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Beautiful City 2/3

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2:00 PM

「アメリカンとブレンドですね。かしこまりました」

 カフェ店員の女の子は注文を取ると、機械的にお辞儀をして去った。二十代、夜間の学生だろうか。一つにまとめた黒髪が歩くたびに左右に揺れる。仕事柄のせいか、人を観察する癖がついてしまった。

「なーに三十にもなって女の子のケツじろじろ見てるんだよ、高須」

 からかうような声に我に返って、高須はあわてて白木の方を向いた。

「違えよ!」

 ニヤニヤしている顔を睨みつけ、反論しようと身を乗り出す。が、その威勢はすぐに削がれてしまった。商談中のサラリーマンや、おしゃべりに夢中になっていた主婦たちがこちらを見ている。白木はすました顔をしていた。

「じょーだんだよ」

 高須が白木と会ったのは高校を卒業して以来で、十二年ぶりだった。取材でとある事件を追っていた時に、白木と再開したのだ。

「それにしてもびっくりしたよ。まさか、高須が記者をやってるなんて」

 名刺を眺めながら、白木が言う。

「俺だって驚いたよ。白木がラバーズ社員だったなんて」

 ラフな格好にジャケットを羽織っただけで来た高須は友人と服装を見比べて、きまり悪く頭をかく。紺色のシルク生地が、上品な光沢を放っている。

「それにしても高そうなスーツだなあ。さすが大企業」

「よせよ。俺なんか大したことない」

 白木は照れくさそうに鼻の頭をかいてから、水を一口飲んだ。

「謙遜するなよ。天下のラバーズ社員じゃないか。しがない記者とは大違いだよ」

 人口一万人を切っていた日間戸市(ひのまとし)を三十万人の都市へ成長させた大企業。庁舎、ショッピングモール、空港など、主要な建物はほとんどラバーズの関連会社が手掛けたものだ。最早城下町と言っても過言ではない。バベルの塔を思わせる本社ビルは、この街のシンボルだった。

「俺は花形の都市開発とは全く関係ないよ」

 白木は自嘲気味に言う。国内屈指の有名大学に進学し、薬学部に入った彼は製薬部署に配属されたのだった。

「でも、元々は製薬会社じゃなかったか?」
「そうだけど、みんな都市化の会社ってイメージが強いだろ」
「そうか……まあ、だからこうして会ってるんだけどな」

 高須が手帳を開いたところで、先ほどの店員がやって来た。

「お待たせいたしました。アメリカンとブレンドでございます。ごゆっくりどうぞ」

 店員はカップを置くと、丸いトレーを前に抱えて次のテーブルに向かった。高須はペンを構える。今日の再開はあくまでも薬物の研究開発課主任に取材するためだった。

「一連の変死と死体消失について、白木はどう思う」

 高須が追っている事件、変死と死体消失については五年ほど前からしばしば起きていた。ホームレスの間で妙な噂が流れていたのだ。

 “血の涙を流す死体を見つけたら三番寺へ行け”

 片っ端からホームレスに聞き込みをして回ったが、誰もが知らぬ存ぜぬと黙り込む。手がかりを求めてくだんの寺にも行ってみた。しかし、話を聞ける人間には会えなかった。仏堂は廃墟同然で、誰かがいるとは思えないような状態。張り込みも何度かしてみたが、収穫はなかった。

「確かに警察から捜査協力は来ているがそもそも死体がない。何もわからないんだ」

 白木は背もたれに寄りかかり、アメリカンをすする。

「そうだよな」

 高須はため息をつき、カップを持ち上げる。

「俺、ちょっとトイレ」

 白木は立ち上がり、出入り口のそばのトイレに向かった。その後ろ姿をなんとなく眺めていると、入れ替わりに男がひとり入って来るのが見えた。赤い帽子をかぶった男。手には目立つ煙草を持っている。

 ——シガーだ。

 どこからか来る資金で飲み食いし、この街を我が物顔で闊歩する。街に潜むアウトサイダー、それがシガーであった。獣のごとく並外れた身体能力と凶暴性を持ち、街の人間から恐れられている。何件かシガー絡みと疑われる事件が報道されているものの、どれも検挙に至っていない。

「おい」

 野太い声に、空気が凍り付いた。シガーはカウンターに座るなり、手招きした。視線の先には、先ほどブレンドを持ってきた女店員がいる。

「ねえちゃんさ、話し相手になれよ」

 シガーは水を頼むみたいな口ぶりで言うとゆっくりと煙草を吸い、吐いた。店員の方は状況が飲み込めずに、呆然としている。同情する目、あるいは興味本位の目。サラリーマンや主婦たちが二人の様子を盗み見ている。

「こっち来いよ」

 シガーはにやにやしながら言う。煙は螺旋を描いて昇る。店員は顔が引きつり、かすかに震えている。一歩、後退りした。それを見たシガーは血相を変えた。

「早く来いよ!」

 ガシャン。カップが割れる音がカフェに響いた。足下に黒い水たまりが広がり、白い破片が浸っている。周囲の目は一気に高須の方に向けられた。

「あー、ごめん! そこの店員さん、雑巾持ってきて!!」

 女店員は慌てて高須の方を見る。焦っている様子ではあったが、どこか安堵した表情だった。

「はい! すぐ持ってきます! すみません、失礼します!」

 シガーに勢いよく頭を下げると、店員はこちらに掃除用具を持って駆け寄り、高須と一緒にカップの破片を取り除き始めた。そこに白木が帰ってくる。

「おいおい、何やってんだよ」

 この惨事を見るや呆れ顔になり、白木も店員が持ってきた雑巾で床を拭き始めた。三人で一通り元に戻すと、店員は涙目になりながら、耳元で囁いた。

「ほんとに助かりました。ありがとうございました」
「いやあ、俺はコーヒーこぼしただけだし」
「あの、代わりのコーヒーをお持ちしますか?」
「ありがとう。でもそろそろ出るから」
「かしこまりました。すみませんでした、失礼します」

 店員はお辞儀をすると、掃除道具を持って厨房へ向かった。白木は席に着くとまた呆れ顔になり、ため息をつく。

「お前も無茶するねえ。そんなにあのねーちゃんが気に入ったのか?」

「見てたのかよ」

「出たタイミングでね。お前がカップを落としてたからさ」

 高須は先ほどのカウンター席に目をやった。赤い帽子のシガーはもういなくなっていた。その空席を見やりながら、

「嫌だねえ、シガーってやつは。何とかならないのかよ」

 ひとつぼやくと、白木は苦笑した。

「研究中だよ、色々と。それしか言えん」

 白木はカップの底に残ったアメリカンを飲み干した。

「そろそろ行こうか」

 白木がおごると持ち掛けたが、高須は丁重に断り、お互いに会計を済ませて外に出た。今朝は肌寒かったが、昼を過ぎると春らしい陽気が心地いい。

「何かわかったら連絡する」

 そう言ってタクシーに乗り込む白木を、高須は見送った。車が角を曲がり、見えなくなった後、名刺をもう一度取り出し眺める。

 “株式会社ラバーズ 製薬部 研究開発課 主任”

 ふと、顔を上げると大型ビルに張り付いているモニターに広告が映し出されていた。美しい街が恋人です。この街の景色に溶けてしまっているほど、見慣れた広告だった。

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お金が入っていないうちに前言撤回!! ごめん!! 考え中!!