づく人はいなかった。私の存在感が薄かったということでもあるけれど。(自分責め) 夫と義母がお世話になっているカウンセラーさんに会いに行ってくれたりもしたが、よくわからなかったようだ。

 友達は以前にもまして、放課後毎日、遊びに来てくれて楽しく遊んでいた。入学当初、通っていた保育園が自宅から遠かったこともあって、学年で知っている子は1人しかいなかったから友達が沢山できた。初めて授業参観に行った時、自分の席で固まっていたのに。
 不登校の前の彼は勉強もそこそこ。手先が不器用で困ることはあったけれど、心当たりがない。ただ、保育園の頃から頑張ってる感はあった。末っ子より、長男の方が登園を嫌がって保育士さんも予想外だと言っていた。
 嘔吐下痢症になった時、まだ吐き気があるのに義家族がご飯を食べさせようとするので、私が頑なに食べさせないでいたら病院で点滴を受けるはめになった。看護師さんが「この年齢でこのくらい具合が悪くて騒がない子は珍しい」と言われたことがあった。大人しいし、優しい子だった。本当は馬に乗りたくないのに言葉にはせず、はにかんでいるような子で、結局、馬🐴に乗せられちゃうみたいな。そんな息子が可愛くて可愛くて、心の中で「王子💕」と呼んでいた。溺愛していたのかな???

 不登校の本を何冊も読んだり、学校へ出向いて校長と担任に夫婦で会って話し合った。ある時、「ご夫婦仲はどうですか?」と聞かれたけれど、ほとんど夫婦喧嘩をしたことがなかったから「何を言ってるの?」って感じだった。(後に気づくのだが、喧嘩しなかったのではなく、喧嘩できなかっただけだった。)

 行かない事を受け入れたつもりの私も毎日心は揺れていた。外野の声も負担になっていたので、同居解消に踏み切った。引越し先で時には荒れる彼に「こんな僕でも愛してくれますか?」そう言われている気がした。薄々、「私が変わらなきゃいけないんだろうな〜⁇」とも思った。

 息子は毎日、ゲーム🎮ばかりして過ごしていたので、夫や末っ子と近所にザリガニ🦞捕りにでかけてマンションのベランダで飼ってみたり、それを持ってクラスメイトに見せに行ったりした。(夫は同居していた時は「◯◯家の息子さん」って感じだったが、独立してからは父親っぽかった。)友達との繋がりが切れないように。子どもが不登校なのに、ジャンケンで負けた私はPTAの委員長をやってみたり。「なんで今?」「人の世話してる場合か?」「こういう時だからこそやった方がいいのか⁈」いろいろな思いがない交ぜになりながら。

ある時、息子が生まれた日の事を回想していたら、「あの時の感動を忘れちゃいけないな」と思った。「生まれてきてくれてありがとう😊」と思ったあの日のことを。

 不登校という出来事はそれを思い出させるために起きていたのかも。


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