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2024年1月6日 柔軟に、誠実に

年始休み明けの仕事もやり終えた週末。
年末から年始にかけて体調がわるかった。震災のニュースが連日流れ、現実逃避気味に過食くらいしかしていなかった気がする。



それに加えて2、3日前から憂鬱だった。


というのも昨日は帰省もかねて弟が結婚予定の彼女を実家につれてきた。
一昨年から付き合っていたそうなのだが、彼女さんには一度も顔を合わせていない。



そもそも会うのがイヤなのではない。

こういうときの、母親には大方予測がついていた。

よそ様に顔向けしたいと、うっすらと態度には含ませていることを感じていたために、こういうときに仲良し感を出してくるその感じは嫌悪感しかない。


出かけようと予定をいれたところで引き留められたり、
実家にいるだけで私が話のネタなり、
兄弟"比較"をされる空気がはびこったり。

こちらが寝こもうが、事情おかまいなしに、今日はお客さんだからと会ってくれと懇願されるにちがいない。

…そんな母親の態度に年々無視することさえできなくなって、なぜかその日のわたしはこれまでを吹っ切れるかのごとく、(その空気をぶち壊す試みで)とっさに拒絶し、ただ寝込むことだけに集中していたのである。


彼らがきて早々はなにもなかったのも束の間、弟らの帰り際になって、母親が部屋の戸をノックしてきた。

"これからだってなかなか会えないから…顔くらいみせてよ"と予測のとおり言い寄ってきたのだ。

いわれたとおりに彼らに挨拶すればいい、そう反芻しても、身体は拒む。

それでも「今日はどうしても体調わるいから無理」となんとか伝えた。


「会えないなら事前に最初から言ってほしい」と負け惜しみのごとく話してはきたが、一向にわたしは拒否した。


自分の意見を押し通せば私なら折れてくれるだろうと
期待しているんでしょ?


いつもこうだ。
怒りのようなもの、こころの声がフツフツと沸き、ピシャリと跳ねのけた。



母親はあきらめて"なにがしたいのもう意味わからない"と吐きすてては
私の部屋を後にした。

弟らには会わなかった。


そのあとは布団のなかで思いっきり泣いたけれど、
あとから心がホクホクとふしぎな安堵感につつまれた。


外のなにともふれることなく、自分という膜にくるれていたい、身体が、心がそう伝えているかのように。

なぜとっさに言えたのかわからない。
でもあのとき、わたしはわたしの主張をつらぬけた瞬間だった。


反抗期がなかったあの日


怒り…思えば反抗期らしいものがなかった。
親、とくに母親に対して怒ったりキレた記憶がない。


実家住みである以上、自分の発言で親を幻滅させたり傷つけたりすることは避け、言い合いも避けた。
全部飲み込むか、スルーするのかの、ゼロか百かでやってきた。

子どもの時からそのパターンを繰り返すうちに、親や他人には「この子はわたしの意志にしたがってくれる(コントロールできる)」という考えが強化されていたのだろう。

親からみれば円満な家庭でやってきている(思いたい)のだろうが、
むしろわたしがコントロール下に進んで入りこだからこそ、「円満だった」という方が正しいのかもしれない。

もちろんわたしにも一因ある。
昔から感情を話したりするのが苦手だった(場面緘黙もあったため)。つたないことばで話して途切れるくらいなら胸にしまっておいた方がいいと、やり過ごしてきた。

それでも子どもの頃からそして今もわたしの中には消え去ってくれない途方もない悲しみや虚しさが募っていた。


それを振り返ると、
親、どんなに親しき人もわたしの我慢も怒りも悲しみも
汲んでくれるわけじゃない。



自他の境界線をつくることは他人を排除することではない。
相手によっては「言わない」ことがむしろ逆効果、関係を悪化させる。



まずは自分が平静さを保つことが大切なのだ。
マインドフルネスや、グレーゾーンなど自分の性質について学んでいくうちに、すこしづつだが考え方を変えつつある。

新しいパターンを身につけていく


わたしは感情を話すことが苦手だが、今回思ったのは私が「NO」って言い慣れていないだけのような気もした。


意図的に傷つけるのは別として、

自分の都合にあわないからと「NO」と伝えてみて、相手が傷つこうともその時の受け取り方や気持ちは相手がなんとかするものなのだ

"あなたの気分はこちらは責任とれないんだわ"でいい。



自分の機嫌は自分でとれって言われてるけど、相手をスルーする権利も私たちは持っている。こういうことなんだと思う。


親(母親)との関係はどうしても感情論になることがわかっているし、できれば今後も避けていきたいところではある。

感情と理性を使い分けずに(会話として成立しない)幼いやり方しかできない親なのだと、そのパターンを分析しすこし引いた目線で、わたしは眺めている。

そこに振り回されそうになりながらも、昔よりは冷静になれている大人になった自分を今日はほこらしく思った。

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なんやかんやで新年最初の記事なりました。
2024年明けましておめでとうございます。

noteではジェンダーとか発達グレーゾーンのこと、スピリチュアルなど、反響も知りたいですし、どんな立ち位置でどんな内容を今後発信の軸にするのがいいのか、そんなことを考えながら書いてます。

今年もいいと思ってもらえる記事がひとつでもあったらうれしいです。

本年もよろしくお願いします。