2021/05/11
バスに乗ると老人の匂いがする。今日は昼休みに空いている公園を求めて30分くらい歩いたが、ベンチは全て埋まっていた。今とてもお腹が空いている。18時30分。バスの中でこれを書いている。トイレットペーパーを買って帰らなければいけない。今日はピアスじゃなくて耳に挟むタイプのアクセサリーをつけていたけど、マスクの紐に引っかかって2回くらい床に落とした。指輪をつけるのが好きだったけど、指輪と皮膚の間がうまく洗えないのではないかという思いがあり最近指輪をつけていない。一日に何回も消毒するから手がボロボロになって血が出ていて逆に感染リスク高まってるんじゃ?と思う。今月からフル出社に切り替わって、今まではリモートワークだったんだけど。私が働いているビルでは何人も陽性者が出ているのにも関わらず、毎日出社して対面で打ち合わせをしていろんな人がベタベタ触ったエレベーターのボタンやドアノブを一日に何度も触る。休憩室はお昼になるとパンパンで意味がわからない。感染症のない世界線?結構文句言ってるんだけど。多分同じフロアに感染者が出てもあまり変わらないと思う。人ってそうだから。最近国民性なんてないんじゃないかと考えている。人間はどの国に住んでいる人でも大体同じようなもので、例えば気候が良くて何もしなくても果物や野菜がたくさんとれて、たくさん働かなくても暮らせるような場所の人と、寒すぎてちょっと外に出るだけで死ぬという環境の人、いつも周りで戦争しているとか、そういうことが影響を持っていて、人間一人一人の性能に差があるなんてことはないと思う。農耕民族と狩猟民族で身体の作りが違うでしょって言っても、それも環境なのだし。それで国なんていまだに線引きが曖昧で、最近できた国だって滅んだ国だってあるし、国民性なんていうのは安易な言葉だと思う。その環境の違いを国民性というならそうだけど。や、もちろん国民性という言葉が何を指しているかは理解しています。だけど、人間っていうのは本当にしょうもないものだから。国が違ってどうこうみたいなのはあまり私には響かない。
記事一覧を見てもらえれば分かると思うんだけど、たまに週一くらいでnoteに日記を書こうと思い立つことがあって、その後はしばらく続けたのち忘れたり飽きたりしてフェードアウトしている。今回は再び日記を書く欲求が出てきたので、またしばらくやりたいと思います。
夕飯は牛肉と小松菜と白菜の炒め物と味噌汁
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