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前本彰子インタビュー

前本彰子は昨年9月「80年代の美術4─前本彰子展」という代表作品による回顧展をコバヤシ画廊で開き、椹木野衣がTwitter上でコメント(1)したことでも話題になった。前本は1980年代半ばに「超少女」の一人として注目され、「もの派とポストもの派の展開-1969年以降の日本の美術」や「Against Nature:Japanese Art in the Eighties」、その他数多くの展覧会を通じ活躍するも、去年までの数年間はあまり名前を聞くことが無かったように思われる。前本は本人が手作りする羊毛フェルト作品を並べた「ストロベリー・スーパーソニック」という店を高円寺で数年前から開いており、この店舗のオーナーだという事実も徐々に公になりつつも、その店の詳細についてはまだあまり知られていないだろう。そこで今回は主に「ストロベリー・スーパーソニック」について話を聞きつつ、今までの活動を振り返り、美術とそうでないものをどう考えるかを主題にインタビューを行った。

(聞き手:平間貴大)


ストロベリー・スーパーソニックについて

──前本さんはこれまでストロベリー・スーパーソニックを運営しているということを公言されていませんでしたね。

前本:このお店を出した時に「何かSNSで宣伝しなきゃ」って思ってストロベリー・スーパーソニック(以下ストロベリー)の名前でTwitterを始めましたが、そこでは前本の“ま”の字も出していませんでした。そしてこの間の個展(2)の時に周りからFacebookをやれと言われて、しょうがないなと思いながら前本彰子の名前でやり始めました。Facebookではストロベリーのことは全く触れないという感じで、完全にTwitterとFacebookを分けて使っていました。
展覧会をやるってなって、だんだんTwitterでも前本彰子が個展をやりますっていうふうに宣伝しないわけにはいかないじゃんという状況になってきて、最初ハッシュタグはつけなかったけど、だんだん展示のことをつぶやくようになってきて、今は“#美術のほう”というハッシュタグをつけて美術についてもつぶやいています。Facebookではまだストロベリーのことは言っていません。(2019年12月時点)
今回インタビューの話が来た時にこれが契機かな、そういうめぐり合わせなのかなと思いました。これまでは自分の中で美術とストロベリーでやっているようなことは分けて考えていました。
いざ個展をやったら若い方たちも沢山おいでだったので今の若者は何をしているのか気になって調べてみたり、また実際個展がきっかけで高円寺のお店に来てくれる方々も居て、どうも私がストロベリーでやっていることも込みで面白がってくれているようなので、かつて私が信じていた美術と、今の美術はちょっと違うのかなとも思っています。平間さんはお店に来てどう思いましたか?

ツリー

取材時はクリスマスシーズンで、羊毛フェルトで作られたブローチがクリスマスツリーに飾られていた。

──はじめて店内を見渡した時は、美術か美術でないかよりも、とにかく置いてあるものに圧倒されてしまいました。

前本:派手過ぎて人がなかなか店内に入ってくれないんです(笑)。みんな外から「カワイイー」とか言いながら遠巻きに眺めたり写真だけ撮ったり。特に中年以降の男性は人殺しでも見たような顔でしばらく立ち止まって見ていたりします。そこまで見るなら入ればいいのに(笑)。

──高円寺は少し変わった古着屋さんも多く、他の地域よりは馴染んでいる感じがします。

前本:もともと高円寺には馴染みがなかったのですが、偶然用事があって来た時に一目惚れしました。小さな商店街や個人商店が多く、何を着ていても誰も人をジロジロ見ないその放っぽらかしの適当さに。
それではじめは安いアパートを借りて週の半分くらいをアトリエとして住んでいたのですが、それでは生産性がないなって思って、だったらお店を開こうと決意して今の店舗物件を借りて自分で作った羊毛フェルトのブローチを置いたりしました。
店内は床貼りから全て手作りで、つまりインスタレーションって感じですね。
高速バスを使って自宅から高円寺の店へ通っているのですが、移動は大好きなので苦になっていません。その道のりで一番好きな箇所は、東京湾の真上を通ったと思ったら海の中のトンネルをくぐって羽田辺りに出たりするところです。飛行機に乗ってるみたいで、毎日外国旅行してるような楽しさがあるんです。
高速バスの車中では音楽を聞いたり手元でチクチクとフェルトの制作をしています。ノマド作家(笑)。最近はTwitterを見ているんですがあっという間に時間が過ぎてしまいます。Twitterで知り合ってお店に来てくれるリアルTwitter仲間も少なくないんですよ。

2人

──移動時間が制作時間に繋がっているんですね。前本さんの著書『自分を輝かせる25のちょっとした方法』ではご自身の制作方法が書かれていました。

前本:あの本はマズいんです(笑)。マズすぎて自分でもあまり読んでなくて、覚えている内容は「ノーパンで行こう」くらいかな。それより『実践!ゼッタイお姫さまゼミ』をまず読んだほうが良いです。Bゼミで1986年から2004年まで前本ゼミを開講していたのですが、この本には授業のネタがたくさん入っています。この本を読めばBゼミのときの私の授業を再現できます。できてもしょうがないけど。
最初に出した『一緒に行こうパラダイス』ではリアルな制作過程の心情が事細かく書かれているので、ものを作る人には興味深いかも。

──他に授業はされていたんですか?

前本:精神科のデイナイトケアで2000年から2019年まで毎週1時間半「ゼッタイお姫さまゼミ」というクラスを持っていました。院長先生は美術がお好きな方だったので、私に関してのみ死人さえ出さなければ好きなことをしていいという感じで(笑)濃い人たちばかりでなかなか楽しかったです。あと多摩美でも4年間授業をしていて(3)、そこではその後の活動に繋がる出会いもありました。

──ストロベリー・スーパーソニックの運営はいかがでしょうか?また、店内を見渡してみると、どういう意図で作られたのか、これらが現代美術の作品として作られたのかどうかという線引きが難しいように思います。

前本:このお店は3年前の10月から始めたのですが、当時は精神科の講師をしていた収入があり、それで運営できていたというのもあるので、それを辞めた今は大変です。最近このお店の経営が立ち行かなくなり、作品制作のためにお店を休もうと思っても、レンタルボックスがあるからひと月休むっていうのも難しいので、お店を閉めようかとも思ったんですが、「ちょっと待って」って言う人達もいるので、壁面を展示スペースにしてミニギャラリーを始めようかと思っているところです。今の若い人って壁が白くなくても良いっていう人もいるんです。一旦お店を畳んじゃうと、もう一回やるのはとても難しい。それに外から覗くだけで店内に入ってこないのに「無くなるってなると寂しい」って言われるし(笑)。

机の上

販売されているブローチ。おでんや人魚、噴火する富士山、猫などがモチーフになっている。

──レンタルボックスにはアクセサリーやブローチなど小さいものが多いですね。

前本:そうなんです。だから壁を展示スペースにすれば、今までレンタルボックスでは小さすぎると思っていた人も展示しようっていう気になるかなと思うし、美術系の人にも声をかけやすくなると思います。

──ストロベリー・スーパーソニックという名前に何か由来はありますか?

前本:2003年から2017年くらいまでベリーダンスをやっていたことがあって、私は弁天っていうダンサーネームで踊っていたんです。そしたら周りより始めたのが遅く誰よりも歳上なせいでみんなから弁天さんって「さん」付で呼ばれて、それはちょっとおかしいなって思って。それでSADSのストロベリーという曲(4)が好きだったので「ストロベリー」というダンサーネームに変えて、初めて人前で踊った時にもこの曲で振り付けを作って踊りました。
お店の名前は、ダンサーネームの「ストロベリー」と、踊っている写真の中に高速で回転していて全身がぶれてちゃんと映っていないものがあってそれが面白くて、音速という意味の「スーパーソニック」をつけて「ストロベリー・スーパーソニック」にしました。
ベリーダンスのいいところはリズムさえ合えばどんな曲でも踊れるし、ベリー特有の主要な型がいくつかあって、その組み合わせで振り付けも自分で考えてオッケーなところです。フラダンスや日本舞踊は教えを伝えていくという伝統芸能的な側面がありますが、ベリーダンスは好きなように踊れって言われてあとは放り投げられているような感じがあって、基本はソロで即興。曲も振り付けも自分で作って良いんです。


美術と美術でないもの、その曖昧さ

──先程はTwitterとFacebookを使い分けているというお話しがありましたが、現代美術の作品とそうではない制作物の線引はどこにあるのでしょうか?

前本:コバヤシ画廊では画廊ゆかりの作家40名程が出品する「MESSAGE」展を年末になると開催していて、私もそれに参加してきたのですが、2013年くらいからの6年間は美術としての作品を作れなくなってしまっていたので、その間はフェルトの作品などを出品していました。
先日の個展をやってから勢いがついたので「よし、それでは今回は絵をやるか!」と思って久しぶりに絵の具を出したらカパカパに乾燥して使えなくなっていました。「私なにやってたんだろう」って時間の流れをそこで感じました。
今回の展示で、美術作品として絵の具で描いていたら、自分がやっている羊毛フェルト作品との違いもだんだんわかってきたのですが、羊毛フェルト作品は行き先がはっきりしているんです。予測地点がある。でも絵の具の美術作品は予測不可能なんです。作っている間ずっと「ああしようかな、こうしようかな」と考えるのがすごく楽しい。どんどん作品が変化していって、あえてここはこうしてみようみたいな事もあるし、どうなるかわからない。
完成予想図を思い描いていても、違う方向に行ってしまうのが今回はすごく楽しかったです。「これこれ!」という感覚が戻ってきた。「一体私は何が駄目で作れなくなったんだ?」という感じで、それが助けになりました。

──あるとき美術作品の制作が嫌になってしまったことに理由はありますか?

前本:私の上の世代の人たちに対しては、いろいろ難しいことを言われても「よし、これと戦おう」という感じで同意はできないけど理解はできたし、その意見を飲み込むことができました。しかし少し下の年代の人達が出てきてその作品の中にはそうも思えないものも増えてきました、信じているものが違い過ぎてるというか。そしてその人たちと同じ土俵で生きていくのが嫌になってしまったんです。今はどんな場所だろうが全然構いませんけどね。それと家庭内的なことや体調的なこともあったり、飼猫が死んじゃったり、いろんな要素があります。
お休み期間の前には黒川潤さんとダークシードというユニットを組んでグループ展を主宰したり(5)大村益三さんとラディカル・クロップスというユニットを組んだり、加藤崇さんとインフルエンスというコラボユニットを組んだりと人と絡んで実験的なことをいろいろやった後、発表をパタッとやめてしまいました。
グループ展やユニットを組んで展示をしていたときは、自分が育ちやすい畑を自分で作るという気持ちでした。それで展示ごとにいろんな人に声をかけて回っていて、テーマに沿った展示に呼ぼうと思うと、それまでとはその作家の作品を観る感覚が違ってきますね。

ダークシードDM

ダークシードDM

──やめる時は宣言などはしましたか?それとも急にやめてしまったのでしょうか。

前本:宣言などはしていないです、作れなくなっただけですから。やめてから少しして、それでも何かものを作りたくて、ちょうどその頃ハンドメイドが流行っていたので素材や技法はよりどりみどりでした。今の私にもしっくりくるものはないかと思って縋るようにいろいろやってみて、そしたらフェルトの手芸が、針で差し固めて形作るのが彫刻に近い感覚で取り組めたので始めました。フェルトは作業的にすごく時間がかかるのですが、着地点があるので意外と早く作ることができます。美術は常に予測できないので時間がかかる。私は「降りてくる」のを待つタイプの作家で、何日も待ってみたり、ああでもないこうでもないと考え続けます。いい感じになったと思ったら少し寝かしてまた待ってみたり、とても制作に時間がかかります。

赤い方

黒い方

前本:この2つの作品はコバヤシ画廊の年末小品展に出したんですけど、この違いわかりますか?

──わかりません。

前本:赤い方(上の画像)はベリーダンサーがモチーフで、制作の到達地点が明確にあるんです。なので手芸寄り。
しかし黒い方(下の画像)には無くて、むしろ「こっちだよ」って作品が私を引っ張っていってくれたんです。相互の会話があり、明らかに美術。出来上がり日数も美術だと色んなところに寄り道するので予想ができません。
それから素材の問題も見逃せません。私が最初に美術をやりはじめた時は油絵を描いていました。大学では油絵科だったんですが、油絵の具でキャンバスに描けば美術になるのか?みたいな気持ちがあって、それが私はすごく嫌だったので、敢えて子どもが使うような紙粘土でレリーフを作りはじめるようになって今の世界に来たんです。ここ数年のコバヤシ画廊での展示では、フェルトの仕事を額縁的な形にして展示して収まり良くしていたのですが、そこでまた大学の時に油絵を描いていた事を思い出してしまうんです。「額縁的なものに入れればそれで美術か」って。もっと言えば「絵の具なら美術でフェルトなら手芸か」と。
これは古い世代の美術家にとって陥りやすい罠でもあります。若い人にはもうその境目がないようですが。

──制作に対する意識として、形式的なものに対する抵抗があるのでしょうか。

前本:他人が嫌がるだろうなということを敢えてやるのも好きでした。これをやったら人の感情を逆撫でることが出来るかな、とか「これはお前にはできないだろう」という感じのことも。
当時(1980年代前半)はポストもの派以降の時代だったので、下手すると色も考えなしには使えないという雰囲気でした。そういう時に敢えて具象をやるとか派手な色合いやラメを使うとかをやっていました。Bゼミの先生達も理論派の人が多くて、そういう人たちに教わりながら、だからこそ挑むように作っていました。でもあにはからんや、めちゃくちゃウケるんですよ(笑)。なのでそういうものが時代的に欲されていたんだと思います。そこにたまたまストンと私が降りてきた感じなんでしょうね。
殊更に探し求めなくても、時代の空気は呼吸しているだけで、自然に胸の中に入り込んで来るんです、どんな時代でも。

──美術と美術でないものの境目が曖昧になってきているのかもしれません。

前本:それは私が今1番知りたいところです。イラストみたいな絵が美術として扱われたり、去年サザビーズではアニメのセル画が高額で落札されたりしています。セル画ですよ?それは置いておいても、買う側も見る側もどんどん変化してきている。描き手がアーティストと名乗らずに絵を描いて発表するのはもう当たり前の事で、私たちの時とは違います。2005年頃に東京近郊の地方都市で高校生対象のワークショップをやったのですが、そこでBゼミでやっていたような事をやろうとして、生徒に「画材を用意しておいてください」と頼んだら、当時私は多摩美で教えていたというのもあって、当然みんな絵の具を持ってくるのかと思ったら、だれも絵の具なんか持ってこなくて、マッキーとかボールペンとかそういう「文房具」で絵を描いていた。その時に時代が変わったんだなと思いました。私たちはアクリル絵の具が出てきた時にも果たしてこれは何百年か持つのか?などと耐久性も当然考えていましたから。だって美術だから。
今まさにそういう時代にいるというのは事実。久しぶりに美術の世界へ戻ってきたと思ったら、美術と美術でないものの境界線が曖昧になっていて、でもそういう世界なら私もまた作りたい、そして発表したいと思いました。境界線は見えないと言っても美術と思えるものはあります。
私は自分で作り上げた「美術」の重い壁が自分の方に倒れてきて何も作れなくなってしまって、今はゆっくり立ち上がっている状態です。実際に作り始めると、手がものすごく喜んでいるのがそのままハートに直接伝わってくるんです。それを「だよねだよね」って実感しているところです。

タッセル付き

《晴レノカミサマ》

前本:このふさふさのやつはタッセルって言って、コバヤシ画廊に出品した作品にも付けています。洋装品です。美術とそうでないものの区別が使用する素材でも無くなってきていて、これまでは出来なかったような表現も今は出来るようになってきています。
本当は最初から自分が作りたいものを作ってきたはずなんだけど、だんだんやらされているような感じになってしまって、「これをやらなきゃいけないのかな」っていうような何処かからのプレッシャーを感じていたのかもしれません。でも今はそれがポンと外れた感じです。もう別にいろんな人の評価を気にしなくてもいいし、自分が見たいものを作るという元々の考え方に戻りました。
ちょっと凝り固まってカチカチになっちゃったから、お休みして良かったと思っています。本当はこの数年は休んでいたんじゃなくて、もうやめたと思っていたので、あまり銀座にも行けなかったけど、結果的に表に出始めたらいろんな人に会うし、「ちょっと休んでいた」みたいな感じになっちゃった。それでみんなそう思ってるし、もう休んでいたことにしちゃえって感じでやっています。

──でも実際はストロベリー・スーパーソニックを運営していたわけです。やめたと思っているのに創作意欲が湧いていることに驚きました。

前本:このお店は長期間にわたってインスタレーションをしているような感じです。美術ではないと思ってやりはじめたけど、どこかで繋がっているので、ストロベリー・スーパーソニックは『美術のカケラ』として表現していこうと思っています。値段もギャラリーで展示している作品より全然気軽に買っていけるように設定しています。ここのお客さんも実際に展覧会に来てくれたりして「ストロベリーさんこういう事もやってるんだ」って言ってくれたりしました。逆もあります。私はこのお店では「ストロベリーさん」って呼ばれているのですが、個展をやった事で前本さんって呼んでくれるようになったりしています。ストロベリーさんもキャバ嬢みたいで面白いんですけど(笑)。

──店内では音楽が常に流れていますが、作品制作時は音楽をかけますか?

前本:私はロックもジャズも聴くし教会音楽も好きだし、その時々で何が好きっていうのが変わります。激しめの音楽をかけて気分を盛り上げないと制作ができなかった時もありましたが、最近はバッハのチェロ曲など刺激は少ないけれど豊かな音楽をかけています。今は作ることに飢えているので、最初からエンジンが温まっている状態なのかもしれません。邪魔せずに一緒に歩いてくれるような音楽が作りやすかったりします。
若い人たちの動きはいつでも気になります。同じ時代に生きているわけだから、その中の一端でも同じ感覚が私にあれば、それを大事にしていきたいと思っています。そういう意味では私くらいの年代の作家って大体美術の先生などをやっていて、1年に1回個展やりますみたいな感じだと思うんです。なのでこういうお店をやっているっていうのも面白いかなと思っています。高円寺に来る若い子たちは面白いですよ。あ、中年も。

──最近はストロベリー・スーパーソニックが注目されてきているような気がしますが、いかがでしょう。

前本:最初は隠し子のようにしていたこのお店ですが、だんだん公にしていきたいと思っています。

──かつて自分が作った美術に潰されそうになっていた状況が、お店をやることで回復できたという事を思うと、もしかすると作品制作とこのお店を同時にやることでうまくバランスが取れているのでしょうか?

前本:お店もやって美術にも打ち込めて、いいバランスが取れると良いなと思っています。
絵画やアートとはちょっと違う、遊びとしてのアクセサリーを作っていたのですが、アートでも遊んで良いかなという気分になっていて、絵画だからキャンバスとかパネルを使うみたいなことではないやり方があると思っています。

──先日僕が参加した瀬戸内国際芸術祭2019のKOURYOUさんの作品「家船」(6)でも布やぬいぐるみがたくさん使用されていました。

前本:平間さんは神様を作っていましたね。私も今神棚を作っているんです。復帰しようってなったけど最初全然描ける気がしなくて。
私は以前に美術だけでやっていくって宣言したことがあって、バイトとかしないで「美術だけで食べられないんだったら餓死してやる!」くらいに思っていました。その時に作ったのが神棚だったんです。
ホームセンターで神棚を買ってきて素地を工夫して色を塗って御神体を作って中に入れて、自分で水やお供え物をして「私がんばります」っていう、自分のための神さまを作ったのが最初でした。その作品が売れてしまったのでまた違うものを作って、そしたらそれも売れてしまって、シリーズで作ることにしたのですが、それらは全部売れてしまいました。まあ結果的に自分のために作った神さまを売って、美術で食べていけたのですが(笑)。
あれから年月が経って、またホームセンターに行って神棚を探したのですが、今は全然売ってないんです。Amazonで売ってたからまず3個買って作り出したら止まらなくなっちゃって、今追加で5個頼んでいるところです。顔見知りの宅急便のお兄さんが「神棚」って書いてある大きな箱を見て変な顔で私を見てくるんです(笑)。何始めるんだこの人?みたいな。

前本彰子本人


前本:今回インタビューの話を頂いた時はまだ未消化な事が多くて、何を話したらいいのかと思っていましたが、だんだん考えているうちに今の状況を肯定できるようになってきました。

インドに行ったあの子へ

《インドに行ったあの子へ》

──現代美術の世界に踏み込むきっかけとなった作品についてお話ししていただけますか?

前本:Bゼミに生徒として入る前に作った作品《インドに行ったあの子へ》です。京都での学生時代を終える頃にはキャンバスに絵を描きながら「これじゃない、何か違う」と思っていました。それで卒業制作の大きな作品と同時並行して、誰に見せるつもりも無くアパートに帰っては紙粘土で変なものを作り始めました。インドの神さまが象に乗って走っていくみたいなものです。スパンコールやビー玉を付けたりはっちゃけました。そして本当に作りたいものを作った時に、自分の血液が全部入れ替わっちゃうような楽しさを味わいました。これこれ!みたいな。それまで油絵の具で描いていた時に感じたことがなかったワクワク感や楽しさみたいなものを初めて感じて、「これがなんと言われるものになるのかわからないけど、私がやりたかったのはこれだ」って思いました。
ちょうどその頃Bゼミでは写真家の安斎重男さんが当時ニューヨークで撮ってきた最新の現代美術を見せる授業で、まだ美術手帖では紹介されていなかったキースヘリングなどを紹介していました。その頃のBゼミでは観念的な人達が多くて、線を1本引くのにも何日も考えなきゃって感じの美術だったから、今ニューヨークではこんなことになっているのかってみんな驚いていました。そういう環境にいた先輩が私にBゼミに来いって言ってくれて、本当は私は大学を卒業して地元に帰るはずが、そのまま横浜に引っ越す事になりました。

今まではバランスを取るというよりは、美術を再びやり始めるならストロベリーは必要無くなるのか、辞めちゃおうかという感じだったのですが、今はそれらがうまく共存できるかなとも思っています。

──ストロベリーが今後も続いていく可能性があることが嬉しいです。ストロベリー・スーパーソニックと前本彰子さんが繋がりますね。

前本:このインタビューを読んで若い人たちがお店に来てくれたら嬉しいです。是非いろんな人に知ってほしいと思っています。


前本彰子からの追記:
この後Facebookでもお店のことをカミングアウトしましたら、作家や画廊を始め美術関係の方々がたくさんいらしてくれています。私が自分で思っていた感覚とは随分違い、むしろ楽しんで受け入れられて貰えているようですごく嬉しいです。
店内にギャラリー用の壁も作ったので、気軽に作品も展示してみてくださいね。


(1)(https://twitter.com/noieu/status/1171368520141000705)。この他、原田裕規による評論文も美術手帖websiteに掲載されている。(「再評価」より前に考えたいこと。原田裕規評「80年代の美術4─前本彰子展」https://bijutsutecho.com/magazine/review/20830
(2)80年代の美術4─前本彰子展、2019年9月9日-9月21日、コバヤシ画廊(http://www.gallerykobayashi.jp/
(3)2001 - 2005年、多摩美術大学油科非常勤講師 (https://blog.goo.ne.jp/love-pride-art/e/25e95465b675d7f99d97a12ddec7998a
(4)SADS「ストロベリー」(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AD%E3%83%99%E3%83%AA%E3%83%BC_(SADS%E3%81%AE%E6%9B%B2)
(5)ダークシード(https://blog.goo.ne.jp/love-pride-art/e/25e95465b675d7f99d97a12ddec7998a
(6)家船(https://note.com/qqwertyupoiu/n/ne74b2493197f

写真撮影:シロクマ、みそにこみおでん



「レビューとレポート」 第8号 2020年1月
(パワードbyみそにこみおでん)


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