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身の丈の妄想のなかに #どこでも住めるとしたら

田舎に生まれ育ち、都会暮らしに憧れ続けた。
大学に進学することは実家を離れて下宿生活すること(この下宿という言葉も聞かなくなったなあ)を意味していたから、大学選びは「どこで都会暮らしを成就させるか」という重要課題に直結していた。
選択肢は実は限られているけど、「どこでも住めるとしたら」という贅沢な妄想に浸れた、単純で幸せだった受験生時代。

入学した阪神エリアのまんなかあたりの大学、そのすぐ近くに暮らした。
気候も街の景観も民度もあらゆるインフラ整備にも恵まれ洗練された、都市圏の片隅で、20代前半までを過ごした。
新聞折り込みチラシの住宅の間取り図を見るのが好きだった。
山手の高級住宅地に建つ、とてつもない金額のファミリー向けマンション。
自分には無縁で、現実感ゼロだからこそ自由に妄想できる。
でも、妄想の主人公は自分じゃなかった気がする。今思えばだけど。

いろいろあって実家に戻ってきて、10年後に結婚して、家を建てた。幼いころから嫌いで、出て行ったらもう戻るつもりもなかった、この田舎に終の住処を構えてしまったわけだ。
80坪の敷地にちょこんと家を建てて、余白が無駄に広かった。それまでまったく興味もなかったガーデニングに目覚めた。
フェンスやテラスを作り、庭木を植え、花壇やプランターで植物を育てることにハマり、現在に至る。

自分でも面白いと思うけど、今も漠然とした都会への憧れはある。
たとえば見たい映画があるとき、配信サービスで見るよりも、地元近くの映画館に遅れてやってくるのを待つよりも、大阪までクルマ飛ばしてシネコンの大きなスクリーンで見たいと思う。そういう感じ。

昔は田舎になかったお店やサービスもかなり行き渡り、買い物はネットのほうが便利だったりする。都会か田舎か、という比較で住みやすさを考えるのは完全に古い。
でも時々思うのだ。この先、人生の最後の10年、いや5年でもいいけど、都会の真ん中に小さな部屋を借りてみたいなあなんて。築古でいいから、大きめのベランダのある物件を。
そこで、バジルやパクチーや青ジソなど香りの強いものばかり育てたり、季節の花で寄せ植えを作って悦に入り、夜になったら徒歩圏内のピッツェリアやワインバーに足繁く通う………相当幸せな老後になるだろう。
そして、何より、これは完全に自分の姿として妄想出来る。


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