見出し画像

「平成美術:うたかたと瓦礫(デブリ) 1989-2019」展レポート

2021年1月23日から4月11日まで、京都市京セラ美術館の新館「東山キューブ」で、美術評論家の椹木野衣が企画・監修した展覧会「平成美術:うたかたと瓦礫(デブリ)1989-2019」が開催されている。

筆者は現地へ取材へ行くとともに、後日、椹木野衣へインタビューを行った。本稿はそのレポートである。

はじめに

本展は西暦を10年ごとの年代で区切らず、元号で区切ることによって平成の30年間の美術家たちの集合的な活動のあり方を捉えようという試みである。タイトルにある「うたかたと瓦礫」は平成の象徴的な出来事、バブル経済(恐慌/泡)と、デブリ(震災/瓦礫)の2つのキーワードを念頭に、鴨長明『方丈記』と磯崎新『瓦礫(デブリ)の未来』に倣って名付けられた。

本展は平成年間(1989~2019)に活動してきた14組のアーティスト・グループによる作品と1組の資料、そして松本弦人がデザインする16メートルにおよぶ巨大な年表によって構成されている。会場は大きく「1989-2001 ベルリンの壁崩壊/湾岸戦争/バブル経済崩壊/阪神淡路大震災/地下鉄サリン事件」、「2001-2011 アメリカ同時多発テロ事件/イラク戦争/新型肺炎SARS/リーマンショック」、「2011-2019 東日本大震災/福島第一原発事故/拡大するテロリズム/多発する自然災害」という歴史的な出来事をポイントとした3つの時代に区分されているが、鑑賞する際の通路は一方通行ではなく、作品は会場全体に遍在するように展示してあるため、自由に行き来できる構成となっている。出展作品は平面、彫刻、巨大インスタレーション、映像、ドキュメンタリー資料、イベント記録など形態も幅広い。

会場と本展の関係について椹木は「本展のため久しぶりにまとまって京都を訪れ、京都市京セラ美術館の成り立ちを知る中で、様々な関係性に気づいた。この美術館は現存する公立美術館ではもっとも古い建物で、昭和天皇の即位の大礼を記念してできた。つまり改元、即位、天皇の在位期間と切り離せない関係にあり、昭和が終わり平成へ改元がなされ、その平成も終わり令和へ改元されるまでの30年の『平成美術』をこの館で企画し展示するというのは相応の意味があるのではないか。」と話す。

画像1

平成美術展ライトボックス(松本弦人デザイン)

「東山キューブ」へ足を踏み入れ最初に目の前に現れるのは、巨大なライトボックスに印刷された松本弦人による本展グラフィックデザインだ。最上部に大きく「平成美術」と書かれているが、椹木は「当初の展覧会名は『平成の美術』でしたが、デザイナーの松本弦人さんが手がけたチラシに仮で書かれていたのが、本展のタイトル『平成美術』の文字。それをきっかけに『平成美術』という固有名詞が浮かび、概念として『平成の美術史』と棲み分けたことが、ある時代の美術史を語るのではなく、一時代を糧にもうひとつの美術の見方を取り出そうとした今回の試みの軸になりました。」と語っている。[1]

写真中央に見えるのは出口で、外廊下を奥に進んで左に曲がり、突き当たりが会場入口となる。廊下にもDIVINA COMMEDIA、contact Gonzo、IDEAL COPY、クシノテラス(屋外)の作品が展示されている。

DIVINA COMMEDIA

画像2

the council of divina commedia (towata+matsumoto) 《DIVINA COMMEDIA》1991

本展で鑑賞者が最初に目にするのがこの作品だ。DIVINA COMMEDIAとはダンテの長編叙事詩『神曲』の原題。「地獄」「煉獄」「天国」という3つの「死の過程」を鑑賞者に疑似体験させるための装置が稼働する光景が映し出された8分間の記録映像である。
ここでは会場内のスペースで上映されているものと同じ映像がループ再生されている。中で見る場合、巨大モニターによる激しい明滅、大音量での映像再生となるので、音や光に過敏な方は廊下での鑑賞をおすすめする。

contact Gonzo

この作品は彼らがcontact Gonzoと名付けるパフォーマンスの始まりとなった記録映像である。「泉北アートプロジェクト」(2004~2005)で撮影され、今回のために新たな編集を経て初公開となる。

画像3

contact Gonzo《公園》2005

IDEAL COPY

IDEAL COPYは1988年から30年以上にわたり国内外で活動するグループ。メンバーは匿名で流動的。《Channel: Peace Cards》はトランプをモチーフとしている。通常トランプはスペード、ハート、ダイヤ、クラブの4つの記号に割り振られ、それぞれ13枚ずつ、合計52枚で1セットであるが、《Channel: Peace Cards》は同一の記号、数字を52枚で1セットとしている。2月6日~28日までhaku kyotoで音の著作権をテーマとした《Channel: Copyleft》の展覧会も開催されていた。

画像4

IDEAL COPY《Channel: Peace Cards》1990/2020

画像5

IDEAL COPY《Channel: Peace Cards》1990/2020 部分

画像6

IDEAL COPY《Channel: Peace Cards》1990/2020 部分

クシノテラス

画像7

上林比東三(クシノテラス)《未知の生物》2017〜

クシノテラスは櫛野展正が2016年に広島県福山市に設立したアウトサイダーアートを専門に扱うスペースだ。ギャラリーでの展覧会や、オフィスでのトークイベントを行い、未だ世の中から正当な評価を受けていない表現を紹介する。異星人や恐竜の様にも見える《未知の生物》は、上林が制作した空想上の生き物。流木の形状をうまく利用して、角や手足を表現している。
外廊下からガラス越しに見る《未知の生物》のさらに奥には京都市動物園が見える。

画像8

上林比東三(クシノテラス)《未知の生物》2017〜 より

平成の壁

エントランスには「平成美術:うたかたと瓦礫(デブリ)1989-2019」と掲げられた白い壁面に本展覧会の説明が書かれている。左壁面には巨大な年表が文字通り壁のように会場奥までそびえ立つ。新聞や災害年報、消防庁や気象庁のウェブサイトを参照し様々な災害、そして本展覧会出品作家の情報や、美術界で起こった出来事が事細かく記されている。これら手書きの年表に加え、映像や資料、作品などが大量に貼り付けられている。「内覧会当日まで作り続けていた」という大作だ。

画像9

平成の壁「平成美術:うたかたと瓦礫(デブリ)1989-2019」展示風景より

画像10

平成の壁「平成美術:うたかたと瓦礫(デブリ)1989-2019」展示風景より

画像11

平成の壁「平成美術:うたかたと瓦礫(デブリ)1989-2019」展示風景より

GEISAI

平成の壁の向かいには、村上隆率いるカイカイキキ主催の大規模プロジェクトであるGEISAIの記録写真がスライド上映されている。芸術道場GP(右)は東京都現代美術館での「村上隆展 召喚するかドアを開けるか回復するか全滅するか」付属イベントとしてエントランスロビーで開催された。企業やギャラリーによるスカウト審査もあり、その後の雛形となった。中央にはミニバブルの時勢も得て東京ビッグサイト西1・西2ホールを会場とし、来場者12,000人を記録した2008年のGEISAI#11、そしてリーマン・ショックの余波を受け規模を縮小して埼玉のカイカイキキ三芳工場で行われた2009年秋のGEISAI#13(左)という、それぞれがGEISAIを象徴する回だ。GEISAIの出展アーティストはのべ18,000人以上とされ、台北、マイアミや日本国内各地で合計28回開催された。

画像12

(右から)《芸術道場GP 2001 スライドショー》(2020)、《GEISAI#11 2008 スライドショー》(2020)、《GEISAI#13 2009 スライドショー》(2020) すべてGEISAI実行委員会蔵

画像13

「平成美術:うたかたと瓦礫(デブリ)1989-2019」展示風景

Complesso Plastico

平野治朗と松蔭浩之により1987年に結成され、1995年には解散したComplesso Plastico。1990年にはベネチア・ビエンナーレに世界最年少で選出され、以降国内外で活動した。当時の作品を残していない彼らは、今回の為に初期の代表作である《Love and Gold》や《Everybody knows NEW LIFE》などの要素を組み合わせた作品を会場に合わせた形で再制作した。

画像14

Complesso Plastico《C+P 2020》2020

画像15

Complesso Plastico《C+P 2020》2020 作家蔵

IDEAL COPY

2021年2月13日(土)、3月13日(土)、4月10日(土)の3日間、IDEAL COPYによって開設される《Channel: Exchange》では、個人が所有する外国硬貨とIDEAL COPYコインを交換することのできるイベントが行われる。IDEAL COPYコインへの両替は、為替レートではなく重量を元に計算される。交換できるのは硬貨のみ。そしてここでIDEAL COPYコインから他の硬貨に両替することは出来ない。交換レートは、外国硬貨1グラム=1ICである。コインは1IC、10IC、100ICの三種類がある。交換された外国硬貨はオブジェとして会場に展示され、地球上のすべての外国硬貨が交換されるまで継続される。

画像16

IDEAL COPY《Channel: Exchange》1993~ 作家蔵

画像17

IDEAL COPY《Channel: Exchange》1993~ 部分

画像18

IDEAL COPY《Channel: Exchange》1993~ 部分

テクノクラート

テクノクラートは飴屋法水、石川成俊、中山大輔の3名により1990年に結成された。1990年から2003年に発表されたプロジェクト、パフォーマンス、資料から構成された《Dutch Lives》(2020)は、テクノクラート初個展で発表された《WAR BAR》(1990)やICCで1991年に開催された「電話網の中の見えないミュージアム」ヴォイス&サウンド・チャンネル内「ヴォイス&サウンド・コレクション」参加作品など、数多くの記録映像や音声データ、作品パーツを再構成した展示だ。左壁面には《公衆精子計画》のパネルと精子凍結保存のためのタンク、向かいには《動物堂》の検疫申請などの資料、メキシコでのパフォーマンス、展示《丸いジャングル》のポラロイド写真などが展示されている。

画像19

テクノクラート「平成美術:うたかたと瓦礫(デブリ)1989-2019」展示風景より

DIVINA COMMEDIA

冒頭で紹介した廊下のディスプレイと同作品を、15分ごとの入れ替え制で小劇場のようなスペースで、より激しい光の明滅と大音量のサウンドで体験できるthe council of divina commedia (towata+matsumoto) 《DIVINA COMMEDIA》(1991)。1991年に行われたこのプロジェクトの開催期間は6日間、体験者は250人だった。防塵服を着た鑑賞者は、10トンのゼリーに体をあずけ、ストロボ24本、ブラックライト54本の光と、藤本由紀夫も制作に参加した電子音響の中で「死への過程」を疑似体験する。椹木によれば「幻と化していたDIVINA COMMEDIAを2021年の美術館に着地させるためには砥綿正之、松本泰章との綿密な意見交換が必要だったが、その直前に砥綿が病に倒れ亡くなってしまった。痛恨の出来事だった。残された松本との初期のやりとりでは実際にゼリーを入れるというアイディアも出ていたが、現実的に無理があることがわかり、残された資料を探す段階から始まった。徐々に関係者からの資料が集まってきて、それをどのように展示していくのかという流れで進めた。ゼリーはなくなったが、ある意味、『死への過程』が現実化したのかもしれない。」という。

画像20

the council of divina commedia (towata+matsumoto) 《DIVINA COMMEDIA》1991

画像21

the council of divina commedia (towata+matsumoto) 《DIVINA COMMEDIA》1991

Chim↑Pom

Chim↑Pomは2005年に卯城竜太、林靖高、エリイ、岡田将孝、稲岡求、水野俊紀により結成された、6名からなるアーティストコレクティブ。本展では、全身は黄色、ほっぺたは赤に塗られたネズミの剥製《SUPER RAT ―CHIBAOKAKUN―》(2006)、そして、剥製を作るために渋谷センター街でネズミを捕獲するメンバー達が奮闘するシーンを捉えた《SUPER RATビデオ》(2006/2011)、新宿の廃ビルで開催された「にんげんレストラン」から制作された《ビルバーガー》(2018)などが展示されている。

画像22

Chim↑Pom「平成美術:うたかたと瓦礫(デブリ)1989-2019」展示風景より

画像23

Chim↑Pom《ビルバーガー》2018

contact Gonzo

contact Gonzoは2006年にダンサーの垣尾優と塚原悠也が開発、命名したメソッドの名称でありユニット名。レスリングや柔道、あるいは喧嘩のようにも見える激しい身体接触を含むパフォーマンスを即興的に繰り広げる。オレンジの背景に青色の三角形の壁面に展示されているのは、使い捨てカメラで無造作に撮影する「the first man narrative」シリーズから構成された《ヘルシンキにて》。このシリーズは、まとめて展示されるのは今回が初となる。

画像24

contact Gonzo「the first man narrative」より《ヘルシンキにて》 部分

画像25

「平成美術:うたかたと瓦礫(デブリ)1989-2019」展示風景

東北画は可能か?

2009年11月、東北芸術工科大学の三瀬夏之介と鴻崎正武によって「東北画は可能か?」は学生と共に東北における美術を考える活動としてスタートした。本展ではDOMMUNEの空間へ続く壁一面を大きく使って「2009.11→ 東北画は可能か?」「2011.3.11→ 東北画は可能か?」と時代ごとに参加作家の個人作品、そして集団制作による《東北八重山景》《方舟計画》《東北山水》の大作が展示される。天井には雲肌麻紙に墨、胡粉、金箔で描かれた三瀬夏之介《日本の絵》(2017)が吊るされている。4メートルほどの高さになる《しきおり絵詞》(2013~)は圧巻だ。

画像26

東北画は可能か?「平成美術:うたかたと瓦礫(デブリ)1989-2019」展示風景より

画像27

東北画は可能か?「平成美術:うたかたと瓦礫(デブリ)1989-2019」展示風景より

画像28

東北画は可能か?《しきおり絵詞》2013~ 下部

カオス*ラウンジ(資料展示)

カオス*ラウンジは藤代嘘が主宰した「ポストポッパーズ」を前身とし、2010年から黒瀬陽平、梅沢和木が加わり、この3人が中心となって活動を展開してきた。
本展で展示されるのは、2010年に発表された「カオス*ラウンジ宣言」(2010)のみである。展覧会図録には「カオス*ラウンジの組織内のトラブルにより、展示計画の実現のための交渉を継続することが困難となった」との記述がある。この件に関して椹木は「平成年間を集合的なアーティストの活動から振り返る時にカオス*ラウンジは画期をなした活動だったのは確かなので、完全に無しにすることはできなかった。カオス*ラウンジのファーストインパクトは、プチバブルでマーケットに寄っていたゼロ年代の美術の活動を全否定し、ネット空間の中に埋もれていた匿名的な表現を浮上させる宣言の力によって得られている。この宣言のなかにカオス*ラウンジのエッセンスが凝縮されているとも言える。宣言もバージョンがいくつかあり、学芸を通じどれをどのような形で出すのかということに注力してやりとりを重ね、このような形になった。」と語る。

画像29

「カオス*ラウンジ宣言2010」

画像30

「カオス*ラウンジ宣言2010」

パープルーム

美術家の梅津庸一が2013年に予備校として設立したパープルーム。各作家はこれまで予備校生として参加していたが、2020年から安藤裕美、アラン、わきもとさき、シエニーチュアンはメンバーとして扱われている。SNSでの活発な情報発信やYouTube番組「パープルームTV」の配信、2018年からはパープルームギャラリーの運営も始めている。
本展では《花粉の王国》と題されたインスタレーションを展開する。黄色いカーペットが敷かれ一際目立つ空間では、馬蹄形の台座の上に梅津庸一の連作《フル・フロンタル》(7枚組、2018~)、その下のモニターでは安藤裕美がパープルームの日常を描いたアニメーション《光のサイコロジー》(2019~2020)が再生され、中央にはアラン《ゾンビマスター》(2017)が配置される。左側の壁面には大量のイメージ、言葉が描かれた資料群が作品と渾然一体となって貼り付けられている。その奥にはわきもとさきが2019年にパープルームギャラリーで発表したインスタレーション《ひとりくらし》(2019〜)、小さな壁面にはシエニーチュアンの《私はそのような性質を見たことがありませんが、あなたがゆっくりと反対側から近づいているようです》(2019)が展示されている。[2]

画像31

パープルーム「平成美術:うたかたと瓦礫(デブリ)1989-2019」展示風景より

画像32

パープルーム「平成美術:うたかたと瓦礫(デブリ)1989-2019」展示風景より

画像33

パープルーム「平成美術:うたかたと瓦礫(デブリ)1989-2019」展示風景

画像34

アラン《ゾンビマスター》2017

画像35

パープルーム「平成美術:うたかたと瓦礫(デブリ)1989-2019」展示風景

画像36

パープルーム「平成美術:うたかたと瓦礫(デブリ)1989-2019」展示風景

突然、目の前がひらけて

突然、目の前がひらけては2015年に武蔵野美術大学のギャラリーFALと朝鮮大学校美術科ギャラリーの2会場で開催された「武蔵美×朝鮮大 突然、目の前がひらけて」展のためのプロジェクトが始まりである。当時の展覧会では、協働プロジェクトとして隣同士である両校を隔てる一枚の壁を越えて行き来できるようにするための橋が架けられた。本展では再制作された橋や、自筆メモ、模型を含むアーカイブ資料、そして橋にまつわる多くの関連作品が展示される。[3]

画像37

「平成美術:うたかたと瓦礫(デブリ)1989-2019」展示風景

画像38

突然、目の前がひらけて「平成美術:うたかたと瓦礫(デブリ)1989-2019」展示風景より

画像39

突然、目の前がひらけて「平成美術:うたかたと瓦礫(デブリ)1989-2019」展示風景より

画像40

突然、目の前がひらけて「平成美術:うたかたと瓦礫(デブリ)1989-2019」展示風景より

画像41

「平成美術:うたかたと瓦礫(デブリ)1989-2019」展示風景

クシノテラス

2016年に櫛野展正が広島県福山市にて設立したアウトサイダーアートを専門に扱うスペース。本展の出展作品は、稲村米治による昆虫が像の表面全体を覆う《昆虫千手観音像》(1975)を始め、城田貞夫によるカラクリ人形の舞台セット、ガタロによる紙に鉛筆で描かれた大量の雑巾の絵、ストレンジナイトによる約250点におよぶ仮面やオブジェ、立像など。

画像42

クシノテラス「平成美術:うたかたと瓦礫(デブリ)1989-2019」展示風景

画像43

稲村米治《昆虫千手観音像》1975 部分

画像44

城田貞夫《無題(番場の忠太郎)》2000

画像45

城田貞夫《無題(番場の忠太郎)》2000 部分

画像46

クシノテラス「平成美術:うたかたと瓦礫(デブリ)1989-2019」展示風景より

画像47

ガタロ《雑巾の譜》2018~2020

画像48

ストレンジナイト《無題(創作仮面館)》制作年不明

画像49

ストレンジナイト《無題》制作年不明

國府理「水中エンジン」再制作プロジェクト

2014年に急逝した國府理が2012年に発表した《水中エンジン》のコンセプトを再生させるプロジェクトとして発足。インディペンデント・キュレーターの遠藤水城が企画し、アーティストの白石晃一、京都市立芸術大学芸術資源研究センター研究員の高嶋慈、アートメディエーターのはがみちこが参加。作者不在、設計図も無く損傷したエンジンの廃棄などを経て、現代美術における「保存修復」や「保管」、アーカイブを巡る問題を提起する。今回の再制作では水槽に水は張られず、エンジンもかけられないという制約の中、2012年にオリジナル、そして2017年に再制作されたエンジン4号機が展示された、アートスペース虹の空間サイズを忠実に再現し、スピーカーから水中稼働時の「エンジン音」を流している。本展では他に「水中エンジン」展(2012)の展示風景や資料、再制作の記録映像、《「未来のいえ」ドローイング─水中エンジン─》(2013)などを展示。

画像50

國府理「水中エンジン」再制作プロジェクト《國府理「水中エンジン」redux》2021

画像51

國府理「水中エンジン」再制作プロジェクト「平成美術:うたかたと瓦礫(デブリ)1989-2019」展示風景より

画像52

國府理「水中エンジン」再制作プロジェクト「平成美術:うたかたと瓦礫(デブリ)1989-2019」展示風景より

人工知能美学芸術研究会 [AI美芸研]

2016年に美術家の中ザワヒデキと草刈ミカを中心に、29名の発起人により発足。人工知能や美学に関する研究会、展覧会、コンサートを継続的に企画している。
2014年に佐村河内守(S氏)が自作としていた曲がゴーストライターである新垣隆(N氏)の代作によるものと発覚し世間を賑わせた。AI美芸研は2019年にこの騒動を扱った展覧会「S氏がもしAI作曲家に代作させていたとしたら」をThe Containerで開催した。会場は中目黒にあるヘアサロン、BROSS TOKYO内にある輸送用コンテナを改装したギャラリーで、本展覧会ではこのコンテナの形状も含めて再現されている。内側には防音マットが貼られ、資料としてN氏がS氏に代作した交響曲の演奏が流されている。コンテナ内には「S氏がもしAI作曲家に代作させていたとしたら?」と題された文章がUVプリントされたキャンバス作品2点と、資料として「S氏からN氏への指示書」、「N氏がS氏に代作した交響曲の楽譜」が並ぶ。左側中央の横尾忠則《赤い耳》は本展を機に横尾が再制作したもので、オリジナルは2000年に佐村河内守が聴力を失った自身の肖像として依頼した作品だ。会期中には書籍が発行され、その他関連イベントも行われる[4]。
*撮影不可の展示だが、『指示書』のアップを掲載しないことを条件に許可を得て撮影。

画像53

人工知能美学芸術研究会「平成美術:うたかたと瓦礫(デブリ)1989-2019」展示風景より

画像54

人工知能美学芸術研究会「平成美術:うたかたと瓦礫(デブリ)1989-2019」展示風景

画像55

人工知能美学芸術研究会《作品-J》(2019)、《作品-E》(2019)

画像56

人工知能美学芸術研究会「N氏がS氏に代作した交響曲の楽譜」(資料)2011

画像57

横尾忠則《赤い耳》(2000/2020)

DOMMUNE

宇川直宏が2010年3月に開局したライブストリーミングスタジオ兼チャンネルの「DOMMUNE」。これまで5000番組を放送し、アーカイブのデータは200テラ以上にもなるという。1995年にレントゲン芸術研究所で開催されたグループ展「909-ANOMALY2」が宇川と椹木の出会いのきっかけとなった。
2月13日に行われたDOMMUNEでは、椹木野衣を聞き手として、DOMMUNE(宇川直宏)へのインタビュー(「THE 100 JAPANESE CONTEMPORARY ARTISTS」シリーズ)が行われた[4]。

本展では「THE 100 JAPANESE CONTEMPORARY ARTISTS」と題された、宇川が選出した日本の現代美術作家100人へのインタビュー映像シリーズの第6シーズンが展示されている。出演は本展出展作家達だ。1組に対してモニター1つ、椅子2脚、ヘッドフォン2台が展示される。

画像58

DOMMUNE「THE 100 JAPANESE CONTEMPORARY ARTISTS / season 6」 展示風景

画像59

DOMMUNE「THE 100 JAPANESE CONTEMPORARY ARTISTS / season 6」 展示風景

平成が終わり、これからの時代である「令和美術」の可能性について椹木に聞いてみると、「元号は天皇の生命の持続性で規定されているので極端に長くなることはないし、西暦とはあきらかに違う時間軸だ。改元という意味で切断されて別の時代に入るが、天皇家の継続性が前提とされているので、その意味での危うさを常に抱える一方で、おのずと昭和の余韻が平成に引き継がれ、平成の余韻が令和に引き継がれる。美術に引きつけていうならば、昭和の時代の大きなトピックとして『戦争画』が挙げられるが、昭和よりも平成の方がサブカルチャーを経由し、会田誠やヤノベケンジ、村上隆の作品に核戦争というイメージで転生するという、昭和の余韻として連続はしていなくても隔世的にずれて生じた印象がある。『令和美術』はまだ早いが、考えるヒントというか、同じようなことが起きる可能性がある。平成の大きな出来事が隔世的に令和に別の形態で展開されるという気が漠然としている。このインタビューの2日前、2月13日に起きた地震は東日本大震災の余震だった。平成に起きた超巨大な地震の余震がいまなお続いており、今後も続くだろうと言われている。令和になっても災害がなくなるわけではなく、首都直下型地震や南海トラフ地震などが今後起きると予測されており、そういう形で美術のみならず表現により深刻に転生してくる可能性がある。会場で16メートルにおよぶ「平成の壁」を見て改めて思ったが、平成という時代はエピデミックやパンデミックも繰り返されていた。HIVから始まり、多くの人が亡くなったSARSやMERS、デング熱、エボラ出血熱など、ウイルスの大流行が数年に一度くらいのペースで起きていた。その延長線上にもっとも大きなインパクトとなったのが令和に起きたCOVID-19。それは令和に起きているが平成のパンデミックの余震とも本震ともいえるだろう。こういう様々な平成の「余震」に一人一人がどう対応していくか、そこに被災だけに留まらない新しい可能性はあるのか、それが令和の活動に影をおとしていくのではないか。」

そして具体的なことはわからないとしながらも、その可能性が見える展覧会としてgalleryMainで開催された布施琳太郎/布施琳太郎′/山崎裕貴/山崎裕貴′による展覧会「ヘテロゲニウス・マルチコア」[5](Heterogenius Multi-core)を挙げた。この展覧会は工学用語の「ヘテロジニアス・マルチコア」と古代ローマの神「ゲニウス」という同一の語根から派生した2つの単語をテーマとし、‟孤独な芸術家やアーティスト・コレクティブではない、誰のものにもすることのできないヘテロゲニウスな連帯としての「わたしたち」を形づくること”を意図としている。これは平成年間に生まれた活動ではなく、集合ともコレクティブとも異なった形を、本展へのアンサーとして明言している初めての展覧会だ。

自由に行き来できる会場も、入口と出口は各一箇所ずつである。出口に向かう最後の展示となるDOMMUNEでは、それぞれのアーティストの出演時の映像を鑑賞することができる。しかし、番組1つ1つが1時間以上あるため全て見ることはかなり大変だ。展覧会図録を購入すると、8月8日まで期間限定でアーカイブへアクセスすることができる。さらに2月27日から8月8日まで、当初1月23日に予定されていたが中止となった関連プログラム《椹木野衣講演会:平成美術をめぐって》がYouTube上で公開[6]されている。これらは展覧会のより深い理解への手がかりとなるだろう。

最後に、京都市京セラ美術館から車で10分ほどの距離に、下鴨神社摂社の河合神社がある。鴨長明ゆかりの社であるこの場所に「方丈記」を書き記した方丈庵が再現されている。本展覧会コンセプトの重要な支柱となっている方丈庵を実際に見てみると、その形状からは劇場空間を展示したDIVINA COMMEDIA、運搬可能という点でコンテナごと展示空間としたAI美芸研、さらに実際に住居として機能していたという点ではパープルームのわきもとさき《ひとりくらし》など、さまざまな共通点を見出すことができる。合わせて訪問することをおすすめする。

画像60

画像61


[1]京都市京セラ美術館メンバーシップの有料会員に配られる「メンバーズニュース」のインタビューより
[2]以下は2020年11月26日にDOMMUNEで中尾拓哉(美術評論家、多摩美術大学美術学部芸術学科非常勤講師)を聞き手として行われた 「THE 100 JAPANESE CONTEMPORARY ARTISTS / season 6」配信時の筆者による実況である。この回は撮り直されており、現在展覧会会場で流れているものとは別バージョンとなる。梅津の活動からパープルームの歴史、そして現状の美術批判など、内容は多岐にわたる。https://docs.google.com/document/d/1SqYoBDzcI03il8yOLuJjKW1peYmXOJ7trQ1Rph2jUCA/edit?usp=sharing
[3]以下は2020年11月26日にDOMMUNEで行われた山本浩貴(美術評論家、東京藝術大学大学院国際芸術創造研究科助教)を聞き手とするインタビュー「THE 100 JAPANESE CONTEMPORARY ARTISTS / season 6」配信時の筆者による実況である(前半)。出資者の一人でもある山本との対話で、橋が出来上がるまでの経過やそれに至るまでの苦労、両校の学生の意思疎通の問題などを話している。https://docs.google.com/document/d/1VI1KNGWZgTj0J8v9XfpVSDY0RhM7wispUtx4Y3JZX-A/edit?usp=sharing
[4]以下は筆者による配信の実況(放送内容の2/3程度)である。DOMMUNE前史として80年代からの宇川の活動から椹木との出会い、そしてDOMMUNE開局からこれまでの宇川の活動を概観する。https://docs.google.com/document/d/1a1lPf14jSrXdQqX00i16fDyKrg30equQPKF21DSSjqw/edit?usp=sharing
[5]GalleryMain -“ヘテロゲニウス・マルチコア” https://gallerymain.com/exhibiton_heterogenius_multi_core_2021/
[6]「椹木野衣講演会:平成美術をめぐって」https://www.youtube.com/watch?v=q-MR_4IB-LE

撮影:筆者

展覧会情報
会期:2021年1月23日(土)― 4月11日(日)
会場:京都市京セラ美術館 新館「東山キューブ」
主催:平成美術展実行委員会(京都市、朝日新聞社)
企画・監修:椹木野衣
URL:https://kyotocity-kyocera.museum/exhibition/20210123-0411

レビューとレポート第22号(2021年3月)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?