およそ一ヶ月ぶりの鬱状態で書いた文章
つい少し前まで元気だったのに。どうして突然、天災のように自分の精神が異常をきたしたのか、考えても考えても答えがどこにも見つからない。
適応障害? このタイミングで? 一体何に?
この部屋にはPCモニターが二台ある。片方に「INTERNET OVERDOSE」もう片方に「INTERNET YAMERO」、そしてイヤホンで久保田未夢の歌をずっとループしている。
とっくに向精神薬は飲んだ。両の耳から久保田未夢の愛おしく美しい歌声が絶え間なく流れ込む。ふと目線を上げれば二つの映像がループしていて、眼球と内耳に隣接している脳に電子ドラッグを直接ひたすら注ぐのだ。
昨夜書いた文章内に「複数の思考を同時に机上に並べ、その場その場の欲求で優先順位を組みかえていくのが自分のやり方」だと言った矢先にこれだ。
いま自分がやっているのはシンプルなオーバードーズと、二つの映像のループ視聴と、同じ音楽のループ再生と、狂ったこんな駄文の執筆だ。優先順位は、どれ。何が一番大事。全部大事。止めどなく溢れてくる思考を文字にしていなければ悪感情が洪水を起こす。
もうじきデパスが効いてくる頃合いだ。グレープフルーツジュースも飲んだから少しいつもと何かが変わるかもしれない? そうだったらいいな。だって、何のためにODなんてしているかって、病みからの逃避だから。現実逃避が目的だから、精神が鎮まりながらも緩やかに、病みとは別の方向に狂気が向かえば今はそれで十分。
不安だ。今にも泣いてしまいそうな気分だ。いっそ、思い切り泣いた方が良いだろうか。一旦そうしようか。
やろうとしてる事がエシディシと全く同じであることに気がついてしまった。
その前にトイレに行くことにした。
現在、この部屋のトイレは故障していて、タンクに水が溜まりきるのを見ていないと何かの拍子に水が溢れかえって部屋がプールになりかねない。
水を流して、タンクに水が注入されていくのを待つ間、ほんの少しだけ壁にもたれかかって天井を見上げた。
橙色の灯りが目に当たると、二年前に初めてプラトーシグマにバッドトリップしてしまったことを想起した。
何度も何度も自分が何かに殺され続ける幻覚と妄想の世界に囚われたあの時、一瞬だけ現実に帰ってきたタイミングがあった。それが今しがたの光景と瓜二つだったのは語るまでもない。トイレの狭く閉鎖された空間を照らす橙色の光の下で、一瞬だけ自分はプラトーシグマから抜け出したのだ。しかしそのすぐ後に再び死の幻覚は自分を襲ってきて、結局プラトーシグマから抜け出したのは次の日の昼間だった。
閑話休題。
なんだかんだしているうちに薬が効いてきたかもしれない。さっきよりかは気分がだいぶ落ち着いた。このままラリらなけらばいいのだが、オーバードーズしたのは自分の選択なのだから何が起きようと自分はそれを享受しなければならない。
自分がやりたくてやっていたことにこんな物言いはしたくなかったのだが、やはり根を詰め過ぎてしまっていたのだろうか。
しかし、やりたくてやっていたのに、それに対して適応障害を発症してしまうのは理に適っていないように思える。
ならば単純な疲労と考えるのが妥当か。思えばここ一週間、起床時にはずっと同じペース配分で物事に取り組んでいたかもしれない。
だが、それは社会人なら通常経験することだ。
ああ、やっぱり自分は社会人にはなれないのだな。今までも開き直ってたけれど、改めてそう思うことができたよ。大した皮肉だ。好きな事を好きなだけやった結果、それで精神に不調をきたすなんて、それなら自分はどうすれば良かったのだ。
ジリジリと、頸椎がゆっくりと焼けるような感覚がしている。
たぶんベッドの上にブランケットを丸めて置いて、そこに頭を斜め上を向くようにして、壁だかベッドに背をもたれるを取っているからだと思う。ただ、ついさっきより脳が妙にふわつく。薬の影響もあるのかもしれない。
現在時刻は19時20分。
こんな精神状態なのに、いいや、むしろこんな精神状態であるからこそ配信をやってみようと思って22時からその予定を立てている。
いつもよりガサツな元気を振りまく自分は今日はいない。
何をすればいいのかわからない。怖い。
ふいに目線を上げたら「INTERNET YAMERO」の方で「何が悲しいの、何が寂しいの」という歌詞が表示されていた。そんなの、こっちが知りたいくらいだというのに……。
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