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Beautiful City 1/3

4:00 AM

 男は街をさまよっていた。春が来たとはいえ、夜明け前は寒い。薄いジャンパーは気休め程度にしか寒さをしのげず、頼りなかった。遠くにラバーズの本社ビルが見える。街のシンボルたる威厳を持った巨塔の姿に男は目を細め、赤いキャップを目深にかぶった。

 赤いキャップはホームレス仲間のヤマさんからもらったものだった。唯一信頼していた彼が、男に与えたもの。これを被っていると、ヤマさんとどこかでつながっているような気持になれた。

 男はひたすら歩いた。寂れた通りにある、けちな質屋を曲がって横町に入り、下手くそなカラオケが聞こえてくるスナックの路地を進んだ。

 ——見つからない。

 胡散臭い骨とう屋の隣にある空き地の土管をのぞき、何を請け負っているのかわからない法律事務所の裏を見てみた。

 ——見つからない。

 濃い闇がだんだん白んでいき、カラスがどこかで鳴き始める。

 “血の涙を流す死体を見つけたら三番寺へ行け”

 噂はどこからともなく現れ、この辺りのホームレスに広まった。見つけて届けた者には大金が、自由が、圧倒的な力が与えられるという。男はそのどれか一つでもいいからほしかった。明日のことすらわからないどん底の生活から、一刻も早く抜け出したかった。

 そろそろ他のホームレスが起きて、炊き出しをもらうための掃除をし始めるころだ。男は苛立っていた。

「くそっ!!」

 おんぼろ中華料理屋の横にあるごみ箱を思い切り蹴った。しかし、男の足では中身がぎっしり詰まったごみ箱は倒れない。余計に腹が立ってもう一度、足の裏で押すように蹴る。倒れて中から野菜の切れ端や鳥の骨が散乱し、香辛料と生ごみの臭いが男の鼻を突いた。そこではっとした。

 ——なんだ?

 人がうつ伏せで倒れている。ごみ箱の陰に隠れていたのだ。

 男はおそるおそる、路地に入って行く。かがんで二、三度ゆすってみる。反応がない。かかっているごみを払い、路地から引っ張り出し、仰向けにしてみた。五十代の、男のホームレス。目から頬にかけて血が一筋こびり付いている。男は赤いキャップのひさしを上げ、呟いた。

「うそだろ」

 倒れていたのは行方不明になっていたヤマさんだった。手首に指を当てても脈はない。胸に耳を当てても心音は聞こえない。肌はどこも冷たい。血の涙を流して死んでいた。

 男はヤマさんの目を閉じた。それからジャンパーを脱ぎ、体を包んだ。硬直した体を抱きかかえると男は三番寺がある山を目指して歩き始めた。


 石段を登り切った頃には、辺りは明るくなっていた。朝の柔らかい日が射しこみ、木々の間からスズメの鳴き声が聞こえる。

 寺と言っても山の中に押し込められた廃墟だった。崩れた門なんかよりも茂った草木の方がよっぽどたくましい。仏堂の屋根は瓦がところどころ剥がれ、やっと雨風をしのげる程度。縁側は傾いていて、あちこちに苔が生えている。

 仏堂の中から坊主が出てきた。太く白い眉と豊かな髭をたくわえた老人で、黒い袈裟を着ている。なぜか汚れ一つない。男はヤマさんをそっと寝かせ、老人を見据えた。山道を登ってきたせいで、額から大粒の汗が滴る。

「なぜ、ヤマさんがこんな姿になっている」

 老人は遠くを眺めるような目で、男を見つめた。静かに答える。

「己で選んだことよ。全て」

 しゃがれ、くぐもった声だった。老人は腰を下ろし、横たわった遺体を一通り点検する。それが終わると立ち上がり、背を向けた。

「ついてこい」

 男は言われた通り、老人の後について行った。


 仏堂の裏は木々がなく、街を一望することができた。街の中心に異様な存在感を放つ、ラバーズ社のビルも見える。

「和尚」

 老人と赤キャップが振り返ると、そこに盆を持った男がいた。精悍な顔立ちで、サングラスをしている。着ている紺のスーツは素人の目から見ても安物ではないとわかった。

「変わった宗派だな」

 赤キャップはスーツの男に目をやり、皮肉っぽく言うが、老人は表情を変えない。

「ああ、そうかもしれんな。なんせ現世に極楽浄土を見せようっていうんだから」

 老人は盆からカードを一つと銀のシガーケースを手に取り、赤キャップの男を見据える。

「おめでとう。今日から君はシガーだ」

 男は老人からカードとシガーケースを受け取る。中を開けると、金色の吸い口に紅色の巻紙の煙草が入っていた。一本取り出し、口にくわえる。スーツの男がジッポライターを胸ポケットから出し、火をつける。煙が肺に流れ込んでくる。重たい煙にむせ返りそうになりながら、煙草を味わった。

 このあとヤマさんは弔われるのだろうか。男はそんなことを考えながら、ゆっくりと煙を吐いた。

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お金が入っていないうちに前言撤回!! ごめん!! 考え中!!