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春に出せなかった手紙

長い旅路からやっと帰宅して一息ついたのでこの手紙を書いています。本当だったら昨日帰宅している予定だったのですが、大阪から岡山に向かう途中で人身事故があって、縁もゆかりもない姫路で一泊することになりました。加古川あたりで、あっ今日は家に帰れないな、と思って、小刻みに停車と発車を繰り返す列車の中で取った姫路のホテルはチェックアウトが12時で、目覚ましをかけることなくのんびり身体を休められたから結果的に良かったかもしれない。だって予定通りだったら深夜に最寄り駅に着く予定だったから(その後また原付で一時間近く夜道をぶっ飛ばして家まで行かなきゃだし)。陸路で姫路から岡山に向かうまではしばらく似たような山並みが続いていて、車窓からそれをなんとなく眺めているとその中にポツポツと紫の花が点在しており、今は藤と桐の季節だったことを想起して強い郷愁を覚えました。最近まで熱帯地域にいたから、私にとって春という季節がどういうものだったか忘れていたのです。郷愁を覚えたのは私の人生で初めてのことで、しかしここは私の生まれ育った土地ではありませんでした。(だからかもしれない)

以前友達と亀戸の藤を見に行ったことがあって、藤の甘い香りの下でお弁当を食べたり寝転んだりして楽しみました。寝転がりながら藤棚の下でお弁当のチキンをむしゃむしゃ食べていたら顔の周りに蜂がぶんぶん舞っていてかわいかった。その帰りに付近を散歩していたら、地域のお祭りに出くわしてわたあめを買いました。私はわたあめが大好き。お祭りに行ったら必ず買います。しかし最近のわたあめは大きすぎる。アニメのキャラクターが描かれた、わたあめがふたつ分入る大きなビニール袋に入れられて売られているのです。ふたつも食べられない。だから家に帰ったあと割り箸に巻きついたがちがちに硬く小さくなった飴をちょっと舐めて、申し訳なさを感じながら捨てることになる。そういえばあなたは人形焼きが好きでしたね。今度お祭りに行きましょう。あなたと浮かれたい。花火にはまだ早い季節でしょうか。

この土地には半月ほど滞在して、また引っ越しです。引っ越しの多い生活を続けていたから大切な物がどんどん少なくなって、いつでも捨てられるような物しか買わなくなってしまった。大切な物がたくさんあるというのは定住する習慣の人間の特権だと思う。でも大切な物を大切に扱うことが、ひいては自分を大切にすることに繋がるということに最近気付きました。だから次の土地で落ち着いたら、良いティーセットでも買おうと思います。あなたはもう30年も同じ土地に暮らしていますね。それってどんな気持ちなのでしょうか。今度会ったら聞かせてください。

楽しく健やかに暮らしましょう。どんなところでも。それではまた。

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