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くあちるの人付き合い方

 人付き合いがここ最近になって増えてきた気がする。名前は出さないけれど。

 プライベートでの話や活動の話を主にするのだが、時にオフでゲームを一緒にやったりする。それは友達なのだ。友達であり、ビジネスパートナーである。これを履き違えてはならない。

 まず思うのは、自分は何を期待、および希望して活動を始めたのかを自問するところからだ。ここがはっきりしていないと根底の部分が出来上がらない。
 くあちるの場合は、死だ。
 しかしてインターネットに爪痕を遺して死のうと覚悟を決めていたつもりがいつの間にかこんな立場になっていたのだ。
 いつだったか、NEEDY GIRL OVERDOSEの公式サイトにて、あめちゃんの言葉で「配信者にならないと生きられない」などといった旨の文を見た。
 くあちるの誕生は正にこれであり、奇跡的なタイミングでNEEDY GIRL OVERDOSEが販売開始し、それに触発された自分はゲーム内の超てんちゃんよろしく、くあちるとなり活動を始めたのだ。

 初めは孤独だった。いいや、家族、それと中退した専門学校にいる三人の友達がいた。
 ODをしてYouTubeで配信をしてみると、ほんの数人がちらほらとチャットをしてくる。単なる雑談。このスタイルは今も継続しているとも。

 自分の土俵はYouTubeおよびインターネットだ。
 ともなれば、ゲストやコラボとして色々な人との顔合わせが今後起こりうるだろう。
 そうなると友達という存在が増加することが予測される。
 人間の関係性の糸を想像してみると、それが続々と増えるのはとても億劫でしかない。何がどう絡まるのか知れたものじゃないからね。でも、それが人間だ。
 各々の矜持に従い、気楽で自由な生き方をすることこそが理想であろう。

 とどのつまり、他人は他人。自分は自分であるという精神を持つことにより身勝手になれる。
 これで良いだろう。
 我々一般市民は、あらかじめ決められた慣習のようなしきたりに縛られることもない。天皇でもあるまいし。
 故に自由である。

 自由なのだ人間は。
 それなのに恋愛がどうだと、だいたいこれで人は揉め事を起こす。
 男と女がどうだとか自分はどうでもいい。いや別にジェンダーレスというわけではなく、やる事はやるさ。だって人間なんだから。
 そうじゃなくて、本当に言いたいのは、他人事ならそれに深入りするなという教訓、あるいは自戒も込めた意味のある言葉。まるで意味がわからないと思うだろうけれど、別にそれでいい。それが正解。
 ありのままの自分がまずは正解なのである。なにも取り繕う必要はない。フラットな自分に自信が持てたなら、もうあなたは大丈夫だよ。

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