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童話 【星裁判】

阿佐野桂子


「向こうへ行ったら礼儀正しくしなくちゃいかんよ。ケベル博士は今世紀最大と言われる程の天文学者だし、私が若い頃の先生でもあるのだからね。長居をしてご機嫌を損じてはいけないよ」
 私の天文学の先生であるパスカ先生は、こう言いながら紹介状を入れた封筒をくださいました。それを懐に大事に仕舞い、大急ぎで汽車に飛び乗り、ジョサンヌの街に向かったのです。
 
 ジョサンヌの街は黄金色のミモザの花が咲き乱れ、そのミモザの花を分けるようにスックと建っている白亜の洋館がケベル先生のお宅です。
 上部が丸いドームになった洋館はまるで御伽噺のお城のようです。ケベル先生はここに閉じ篭りっきりで生涯を星の研究に捧げていらっしゃるのです。
 私は曲がったネクタイをきちんと締め直し、幾分緊張してはいましたが、それでも勢い良くドアを叩きました。
 さあ、ケベル先生の登場です。
「やあ、よく来ましたね。随分遠くからいらしたのですってね。パスカ君からの手紙はもう届いておりますよ。汽車を三つ乗り継いで、私に星の話を聞くために? 疲れたでしょう、お入りなさい」
 星博士ケベル先生は、あのコペルニクスもかくやと思わせる立派な態度で私を向かい入れてくれました。
 先生は実に大学者らしい悠々した物腰でお茶を勧めてくれましたが、どうもおかしいのです。

 まずこうです。先生は私がドアの入った途端、ガチャリと鍵を掛けてしまいました。そして念が入った事には、ポケットからり出した小さな布で鍵穴を塞いでしまいました。
 おまけに家中窓という窓はぴったりと閉じられていて、熱いブラインまで下ろしてあるではありませんか。
 お陰で昼間だというのに家中真っ暗です。たった一つ、テーブルの横に電気スタンドが点いていたからいいようなものの、これでは地下室の共同墓地ようではありませんか。
 ははあ、病人もいるんだな、と思いましたが、お茶を勧めてくれた先生の様子にはそれらしき気配はありません。
 してみるとこのケベル先生という人は人並外れて用心深い人に違いない。今度の最新発明というのはとてつもなく素晴らしいもので、そうやすやすと他人になんか見せられないものなのだな、と私は考えました。
 ひょっとしたら私がその最新発明にお目に掛れる第一番目の人間かも知れない。こいつは素敵だぞ。コペルニクスのような先生を上目遣いに眺め、胸をドキドキさせていました。
 先生の髪は白銀の輝きを帯び、体は仙人ように痩せて軽々としています。地球儀ようにぱんぱんのお腹に、はち切れそうな青いズボンを穿いているパスカ先生とは何という相違でしょう。
 聞くところ依れば、寸暇を惜しむ先生は何日もお食事を摂らないことさえあるというではありませんか。専門家というのはこのようにたいしたものなのです。私はソファーの上で背筋を伸ばしました。

「先生のご研究は天文学会では最高権威でございます。先生の新しい研究が発表されるやいなや、天文学会の説はみな先生のお説に従うのであります。ですから——」
「分かった、分かった。どうも参ったね。デュゴウ・パスカも大袈裟な事を言いたがる生徒だったが、君もパスカに負けず劣らずだね」
 先生は陽に当たった事のないような白い頬を緩めて楽しそうに仰いました。
「で、何を聞きたいのだね。言ってごらん」
 そこで私はここぞとばかりに身を乗り出し、どうかケベル先生が発明なさった天体望遠鏡がどんな新発見を与えてくれたかをお教え下さい、と頼んだのです。
 なにしろ、真昼間でも太陽に邪魔されずに星を観察でき、その性能たるや今までの望遠鏡が玩具に見えるほど素晴らしいものなのだそうです。
 パスカ先生は情報通でしたから、この発明のニュースをいち早く手に入れました。ケベル生は自分の研究を華々しく公表するようなかたではありません。ですから、このまま放って置けば折角の素晴らしい発明も噂だけに終わってしまうでしょう。
 そこですぐさまパスカ先生の第一の生徒である私が差し向けられた訳なのです。もしその他にパスカ先生に何らかの下心があったとしてもーーそれはひよっこ学生の私の知った事ではありません。
「どうかケベル先生、お話を聞かせて下さい。先生の研究は天文の発展の為に大きな力となるでしょう」
 私は勢いづいてまくしたてましたが、ケベル先生はちょっと顔を曇らせました。

「それはまた早耳だね。もうそんなニュースが伝わっていたのかね。そのとおり、そのとおりだよ。今まで考えもつかなかったような天体望遠鏡、それに性能ときたらー—」
 早速メモ帳を取り出そうとしたその瞬間です。
 ドシン!
 二階で、まるで——そうです、誰かが箪笥の上から飛び下りたような音がしました。おまけに ドシン! ドシン! ドシン! 無茶苦茶に足踏みえをしているではありませんか。
「しまった、二階の鍵を掛け忘れた!」
 ケベル先生は、はっと跳び起きて叫びました。
 勿論、私には何の事やら分かりませんが、二階では大騒ぎが続いていて、スタンドまでカチャカチャ揺れ出しました。引っ越しでも始まったような騒ぎです。
 ケベル先生は顔色を変えてチラリと私を見ると、超特急の足取りで二階に駆け上がりました。
 ドアが激しい勢いで開かれ、また閉じられました。ドシン! ドシン!という音と一緒にケベル先生が誰かーー酷く大きくて下品なガラガラ声と罵り合っているのが聞こえて来たのです。
「また来たのだな、この無法者の礼儀知らずめ。いったいどんな権利があって勝手に入り込んで来るのだ。出ていけ、出て行けったら! そして二度と現れるな!」
「へえ、あんたこそどんな権利があるって言うんだね。毎日毎日人の家を覗き込んだりして、大先生が聞いて呆れるわ!」
「何を言うか、失敬な!」
「何だと! 何だと!」
 ごうごうがあがあ罵り合い応酬です。すわ、先生の一大事! 私は憤然として二階の階段を駆け上がりました。あまりに慌てていたので一段踏み外し、危うく逆さまに落ちてしまいそうになったくらいです。

 はあはあと息を弾ませながら、一番手前の部屋のノブを千切れんばかりに引っ張りました。
 その途端物音が止み。見た事もない異国の衣装をまとった小さな男がくるりと振り向き、こちらにギロリとした目を向けました。
 男の顔は生まれたての赤ん坊のようにくしゃくしゃで、開けると顔半分ほどになってしまう口からぽうぽうと白い蒸気を吐いていました。 
 男はもう一度私を見て憎々し気に怒鳴りました。
「へん、そうかい、加勢を呼んだんだな。卑怯者め、何が天体望遠鏡だ。覗き屋のくせして。もう我慢がならない、今度こそ本気で訴えてやる!」
 そしてケベル先生を突き飛ばすと、半分開いていた二階の窓をするりと抜けて姿を消してしまったのです。
 私は「あっ!」と叫び、すぐさま窓に駆け寄りましたが、もう男の姿はどこにもありません。先生は尻餅をついたまますっかり気を落とし、憂鬱そうに私を見ました。
「いや、申し訳なかったね。このことはまた居間に戻ってゆっくり話そう。あ、窓をきちんと閉めて、鍵を掛けるのを忘れないようにね」
 こんな訳で私はケベル先生からお話を聞く事になったのです。まあ、なんと奇妙な、信じ難いようなお話だったでしょう。先生がすっかり参っていらしたのも無理はないのです。

「すべてはあの天体望遠鏡から始まったのだよ。あんな発明をしたばかりに私は家中に鍵を掛けて閉じ篭らなくてはならない破目になってしまったのだ。
「いったい、どうしてですか」
 ソファーに深々と腰を下ろし、疲れたように頬に手を当てているケベル先生を心配しながら、ドキドキしながら、それでも流行る心を抑えきれず尋ねました。
「さっきも言ったうに私は素晴らしい性能の望遠鏡を発明して、毎夜夢中で星を眺めていた。今まで見えなかった小さな星さえまるで手に取るようだ。宇宙の果てがまた広がった訳だよ。始め夜だけ星を眺めていたのだが、そのうちふと思いついて、昼間も望遠鏡の前に座りっ放しにする事にしたのだよ。すると、どうだろう。夜はキラキラと輝いてすましているだけの星達が、昼間は太陽の光で姿が見えないのをいいことに、あっちこっちでお喋りをしていたのだ」
 私はびっくりして先生の顔を眺めました。
「あの、星が、ですか?」
「そうとも、あの星達が、だよ!」
 先生はかすかに微笑まれました。
「私だって始めは良く分からなかった。なにしろこちらは天体望遠鏡で覗いているだけなのだからね。そうそう、十日前小さな流星が飛んだ時なんかは大騒ぎだったね。子供の星が追いかけて行こうとすると、傍の大きな星がいけませんよ、と顰めっ面をして宥めすかす。子供のーーと言うのは衛星のことだがね。遠くの星はいつか自分にぶつかりはしないかと心配そうに見ている。冥王星は陰気なやつだから、知らん振りして、相変わらず天王星の輪と二十七個の衛星を羨ましそうにみていたけどね。そんな状態で、私はすっかり有頂天になって一日中星を眺めていたのだよ。夜はあんなに澄ましているいる星が、昼間は大騒ぎをしているのだからね、面白くて仕方がない。でもそのうち、星達も私が覗いている事に気が付いてしまったのだ。ぴたりとお喋りを止めてしまった。でもそう長く続くものじゃない。星だって一日中澄ましている訳にもいかないからね。疲れて苛々して来たのだ。それで、その中で一番気が荒いやつが今度は反対に私の邪魔をし始めた、という訳なのだよ。さっきやって来た男、あいつが気の荒い星なのだよ」
「何ですって、あいつが星ですって?」
「そうとも、星の男だよ。星というのは見掛けよりは滅法気が荒くてね。私がいつまでも覗き込むのを止めないものだから、ああしたちょっとした隙間からでも入り込んで来て脅かすのだよ。近頃じゃ裁判にかけるぞ、と言い出す始末でね、ほれ、ここに出頭命令書も届いている」

 あまりの事に私はぽかんと口を開けたままでした。しかし先生は憂鬱そうに下を向いたままで、冗談など言っているようには見えません。
 とんだ災難に遭って困惑している先生に何とか力添えをしたいとあれこれ頭を絞りました。しかし一体どうしたらいいのでしょう。星裁判なんて、私にはまったく訳が分かりません。
 地球の煩いごたごたから離れ、ひたすら美しい星の勉強をしている私達に一体何が出来るでしょう。地上の裁判さえ知らない私達に、事もあろうに星裁判だなんて。しかも弁護人もなく、相手は 気の荒い星です。
 せっかく来てくれたのに悪かったね、と先生は残念そうに仰り、手を差し出されました。
「先生、どうかしっかりなさって下さい。先生のご研究は、それはもう立派なものに違いないのです。どうか星達の嫌がらせなんかに負けないで、研究をお続け下さい」
 こう言って私は先生の手をしっかり握りました。そして何かあったらすぐに連絡を下さい、すぐ駆け付けますから、と言って先生とお別れして来たのです。
 先生は別れ際に私の顔をじっと見つめながら見送って下さいました。が、またすぐにドアに鍵をなさったようでした。

 パスカ先生のもとに帰った私は根掘り葉掘り質問されました。しかし、あんな災難に遭っているお話なんか到底出来ませんし、ケベル先生も、君もこんな面倒事に巻き込まれないように、と問題の望遠鏡は見せてくれませんでしたので、私には何とも説明の仕様がないのです。
 それから一週間経ってケベル先生からお手紙が届きました。いよいよあの男が正式に訴えを起こし、星裁判が始まるらしいのです。急いで書いたらしく字はぐちゃぐちゃで、切手は曲がって貼り付けてありました。
 ケベル先生からの次のお手紙を待ち続け、お宅にも行ったのですが、それっきり何の連絡もありませんし、お宅は空っぽです。
 星裁判が長引いているのでしょうか、心配です。そしてついでに申しますならば、あの素晴らしい望遠鏡も一緒に姿を消してしまったようなのです。ですからまるで神様の目のような天体望遠鏡の噂もそのままになってしまい、星博士ケベル先生も行方不明という事で、段々と名前を忘れられつつあります。
 せめてあの時、強引に頼み込んで望遠鏡の秘密だけでも教えて頂いておけば良かったのでしょうか?
 でも二階の窓だけちょっと開いているお宅の前に立つと、さてそれは考えものだとおもうのです。
 実際のところ、あんな星の男に絡まれて、どこで開かれているか分からぬ星裁判の法廷に引っ張られて行く事を考えるだけで、うんざりしてしまうのですから。 

(完)


あとがき

この作品は作者が小学生の頃に書いたものです。
手書きのものを本人が後年ワープロで電子化したものです。
なんとおませな小学生だったんでしょうか。



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