エル

愛犬が6/13に亡くなった。
犬が亡くなると「虹の橋を渡った」なんていう表現をするのが一般的のようだけど、婉曲させた表現は悲しみから逃げてるみたいで嫌だなと思うので、今は意地でも「亡くなった」って使いたい。

もちろん逃げるのが悪いとは思わないんだけど、今の気分として向き合う必要があるとおもっている。

何が起こったのかという詳しい時系列も書き残したいんだけど、それは事実だから多分あとからでも書ける。

不在に慣れて悲しい感情が丸くなる前に今の気持ちを残しておきたい。

亡くなるのはふわっとずっと覚悟していた。
本格的に暑くなる7月8月を乗り越えられるかな、乗り越えたら冬まで生きられちゃったりして、と思ってた。

前日の夜中、犬と一緒にいた母は具合悪そうだとは思っていたらしいけど、もはや犬が具合悪くなるのは2日に一度以上のレベルで起きてたので、そこまで気に留めてなかった。

翌朝はケロッとしていて食欲もあって、「まだまだ生きられちゃうんじゃない?」とか冗談を言った。

おしっこ出ないなとは思ってたが表情はなんとも無かったので(たぶんよく覚えてないってことは特段具合悪かったわけではないのだと思う)みんな会社に行き、母が夕方に家族の中で一番先に帰ってくると亡くなっていた。

この辺を忘れないようによりエルの体調の経緯や詳細に書くのは後日にしたい。

今は生きてるエルと、死んでるエルが同時に存在しているような錯覚になっている。もちろんそんなわけないのはわかってるんだけど。

1週間経つけど、物音がするとエルが動いたかな?と思うし(実際は3月半ばから歩行できなかったので、そう勘違いするならそれよりも前のエルを現状のエルとして捉えてることになる)、今日のお昼もお風呂に入ってたらダイニングルームあたりから吠えられた気がした。

母はこの1週間エルに野菜とかエサとか供えるんだけど、「エルご飯だよ〜〜」っていつもみたいに呼びかけるもんだから、「え、生きてるんだっけ??」みたいになる。

亡くなった翌日(6/14)は仕事で、仕事場にいる時も頭の片隅で冷静に「エルは死んだんだな」って考えていて、お昼休みに一人で食堂に行ったら急に涙が止まらなくなった。

15日の午後に火葬して、一日中泣いた。この2日間で冷え切ったエルにたくさん触れてキスして、もう死を受け止めてはいたんだけど、焼かれて実体が無くなってしまうということがキツくて泣いた。でも焼かれたあとの骨になったエルと対面したときもっと泣くかな、と思ってたんだけど取り乱すようなことはなくて。というか涙を抑えた時に左目をグッと押してしまってコンタクトがずれて、途中退席したりして悲しみに浸る、みたいなことができなかった(笑)たぶんエルが気を利かせてくれたんだと思う。

まだあったかい骨壺を運転席の後ろで抱いて、家に着く頃には冷たくなっていた。

もう出るだけの涙は流したな、と思ってたけど夜になって動物看護師をしている従姉妹から「エルアちゃんよく頑張りました。お空で安らかでありますように。」というメッセージと共にお花が送られてきてまた泣いた。

そのあとはミテネという本来は赤ちゃんの成長を写真で記録するアプリに、12年4ヶ月分のエルをアップロードし続けた。なんなら亡くなったその夜にはミテネをインストールして少しずつ上げてた。

ミテネを見ていても涙は出なくて、ただただどのエルもかわいいなーーーーってなる。
就職して実家に戻ってきてすぐにエルは大きく体調を崩して、そこで私は初めてエルの死を認識したから、以降は積極的に写真を撮っていた。だからエルの写真は2017年7月からが多い。もっと若い時のエルをたくさん残したかったな。

インスタのおすすめによくエルと同じヨーキーの動画が出てくる。亡くなる1ヶ月くらい前から私はそれを見つけてはブロックし続けた。たぶんもう長くないのが分かってて、亡くなったあとに似た犬を見るのは辛くなると思ってたから。

ブロックしきれなかったヨーキーアカウントが今もなおおすすめに出てくるんだけど、結果は全然普通に見れる笑 なんなら可愛いなエルのが可愛いけどな、くらいに思って見ていられてる。

似てるけどそれはエルじゃない、ってのが明確だからなのかな。まあ生前のエルも全然見れるし、見たくて見てるんだけど。

そして去年の8月くらいに作ったエル柄のパジャマとブックカバー。これも悲しくて使えなくなるかな、と思ってたけど普通に使える。


そしてなんだかもっとエルを身近に感じたくて、今日の休みは朝からせっせとSUZURIでエルのグッズを作っている。

ほんとに楽しくてやってるんだけど、側から見たらペットを亡くしたばかりで思い出に縋り付いている痛いやつに見えちゃうのかな、、



超楽しくやってるんだけどなーーー。
「推し」のグッズを集める感覚に近いのかも。
それを自分で作れるという喜び。

最推しにして、「あなたはあたしの一番星よ」だね、エル。

ちなみに火葬場では共同墓地にするか個別墓地にするか選べてまだ決めかねてるんだけど、個別墓地だと好きな言葉を石に掘ることができる。

サンプルは、大好きだよ、ずっと家族、愛をありがとう、みたいな事実なんだけど陳腐なやつで、私だったら「一生推し」とか彫るな〜って言ったら母に笑われた。

とにかく亡くなってちょうど一週間の今の気持ちとしては、とにかく大好きで今もいる気がしてこれからも大好きで、いないことを思い出して悲しくなるけどもうエルも苦しくならないし、私も「エルもうすぐ死んじゃうのかな」ってずっと不安だった気持ちが無くなってそこに関しては少しホッとしてて、でも戻ってきてほしいよ、って感じかな。

この喪失は他の何かで埋め合わせできるものではないから何かで気を紛らわせても仕方ないし、悲しみ続けるしかない。

私は身内を亡くしたことが、3年前?の祖父とエルだけしかなくて。

なんなら3年前なのか4年前なのかわからないくらいになっていて、きっとエルを亡くした悲しみも次第に丸くなっていくんだと思う。それすら悲しい。

じいちゃんは私を無条件に愛でてくれて、私はエルを無条件に愛でていて、私にとって愛でる対象を亡くした今回のことはほんとにしんどかった。

もちろんじいちゃんのときもかなりしんどかったけど、愛でていたか愛でられていたかで悲しみの質は微妙に変わってくるのではないかと思った。

普通にやっぱりまだ家にいそうな気がしている。
というかじいちゃんの写真の隣に並ぶようになったエルの写真を見るたびに「なんでそこに閉じ込められてるの?居場所はそこじゃないでしょ?」って思う。

少し元気になってそのまま亡くなったから、どうしても理不尽だと思ってしまう。
いやエルはきっと心配かけないようにしてくれたんだと思うけど。だってタイミングとしてはもう長くないと思って弟に帰省を促して会えた一週間後だった。そして私も母も父も火葬は仕事を休める日&もともと休みの日だった。気を利かせてくれてありがとうね。


でも最後があっけなくてもっと感謝を直接伝えたかったよ。

インスタとかにエルの死を書いて報告するのはなんかエルを消費しているようで絶対にしたくなくてやってない。だからエルが亡くなったことはまだ友達ほとんど知らない。

亡くなる数日前に久々に私の手をなめてくれたこと、歩けなくなって以降ほんとにめったに尻尾を振らなくなっていたのにたくさんふりふりしてくれたこと、エルなりに私に気持ちを伝えてくれてたね。

エル会いたいよ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?