石花久作

静岡県静岡市の中山間地(通称:オクシズ)エリアを中心にロックバランシングをしております…

石花久作

静岡県静岡市の中山間地(通称:オクシズ)エリアを中心にロックバランシングをしております。ロックバランシングの愛好団体「石花会」の石花師です。

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自己肯定感を積み上げる確実なこと

自己肯定感が低くて辛い人。どうやったら高められるか悩んでいませんか。 成功体験がなく自信がないので新しいことにチャレンジできない、だからいつまでも成功体験を得られず、自己肯定感は低いままなんてことはあります。無理して他人に誇れる大きな成功体験を得ようとすると失敗した時のリスクもダメージも大きくなり、ますます手が出しにくくなります。 だったら、失敗してもダメージはほぼ無く、小さな成功体験を積み上げられることをやりましょう。それでいて一般の人ができないことができるようになる体

    • リスクが無くてリターンが大きい?

      あやしい投資商品のおすすめではありません。まあ、ちょっと読んでみてください。 一般に、リスクの大きさとリターンの大きさは比例します。ローリスクなことをしていたらローリターンで、高いリターンを望むなら高いリスクを覚悟しなければ手にできません。これはほぼ法則と言ってよいです。ローリスクなことしかせずにリターンの少なさをぼやき、ハイリスクなことに挑戦して大きなリターンを得た人を妬んでいる大人を見ると、リスクとリターンの関係は義務教育でしっかり教えるべきだと思っています。 ところ

      • ロックバランシングと書道の共通点

        ロックバランシングは書道と似ている点があります。 字が多ければ多いほど優れた書道作品になるわけではないように、石を沢山積めばいい作品になるわけではないのです。 また、双方とも一つの作品制作に時間を沢山かければいいってものでもありません。短い時間に仕上げるからこそ良い作品になる場合もあるのです。 基本的技術の熟練度が大事なのも同様。筆はこびの精緻な基本動作を身につけていないと優れた書道作品は作れないでしょう。ロックバランシングで言えば石を立てる技術。その技術が確かであればある

        • 百見は一動にしかず

          SNSでロックバランシング作品を見た人から、どうやってこれを作るのですか?と問いかけられることがあります。しかし、それを文章では答えられません。 例えば、石の形状を文章で表現する労力を想像してみてください。整った形の石ならまだしも、唯一固有の形の石を説明するとなるとそれだけでかなりの長文になりそうです。さらに手に伝わってくる感触を文章にする労力となると、とてつもなく大きいです。仮にそれらを表現できたとしても、読み手が精緻に理解・実感できるとは思えない。 ロックバランシング

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        記事

          ロックバランシングに批判的な人々

          7月21日にインスタグラムに投稿した私のリール動画が少々バズり、閲覧数86万超、いいね数10万超(8月11日現在)となりました。 おそらく海外の著名なインフルエンサーのような人が紹介してくれたのではないでしょうか。石を積んだだけの投稿がアイドルの投稿並みに注目されるというめずらしいことが起きたのです。 もともと私のインスタグラムフォロワーは6-7割方外国人で、ロックバランシングになにがしかの興味がある人がほとんどです。そういうフォロワーの方々はいつも通りの反応をしてくれた

          ロックバランシングに批判的な人々

          石を見て人を見る

          石積みをしているせいで、普段沢山の石ころを眺めている。 こんなに沢山あるのに同じものは一つもない。 人間と同じ。 一目で独特で目立つ形状の石もあれば、これといった特徴を表現しにくい一見凡庸な石もある。 目立つ形状の石は少なく、凡庸に見える石は沢山ある。 人間と同じ。 目立つ石も寝かせていたら個性が活かせない。目立つ個性を活かすためにはその石を立たせないとならない。 ただし、立たせるのは周囲の協力と工夫がいる。 人間と同じ。 特異性がある石を立たせるためにはその下の土台と

          石を見て人を見る

          セーフティネットとしてのロックバランシング

          ロックバランシングはメンタル面のセルフセーフティネットになります。 パンデミック下で身に染みたと思いますが、大災害や大事故などが起きると、自分の心を癒すものとのふれあいができなくなる場合があります。 映画や演劇、遊園地、レジャー施設など、誰かが制作・運営している娯楽コンテンツや、アイドルとか有名人のいわゆる「推し」は、自分以外の何ものかが主体となっていて、その何ものかが動けなくなった段階で供給が停止されます。 普段そうしたものだけを自分の心の拠り所にしていると、有事に一発で詰

          セーフティネットとしてのロックバランシング

          自立と自律

          ロックバランシングは言わば「石を自立させる行為」です。支えなしに立っている石の姿はすがすがしい。それは、誰にも寄りかからず自立した人間の姿を重ね合わせて見るからかもしれません。 尖った石のように、自立させるのがとても難しい石があります。とても難しいゆえに自立させることができた時、とてもうれしくなる。自立している時間はとても短いけれども、自立なんてできっこないと思われたものが確かに自立したことで、その時間だけでもその石は光り輝きます。光り輝かせることができた自分に対する達成感

          自立と自律

          ロックバランシングをきっちり教えます

          静岡県の体験プログラムを提供している「MANAVIVA!」にて、ロックバランシングの体験講座を設けてもらいました。 場所は静岡市の中山間地、通称オクシズの安倍川上流です。オクシズには梅ヶ島温泉などの観光地もあり、釣りや登山に訪れる方も多くいます。その中でのマイクロツーリズムとして楽しむことができます。土日・祝日を中心におおむね1か月に2回程度、講座を設けます。 安倍川は全国屈指の急流で、石たちが激しくぶつかり合うことで、石の形のバリエーションが豊富で、ロックバランシングを体験

          ロックバランシングをきっちり教えます

          道具を一切使わないということ

          ロックバランシングを説明する時、「道具も接着剤も使わず、人間の素手だけで石を積み上げる」と言います。この行為の厳密さについて考えてみました。 例えば、室内で積む「宅積み」。制作に取り掛かれば使うのは素手だけですが、よく考えると、その前に素材となる石を自動車という道具で運んでいるということに気づきます。 ロックバランシングであることには間違いありませんが、厳密には道具を一切使ってないとは言い切れないわけです。 河原とか浜辺でも、例えば石を運ぶために袋やバケツ、リュックなどを使

          道具を一切使わないということ

          上には上があるという幸せ

          ロックバランシングによって気づかされた教訓的なことはたくさんあります。 そのうちの一つが「上には上が『いる』と考えるより、上には上が『ある』と考えた方が良い」ということです。 ロックバランシングにおいては、その時どんなにすごい作品を作れたとしても、例えばそこにあと一つ石を加えるとか、石を差し替えるとかを考えると、完成したばかりの作品の何倍も難しく、すごい作品が想像できます。 そういう体感から、ロックバランシングに限らず、自分の向上を考える時、どこかの誰かを意識するのではなく

          上には上があるという幸せ

          アーチのこと

          ロックバランシングを初めてからしばらくの期間はアーチ状の作品は作りませんでした。それまで海外の人が作ったアーチ形式の作品は目にしていましたが、風にびくともしない頑丈に見えるものばかりで、アーチ形状は自分が考えるデリケートなバランスで儚い存在のロックバランシングとは筋が違うように思っていたからです。 その後、いろいろ作っているうちに、積み上げるバランス以外に、寄りかからせるのにもバランスが必要な儚い形状があることが分かってきて、となると石と石が言わば寄りかかりあっているアーチ

          アーチのこと

          風景に寄せる石積み

          私がいつも石を積んでいるのは静岡市を流れる安倍川です。安倍川は日本屈指の急流で、上流はV字型の渓谷となっています。 作品と作品をできるだけ近づけて積む「寄せ積み」のシルエットを眺めている時、「このV字と寄せるようなイメージの作品が作れるかも」と思いつきました。 V字と合う三角形の石が見つかった時にやってみようと考えたのが今回写真にあげた作品です。 普段はあらかじめ何も考えず、だいたいその場の思いつきで積んでいますが、今回は下部については最初からこうしようと考えて積みました。

          風景に寄せる石積み

          刹那を楽しむ

          石は地球上のどこにでもあるものですが、その石が自分の目の前に現れるまで、何千年、何万年という時が経過しています。その長い年月を経て、たまたま今、その形になって自分の前に現れているわけです。 自然石はどれも個々に形が違いますが、川の上流では「いったいどういう経路をたどってこの形になったんだろう?」と思わずにいられない不思議な形をした石が現れることがあります。 実際その石がそれまでどのような経路を辿ったのかはわかりませんが、間違いなく言えるのは、この後、下流に流されていく過程で石

          刹那を楽しむ

          石とお話しするということ

          ロックバランシングをしているとき、「今、石とお話ししているんですよ」と説明することがあります。会話と言いつつ音は無いので、冗談のように受け止められることは多いのですが、これってかなり本気で言っています。実際、石と会話しているつもりで石とふれあっています。 実は、世間には音が無い状態でも可能な会話は他にあります。例えば、手話は音が無い状態で会話していますよね。 手話のコミュニケーションをかみ砕いて表現すると、「身振り手振り」を「言語」として視覚を使って会話しているということに

          石とお話しするということ

          自然の中の不自然な自然

          私はロックバランシングのことを、「自然の中の不自然な自然」と表現することがあります。 それってどういうことかというと、例えば、浜辺とか河原とか自然の風景の中に、自然からは自然に生まれ出てこない不自然な造形を作り出す。それは奇妙で不自然な形をしているけれども、その自然の中にあるものを組み替えているだけ。だから自然にダメージを与えることもなく、自然と調和している。そして、儚く脆いそれが存在する刹那は、その自然の中に人間が存在することを主張している。 これって、自然と人間のかかわり

          自然の中の不自然な自然