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内藤礼「うつしあう創造」(金沢21世紀美術館)と少しだけしか滞在しなかった金沢について

※これは2020年7月上旬の記録です

「地上に存在することは、それ自体、祝福であるのか」

こんなこと堂々と言えないでしょう。だって生きていたら悲しいことが多すぎる。でもこの問いをテーマにずっと作品を制作している作家がいて、その人を内藤礼という。彼女の作品を見ているときは彼女の広げた腕にすんなり身体をゆだねられる気がする。ちょうどいい温度の湯船に浸かるみたいに。その内藤礼が金沢で展示をするというから、彼女の作品を体感したくてはるばる金沢まで赴くことにした。

私はここ数年各地を転々としていて、転々というか、転、くらいだけど、東京に戻ってきたのは一年半ぶりだった。バスタ新宿から夜行バスで金沢に行って、朝到着したら10時からみっちり展示を見て、また夜行バスで東京に帰ってくる予定。0泊3日。夜中の12時近くの便だったので、自宅で身支度を整えて、といってもこれからバスで寝るだけだから、お化粧も日焼け止めもワックスもつけない。いい香りのハンドクリームを少しだけ塗る。

新宿駅に着くと、「あ、そうだこんな感じだった」と思い出す。思い出すといってもたった一年半ぶりなんだけど。空気がぬるくていつもなに言いたいんだか全くわからんルミネの広告があって汚い恋人たち、焦点の合わない人、寝てる酔っ払い、路上でマイクを持ったまま何もせずただ突っ立ってる人、ださいグラフィティ。一年半の間に「喫煙者殲滅すべし」の空気が濃くなっている。大阪の人が「あんなもん天王洲と同じや」という新宿。天王洲ってどんなところなんだろう。天王洲にもわけわからんルミネの広告があるんだろうか。

バスタ新宿のビルに行って、線路の見える渡り廊下のようなところで熱くもなく寒くもない、かといって別段気持ちが良いわけでもない風を浴びながら、私と同じようにバスの時間が来るのを待っている人たちを眺める。もちろん待合室もあるけれど、換気のいい場所で、充分な距離を保って、うつむいてスマートフォンを見ている人が多い。こんな時期に、急病の友達がいるわけでもなく、ただ自分の快楽のために旅行をするのは気が引ける。でも例の病気の第二波が来てしまったらもっと行けなくなる。前日まで、というかバス乗り場に来てもまだ少し、ほんとに行くの?という気持ちがあった。もう何か月も外食をしていないし、友達にも会っていないし、できる限り家にいるし、コンビニやスーパーに行くのも最小限にしているし、だから礼だけは、礼の展示に行くくらいは許してください、と誰でもない誰かにお願いをしながらバスに乗り込んだ。メラトニンのサプリメントを飲んだおかげで速やかに眠りにつくことができた。

早朝5時半ごろに目覚める。身体の全ての部位が痛い。長距離バスってこんなにきつかったかな?数年前、祖母が亡くなったときに一度往復で乗ったことがあるけれど、そのときもこんなに痛かっけ。と思って当時の記録を検索してみると「自分は高校卒業したての18歳、広島から単身美容師になるために上京、という設定でバスに乗り、上京の気持ちを味わって楽しかった。身体は痛い。次は東京から地方に行って都落ち物語を楽しみたい。」ということを書いていた。変なやつ。今回は都落ち物語を楽しむ前に寝て、盛り上がる前に到着してしまいそうだ。帰りも夜行バスを予約していたけれど、こんなに身体がだるいなら新幹線で帰りたくなってきた。新幹線はいいよね。速いし。ひそかに酒盛りできるし。

無事金沢駅に到着。金沢に来たのは初めてだ。私はいつも知らない土地に来ると、ここで生まれ育っていたらどんな人生だっただろうと想像する。学生たちの姿をなんとなく目で追い、学生時代の私があの集団にいたらどんな毎日だっただろうと考える。寒い中バスを30分待ったりするのかな。それとも年の離れたお姉ちゃんが(速度計やタコメーターが丸っこい、ダイハツの軽で)迎えに来てくれるんだろうか。ときどき駅の近くのたい焼き屋でたい焼きを買ってくれたりして。私はいつもチョコだけどお姉ちゃんはいつもクリーム。テストの点が良かった日は特別にケーキをご馳走してくれる。駅ビルの、ガラス張りの、何の変哲もないバスターミナルが見えるだけの席だけど、それでもそれがすごく特別だった…というような。関西弁に近くてそれよりもちょっと優しいような方言があちらこちらから聞こえてくる。まだ少ししか滞在していないけれど、だんだんこの街が好きになってくる。

駅の近くを散歩しながら美術館へ向かう。はっきりしない天気で、雨が降るんだか降らないんだか、降っているんだかいないんだかよく分からないでいると、いつの間にか全身がしっとりしている。ここに住んでいたら肌がきれいになるだろうな。駅から美術館までは歩いて30分くらいの距離で、その距離を歩くだけでも石垣やコンクリートの隙間に苔や小さいキノコがたくさん生えているのが確認できた。雨が多いのだろう。夢中で写真を撮ったり苔の観察をしたりしていると、30分の距離が1時間くらいかかってしまった。すでに少し疲れている。身体も濡れてるし。

ゆっくり歩きながら美術館に来たが、もう少し時間をつぶす必要がある。今回の展示は予約制なので、入場時間が決まっているのだ。平日で人がまばらな美術館をゆっくり回遊する。公民館みたいに市民が予約制で使えるらしい地下の施設もちょっと覗いてみる。今日は何かのイベントみたいだ。高齢者が目立つ。ガラス張りの小さい箱のようなエレベーターがあり、見たことがない感じがして立ち止まって、エレベーターをじろじろ観察したり乗ったりしてみる。エレベーターによく垂れ下がっているヒモ(?)がなくてすっきりした印象だ。よく見るとテレスコエレベーターという記載がある。検索すると、油圧ジャッキで昇降するタイプの珍しいエレベーターだった。へえー。小さくて透明ですっきりしていてかわいいエレベーター。貴族になったら自宅に導入を検討します。

ようやく予約した時間になる。展示案内をもらって、予約時に発行されたQRコードを提示して、空間に足を踏み入れる。入るとすぐに目の前をリボンがたなびいている。ああ、礼だ。リボンによって風が可視化されていて、それが揺れるのがただ嬉しい。それを見ている、それだけのことが。屋上に立てられた棒に長いリボンがくくりつけられていて、それが中庭に垂れさがっていて、それが風で揺れている。それだけ。それだけの作品。ただそれだけで風が実在しているということを視認することができる。会社の窓からぼんやり街路樹を見ていると、右にある木から左にある木に諧調が変化するようにだんだん風が伝わっているのが可視化されていて、室内では風を肌で感じることはできないけれど、目で風が抜けていく様子を感じることができる。それだけのことなんだけど、それがとても嬉しい。そういうことを感じたり思い出したりするのが内藤礼の展示。来てよかった。最初の作品を見るなり胸がいっぱいになる。

順路の通り展示を見る。広くて天井が高くて真四角の、何もないように見える広い空間におそるおそる足を踏み入れる。なにもわからない。でも絶対になにかある。上を見たり下を見たり、右を見たり左を見たりしながら注意深く部屋を移動していると、急に「あっ」という瞬間が訪れる。透明の糸が天井から吊られていて、それを一瞬だけ目が認識する。でもすぐにそれは見えなくなってしまう。透明だから。展示案内のパンフレットを見ながら頑張って見つけようと思っても見えない。でも確かにさっき見えた。礼の展示ってそんなんばっか。だけどそれだけのことがすごく嬉しいんだよな。

次の展示室では、渦巻き型の電気コンロの上に垂らされた(こっちは透明じゃなくて白色の)糸が、熱で生まれた上昇気流でフヨフヨ揺れていて、また風が発見されている。随分前に別れた恋人と初めて一緒に住んだ家のキッチンも渦巻き型の電気コンロだった。初めてそのコンロで野菜炒めを作ったとき、あまりに火力が足りないので、いくら熱してもフライパンの中の野菜からだらだらと水が出続け、水たまりみたいな野菜炒めになってしまったんだった。だから早々に使うのをやめてイワタニのカセットコンロをその上に乗せて使っていた。引っ越すまでずっと。古くて変な家で、家というよりビルだった。電気コンロの下には、ラブホテルか旅館でしか見ないようなごくごく小さいサイズの冷蔵庫があって、分かるかな、500mlのペットボトルがぎりぎり立てられる程度の上背しかない冷蔵庫。それが備え付けてあった。私たち以外に借りているのは法人しかいなかった。私たちの家の下はハープ教室で、土日は朝から教室があったから、休日はハープの音で起きるのが習わしだった。一階は飲食店のテナントだったけれど、入れ替わりが激しくて、その家には2年しか住まなかったのにその間だけで4回くらい入れ替わったと思う。ラーメン屋とかカレー屋とか、そんなかんじの。元恋人はテナントが変わるたびに味を確認しに行っていて、いつも「普通~」という感想を述べていた。それを思い出した。

電気コンロで糸が揺れている部屋には、枠で囲われた横長のガラス板が壁にべったり貼ってあって、それが窓という題をつけられていた。窓の上枠にはクシャクシャにされた雑誌の一ページが置いてある(ように見えて天井から吊るされていて)、それらに関してはよく分からなかった。同じ部屋にコンドームみたいに薄いひょうたん型の風船が吊り下げられていて、偶然だけど風船を透かして見た向こう側に、風船の形に沿うようにちょうどすっぽり美術館の係の人が納まっていた。

次の部屋の中央には大きな机、その上には大量の小さな(10cmにも満たないような)人形が配置されていて、部屋の壁沿いにA4くらいのキャンバスがいくつも並んでいる。どこから見たらいいんだろ。とりあえず壁沿いのキャンバスから見ることにする。キャンバスに張られている布は真っ白なアクリル絵の具で塗りつぶされ、その上には薄いはかない青や黄色や赤やピンクやその他の色の点々がごくかすかに彩られている。ほかの人はどうだかわからないけれど、私は目をぎゅっとつぶったときにまぶたの裏の真っ黒な背景の上に靄のように薄いカラフルな色が目まぐるしく移動しているのが見える、それに近い絵というか、模様だと思った。

今回の展示は、日があるうちは自然光のみで作品が照らされる。私が行った日は曇っていて、時折思い出したように霧雨が降ったり止んだりしていた。そのために、曇天の真っ白な部屋の真っ白なキャンバスの薄い色は、よく目を凝らして視認しないとならなかった。私は目がいい方じゃないから、特にじっと見ていると、なんか飛蚊症や補色の残像、フラッシュの光が目に残っているだけみたいな気もしてくる。んー、なんかぼやぼやしててよくわかんない、と思っていたら、急に天井から強い光が私に向かって一直線に差し込んできて祝福かと思った(映画「ブルース・ブラザーズ」の教会のシーンみたいに)。強力な光が作品を照らして、そのおかげで私は色とりどりの点をキャンバスに認めることができた。その後も光は何度か強くなったり弱くなったりして、私の鑑賞に揺らぎを与えた。一日中雨だったり、夕方以降(夕方以降は自然光が断たれるため室内灯が点けられる)の鑑賞では得られない体験だった。

部屋の四辺に置かれているたくさんのキャンバスを一通り見終わると、私は中央の大きな机の鑑賞にかかった。木製の小さな人形がたくさん載っている大きな机。みなさんは、内藤礼の「O KU 地上はどんなところだったか」という本をお読みになったことがありますか。その本には、彼女が生まれて初めて旅行に行き、その旅行に連れて行った青い目の人形のことが書かれている。その青い目の人形に似た無数の人形が今私の目の前に置かれている。もしかして、あの人形もいるのかな。たくさんの人形たちは、「O KU…」で描かれていた青い目の人形のように、いろんな風景をいろんな場所で見てきたのかもしれない。その人形を見ながら、私は数日前に読み終わった保坂和志の「カンバセイション・ピース」の文章を思い出していた。

 伯母が一人でこの家にいたときにも、伯母がいなくなってこの家に人が誰もいなかったときにも、私がいるこの場所で同じ音が聞こえていたのだろうと思った。音は聞く人がいてもいなくてもそこの空気を振動させている。私に聞こえているいろいろな音は、私がいなくてもしていて、私だからその音が聞こえているわけではなくて、この家のこの場所だから聞こえていて、これからもここにこの家があるかぎりは今日と同じ音が聞こえ続けるということだった。
 天井の板の波のような年輪の模様とか隅にひとつだけある節目とかも、私が見ているからあるのではなくて、私がいなくてもありつづけていて、伯母も伯父も古さの違いこそあっても同じ模様を見ていたということだった。天井の模様も聞こえてくる音も私の想像の力によって作り出すことはできず、そこにあるから見えたり聞こえたりする。
保坂和志「カンバセイション・ピース」p159 河出書房新社

出会うべきものに出会うタイミングというものはあるもので、私はこの本を半年も前に友人から贈られていたのに、この展示に行く直前にやっと読み終わったのだった。内藤礼が何かのインタビューで、「何もない空間に何かがあって、それは一度として同じ様子ではなくて、それを見つけることがただうれしい。」というようなことを言っていた。そして彼女はその行為を“取り出す“と表現していた。彼女は大きなものから小さなものを取り出していたが、この小説では小さな視点から大きな視点が立ち上ってくる。この本を読んだことで、この展示の理解の取っ掛かりが増えたように感じた。

次の部屋では、高い天井から透明の四角いカードサイズのガラスが吊られていて、係の人は透明のそれを覗き込むようにと私に促した。覗き込むと、んー、よく分かんない。ガラス越しに向こうが見えるだけだけど…。よく分かんないやつもある。ガラスは保留にして、その部屋を壁沿いに眺める。何もないように見えるけど…と思って展示の案内を見ると、私の視線のあたりに何かがあるようだった。壁に目を凝らして…「あっ」と見つけたのは細い蛍光色の糸だった。その驚きのうれしさ。何の変哲もない糸が壁にゆるく張ってあって、ただそれを見つけることのうれしさ。何の変哲もない糸を、初めて出会ったもののように見るうれしさ。これだけで胸がいっぱいになる。私の視力では、壁にある蛍光色の黄色やピンクの糸がほんの少し離れただけで分からなくなってしまう。今はメガネで矯正してなんとか見えているけれど、今より視力が衰えたら鑑賞に差し支えるかもしれない。だから今日鑑賞出来てとても良かったと思った。

その部屋を出るとすぐに、極めて人工的に作られた植物の壁が目に入った。これは展示の一部ではなく美術館のしつらえだろう。その植物の壁の前に水を張られた瓶が大量に置いてある。その光の反射を見て、風による小さなさざなみを見て、また光や風を見つける。冷静になると、「なんだこれ。だから何?」と思う。でも普段なら「だから何?」と思うことを、わざわざ事前に予約までして、はるばる金沢まで来て見ているから「だから何?」と思わずに済んでいるというか、観察しようという気持ちで何かを感じているのであって、普段からこんなことを観察しようと注力していたら精神が持たないと思う。でもそれを普段からやっているのが内藤礼なのだ。

最後に入ったのは、円形の部屋だった。部屋に入る前、係の人に、指示された範囲以外には入らないようにと柔らかく言い含められる。部屋に入ると、透明なアクリルのビーズがたくさん天井から吊るされていて、大きな雨粒が制止したかのような印象を受ける。部屋には一つ縦長の窓があって、そこから部屋の外をのぞくことができる。とはいえ、進入禁止のラインが引いてあるもっとずっと奥にあるその窓に直接近寄ることはできない。大量の小さなアクリルの玉をしばらく眺めていると、一つだけ違う輝きを持った、銀の玉がある。その玉に視線をやると、その玉の奥にもまたアクリルではない銀の玉がある。そのもっと奥にも。銀の玉が点線のようにつながっていて、それ辿るように視線を動かしていると、銀の点線の終わりが窓だった。その部屋で私は、窓、光、外を「取り出す」ことができたのだった。ただのビーズが吊られているだけの部屋で。内藤礼の身長はいくつなんだろう。すべてちょうど私が見やすい高さだったから、同じくらいの身長の人なんじゃないかと想像する。

その部屋で展示は終わりだった。でも私は、もちろんもう一周するつもりで、一周目の感想を手持ちのメモ帳にゴチャゴチャ書いていた。そこへ、急に甲高い関西弁が響いたので思わず顔を上げると、ゴルフ焼けした男性とショッキングピンクのカバンを持った女性のギラギラした夫婦が大声で「ヘェーッ!」と言いながら高速で展示を見て回っていたので膝から崩れ落ちて笑ってしまった。といっても喋っているのは女性だけで、シャネルのサブバッグを持った金のスニーカーとネックチェーン(フルコンプ、すごいでしょ)の清原みたいな男性は「アー」とか「ンー」と相槌を打っているだけだった。係員にも物怖じせずぐいぐい話しかけている。さすがだなあ、あの下品さは東京でなかなか見ない。東京の下品はもっとスノッブで鼻につくんだよな。

二周目の鑑賞が終わって、出入り口付近の椅子に座って祖父のことを思い出していた。私の祖父は何度も病に臥せりながらその年齢に似合わぬ驚異的な回復力で何度も死の淵から生き返った人で、私は心の中で”カストロ議長”と呼んでいた。あるとき、認知症になって長い祖父の見舞いに行って、何の気なしに「明日美術館に行くんだ」と言ったら、祖父が「わしも行く」と答えた。祖父は美術に一度だって興味を示したことがなかったし、寝たきりで今後も回復する希望はなかった。だから私は一緒に行くことを全く想定していなくて、反射的に「また今度ねえ」と言ってしまった。それを聞いた祖父は寂しそうに「そうかあ」と答えたのだった。美術館に来るとそれを思い出す。あのときどう答えたらよかったのか。祖父は認知症だから、私とそんな受け答えをしたことなど次に会うときには忘れている。でも私はあのときどう答えたら良かったのか、祖父が死んでだいぶ経った今でもそれを考える。美術館に来るといつも。

静かな館内で祖父のことを考えていると、急に携帯電話の大きな着信音がしたので(しかも割と長い時間鳴っていた)顔を上げるとさっきの夫婦だったのでマスクの下でくすくす笑ってしまった。電話を掛けなおすでもなく、館内で普通にしゃべっている。恐れ入る。こういう人たちを迷惑に思う気持ちもあるけれど、この閉塞した空気を打ち破る希望みたいな存在であるということもまた事実だと思う。鑑賞のときにはいてほしくないけどね。

同時に開催していたde sportという展示もたっぷり時間をかけて鑑賞し、もう帰ろうかと思ったけれど、まだ時間は昼過ぎで、もうちょっとこの街でゆっくりできそうだった。デパートの菓子売り場や、いわゆる観光地の漆器屋などを回ってみる。同居人にお土産を買いたいのだけど、ペアの漆器を買うとか、そういうのもなんか変かなと思って、そんで漆器屋の主人はこっちを見ていないようでいて周辺視野でじろじろ見てくるしさあ。パクんないよ、観光客用のちゃちいお椀なんかよ、という気持ちになってすぐさま店を後にする。きっとまた買う機会はあるだろう。ちょっと気持ちに余裕がない理由は、展示のことでまだ頭がいっぱいなのだ。美術館のなかだけとはいえ相当ぐるぐる歩いているし、そういえば駅から美術館までも徒歩で来たし、少し休まなくてはならない。おなかも減っている。

金沢出身の友人に教えてもらった寿司屋に行くことにする。てくてく歩いて寿司屋に着くと、店の前に出ている黒板に、昼の営業は14時まで、その後は16時から営業、と記載がある。今は14時前だ。時間を気にしながら寿司を流し込むのは気が引けるから、16時にまた来てゆっくり食べようと思い、黒板に書いてある今日のおすすめネタをなんとなく見ていると、今まで店の前のベンチで煙草を吸っていた男性が急に私の方を見て「今からここ入るの?時間まだ大丈夫だと思うけど…おれ大将に聞いてきてあげるね!」と言って、私の返事も聞かず店に入り、15秒後には暖簾から顔を出して「大丈夫だって!」とにっこり笑った。かわいい人だ。でも私は閉店ぎりぎりの時間にお店に入ると安らげないので、「いえ大丈夫です、これから予定あるので(ないんだけど)、また夕方に来ますから」と答えてその場を後にしたのだった。

世話焼きの親戚みたいな人だ。私が時計と黒板を交互に見ていたから、声をかけずにいられなかったのだろう。いい人だけど、結婚していない部下に「おれの姪っ子ちょうどお前くらいの年なんだよ!今度紹介してやろうか?そうだ、来月会う予定あるから聞いてきてやるよ。そろそろ結婚しといた方がいいぞ~」とか言いそうだよな〜相手の事情も汲まず…と勝手に想像して印象が悪くなる。いや、すごくいい人だったんだけど。

お寿司まで二時間あるので、もう少し市内をぶらぶらしていると、歯ブラシ屋さんがあった。歯ブラシ屋さん?持ち手のところのデザインが凝っている歯ブラシが100種類くらい並べられているお店だった。暇だし、私は歯ブラシが好きなので(私は4種類くらいの歯ブラシをその日の気分によって使い分けたいタイプなのだ。電動のとか、硬めのとか、山切りカットのとか、極細毛のとか、いろいろ)店に入り、ものすごくほしい柄があるわけではないけれど、狭いお店に私一人だし、店員さんはにこにこしてこちらを見ているし、歯ブラシは好きだし、金沢のお土産をまだ何も買っていないし、一本くらい、と思って、これくださいと指をさすと、店員さんが「あっそれは…」と言って口ごもる。「あのう…実はさっき…歯ブラシを大量に買い占めていかれたお客様がいて…その柄はもう…ないんです」とのこと。「歯ブラシを買い占めていかれた」なんて言葉を初めて聞いたよ。だいたい歯ブラシなんてそう飛ぶように売れるもんじゃないだろうから、店員さんもしゃべりながら混乱している様子だ。「えーそうですかじゃあこれは」「あ、それも…」「んーじゃあこちらは」「それも…あっそれはあったかな、あっやっぱりない、えっとバックヤード見てきます!」というやり取りがあって、別に私はもう歯ブラシなんていらないよという気分になっているのだが、店員さんが私のために店中をひっくり返して探してくれるので、やっぱいいですとは言いにくく、バックヤードからとぼとぼ帰ってきた店員さんの顔は相変わらず悲しそうで、仕方なく別の柄を指さすもそれも欠品、じゃあどれならありますか、と聞いたらそれはもう東京にいても金沢にいても絶対に買わないような柄を店員さんが上目遣いで手渡そうとしてきたのでそれは断った。いらないから。なんで私たち歯ブラシでこんなに悲しい思いをしているんだろうね。店員さんはずっと絵文字の「ごめんね」みたいな顔をしていた。すみませんねお騒がせして。

歯ブラシが買えなかったので、結局駅のデパートを回遊していくつかのお土産を手に入れ、今夜乗る予定だった深夜バスの予約をキャンセルし、新幹線のチケットを取る。そうするとちょうどよい時間になったので例の寿司屋に戻る。寿司屋に入ると大将に「さっき一回うちに来ました?」と聞かれる。あいつの仕業だ。「はい、14時近かったので一度用事を済ませてから来たんです」と答えると、大将が「いやさっき常連さんがね、あとから若い女の子が来るって言ってたからよろしく!って言ってたもんで」という。よろしくってなんだ。にやにやしてしまう。折詰を作ってもらって、新幹線で楽しむことにする。ビールも買っちゃお。

新幹線のなかで小さな宴会。美術館に行って、二つも展示を見て、そのあと新幹線でビールとお寿司なんて、昔の人が聞いたらどんな華族様だって思うだろう。でも薄給のつまんない事務員でもこういうことができるのだ。たった2日で何百キロも行ったり来たりできるなんて。もちろん毎週こんなことはできないけれど、ときどき1人で好きな作家の展示に行って、知らない街を歩いたり、写真を撮ったり、昔のことを思い出したり、その街で暮らす想像をするということが、私にとってどれだけ大事なことだったかを思い出した。

当たり前だけど、帰宅したらすぐに日常に戻る。でも、例えばお弁当屋さんにご飯を買いに行くとき、新しく読み始めた小説のいちシーンを思い浮かべているとき、バスの車窓から見える景色をぼんやり眺めているとき、別にいちいち礼のことを思い出したりしないけど、展示を見たあとの自分が体験しているということがわかる。はっきりと知覚していなくても。

いつか遠い未来に「あのとき金沢に行って楽しかったな」ときっと思い出す。そういう旅だった。そして内藤礼はいつもどこかで「おいで」と手を広げているような気がする。

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