「昭和史サイエンス」(8)

「非人間化」という認知のゆがみ

 何かを認識・理解する心の働きを、その結果やメカニズムも含めて、心理学関連の分野では「認知」と呼ばれています。思考形成に感情が大きく関与することは先に述べましたが、その点は、認知も同様です。感情、とりわけ強い憎悪が関係すると、認知は大きくゆがんでしまいます。その代表例が「非人間化」と呼ばれる現象であって、相手の人を人間とみなさなくなってしまいます。
 唐沢かおり・東京大学教授の『なぜ心を読みすぎるのか』(東京大学出版会)から引用します。

 このようなアプローチは、対人認知と道徳的行為との関係を論じる道も拓く。モノ化や動物化は、まとめて「非人間化(dehumanization)と呼ばれており、他者への加害行為の認知的な基盤として議論されてきた。とりわけ、他集団に対する加害とその集団の非人間化という問題を対象として、人間性とそれに関わる心の知覚という観点からの研究が盛んに行われている。
 これらの研究の基本的な主張は、「非人間化」により加害が可能になるということだ。非人間化という過程の本質が、「人として備えるべき心の機能を欠く存在」としての対人認知にあり、そのような対人認知が加害を正当化する、ということである。他者を人間とみなし、尊重すべき存在として認識しているとき、その他者を傷つけることは、私たちにとって実はたやすいことではない。

 非人間化という認知のゆがみを発見したのは、カナダ出身でアメリカ心理学会会長を務めたこともあるアルバート・バンデューラです。令和2年7月28日付の毎日新聞に、大治【おおじ】朋子・専門委員が執筆した記事「歪んだ正義と非人間化」が掲載されています。新型コロナウィルス禍に現れた「自粛警察」などにも触れていますが、重要な個所を選択して引用します。

 人間の攻撃性を目の当たりにすることが少なくない。(中略)
 一見無関係のように見えるが、いずれの事件の当事者も「自分は絶対に正しい」という思い込みからくる、歪【ゆが】んだ「正義」が見て取れる。人間の凶暴性はここから立ち上がり牙をむく。
 私たちは誰もが攻撃性を内在させている。しかしそれをエスカレートさせるのは心理的なハードルが高い。道徳上の抵抗感もあるし、同じ人間としての共感もある。
 だがこのハードルを見えなくする特殊なメガネがあるとしたら? 
 米心理学会元会長の心理学者、アルバート・バンデユーラらは1975年、人間が攻撃を過激化させる過程においては「非人間化」と呼ばれる認知の歪みが生じ、これが攻撃を正当化させ抵抗感を拭うと指摘した。     
 もともと相手との間に人種や性別、年齢や立場に違いがあると共感が働きにくい。しかも誰かを攻撃したいという欲求を一時的にあるいは常時抱えている人は認知の歪みが極化しやすい。相手は自分(人間)よりも劣った愚鈍なモノなので、激しい言葉や暴力でしつけ、懲罰を与えなければこちらの意図(正義)は伝わらないと考える。

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