技術は目的じゃなくて手段だよ論

そもそも、手段と目的とは何なのかという話があるのですよ。目的とはなんなのか。

人生における最終的な目的とは何なのか。哲学的になりますが、あんまり本論ではないので、一旦ここでは「幸福を感じる」ことだとしましょう。幸福を感じるのが目的で、そのためにいろいろな活動をしていると。そう考えると全ての活動は手段でしかありません。

ところが、まあそう言ったところで、全ての行動をするときに常に「これは幸福を感じられるための手段になっているか?」と考えるのは大変です。

なので、最終目的である「幸福を感じられる」に、直結する手段と考えられるものについては、「目的」としても良いことにしましょう。美味しいパフェを食べる。好きな音楽を聴く。これらは人生における目的(の一つ)だと言われても特に違和感はないでしょう。

こういう風に、目的が遠いときに、複数の目的に分割してそれらを達成することで最終的な目的にたどり着くような手法を、分割統治法といいます。

別の言い方を考えると、「目的」は、それを達成することが本当に意味があるのかかどうかを、(少なくともしばらくの間)忘れてよいようなものだと考えられます。

逆に、ある目的Xを達成するために、Aを実行するけれども、Aをやることで目的が達成されるかが不明確だったり、あるいは違う方法Bでも目的を達成できるかもしれないので、思考停止してAをやっていいとは限らない状況があります。このときAは目的ではなく手段になります。

さて、仕事上で、問題Xがあるとします。これは技術Aで解決できそうです。このとき、問題Xを解くのは目的でしょうか、手段でしょうか? 技術Aを使うのは目的ですか、手段ですか?

普通に考えたら、問題Xが目的で、技術Aは手段となりそうです。しかし果たしてそうなのでしょうか。

ある人にとっては、真の目的は会社の成功であり、問題Xを解くことは目的ではなく、会社におけるもっと高次の課題を解決するための手段かもしれません。ある人にとっては、真の目的はお金を得ることであり、問題Xを解くのは雇われ続けるための手段かもしれません。

またある人にとっては、技術Aを使うことこそが人生の幸福に繋がるのかもしれません。あるいは、ある人は人生の幸福のために技術キャリア形成が大事と考えており、技術Aを極めることはキャリアに直結することから、技術Aを実質目的として扱っているかもしれません。

なので、技術を手段にするか目的にするかは自由だし、強制されるようなものじゃないとは思うんですよね。なので、技術は手段だとか言うときは必ず「自分はそう捉えている」という言い方をしてほしいです。他人に押し付けるなと。

ただ、会社に属しているときは、その会社の目的と自分の目的をすり合わせられるのがハッピーです。技術を目的にしたい人は、そうしても成果に問題ないような組織に属するようにすると楽でしょうね。

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