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2021/02/15

バレンタインデーに誰からもお菓子(など)を贈られなかったのは初めてかもしれない。そして複数の人間に贈らなかったのも初めてかもしれない。前に一緒に住んでいた人は印刷会社に勤めていたから、私が友達にあげるバレンタインギフトのパッケージデザインから相談して、一緒にギフトを作ったものだった。面白いやつができたんだよ。五角錐の小さな小さなお菓子箱。印刷して筋折りして組み立てて。前のルームメートがいたからこそできたことなんだけど。Google Photoでその時期の画像を検索してみたけど写真を撮っていなかった。そのときの私は「写真に撮らなくてもこのことは絶対に覚えているだろう」と思って撮らなかった。実際今でもその箱の手触り、形、大きさなどは全て思い出せる。でも撮っておけばよかったなあ。だって「前にこんなの作ったんだよ」って新しくできた友達に見せたいから。

週末、ワインの解説の本を読んで、気になったところをScrapboxにメモしていたら、一緒に住んでいる人に「勉強熱心だね、本当にワインのことが好きなんだね」と言われた。休日に何もしないのは退屈で仕方ないからやってるだけだよ、別にそんな好きってわけじゃない。と思ったけど言わなかった。とはいえ読んだ本の気になった部分を一生懸命書き写しているなんて、嫌いでないということは確かだろう。飲むのは好きなんだけどね。詳しくなりたいのかというと分からない。久しぶりに根を詰めて勉強したら疲れた。本当は毎日これくらい集中して何かを勉強できたらいいんだけど。

最近喘息になってしまって咳が止まらないので薬をもらいに行ってきた。喘息。なんか文豪の響き。それは結核か。吸い込むタイプの薬を初めて使うので、薬剤師さんから薬の使い方の詳しい説明を受けたんだけど、喘息は耽美な病気だと思い込んでいるため目をキラキラさせながら聞いてしまった。ヤベー奴だと思われたかもしれない。喘息は耽美でもなんでもなくただただ苦しいのだが、「なんか今…長編小説を書いたら売れる気がする!」という気持ちが少しある。おめでたい。そんで小説を書く気は一切ないし。そういう人が長生きするのかもしれない。そういう意味もなく楽観的な人が。

「残ってしまう」ということ。例えば市役所の前の、市長の知り合いかなんかの芸術家が造った全然素敵じゃない銅像は、撤去されない限り100年後も200年後もそこにある。誰かが残そうとしているわけではなく「残ってしまう」もの。今バズっているもの、フォロワー、再生数、ライク数、そんなものは100年後には何の価値もなくて、そんで意味不明の銅像は残ってしまっている。そういうことについて最近考えている。

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