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軸はあるか?

こんにちは。QoiQoiの吉次匠生です。
今回は自分が団体の主催として、公演を打つようになったきっかけを話していけたらと思います。今回は少し長いですが、お時間ある方は是非読んでみてください。自分が団体を立ち上げたきっかけは大きく分けて2つあります。


役者としての立ち位置を考えた学生時代

僕は日本大学の芸術学部演劇学科演技コースというところで4年間演技について学んできました。日本大学芸術学部(以下日芸と言います)は多くの著名な先輩方が輩出されており、自分も大学に入る前は日芸へとても憧れていたことを覚えています。そして、日芸に入学して多くの才能あふれる仲間たちと出会い切磋琢磨できたのは今でも自分の財産になっています。
しかし、日芸に入学したからこそいろいろな悩みも増えてきました。入学前はざっくりと舞台俳優になりたいと思っていたのですが、大学で勉強していくうえで舞台俳優と言ってもいろいろなジャンルがあるということに気づきました。劇団四季や宝塚などのミュージカルや新劇、アングラ、鈴木メソッドを中心としたSCOTやSPACの芝居(演劇のジャンルなどについてはいつか別で書いていけたらと思います)など、芝居といえど身体の使い方がまるで違います。

その中で自分は何が得意か探っていたのですが、これといってずば抜けたスキルは自分にありませんでした。小さい頃からダンスをしてたわけでもなく、子役として活動していた訳でもないので、ダンスも演技も別段才能があるわけではありませんでした。そのようなコンプレックスから学生時代の自分はバイトを掛け持ちながらも授業の一時間前に実習室の前で稽古するなどして、努力してきたつもりでした。そもそも努力家でない学生が少ないのであまり自分のことをひけらかす訳ではないですが、休みの日や空いた時間は全て自分のスキルアップに努めました。しかし、大学の授業の実習で自分がいい役に選ばれることはほとんどありませんでした。圧倒的なスキルがあれば少しカバーできたのかもしれませんが、体型や声などが演出家のイメージと違うなどスキル以前の段階で切られたことも何度かありました。

大学を卒業したあと、オーディションを受けても受かった時と落ちた時の手応えが、イマイチ自分の中で掴めないことが多くありました。つまり、何が言いたいかというと自分のスキルでは、どうしてもオーディションを選ぶ側次第で結果が決まると言うことに気づいたのです。


自分の領域を見定め活動のベースを作る

オーディションなのですから、自分の合否を他人が決めることは当たり前です。しかし、僕はここから先の長い役者人生で他人の判断や気分次第で自分の活動が決まってしまうことはすごくリスキーだなと思ったのです。もちろん役者として、自分のスキルを磨き続けることは絶対条件として、オーディションを否定したい訳ではありません。自分の活動の100%をオーディションに委ねたくないと思ったのです。自分より演技の上手い役者は山ほどいるしその中で自分は生き残っていかなければならない。つまり、自分の持ってる時間の振り分け方に疑問を持ったのです。
このような考えを持っている方はどんどん増えてきていると思います。
絵本作家でお笑い芸人をやってるキングコングの西野亮廣さんなんかも、早い段階でひな壇を諦め自分の得意ジャンルである絵本やコンサルで活動していくことを表明されています。またコロナの影響で多くのお笑い芸人や、俳優の方々がyoutubeやオンラインサロンを開設しています。これは、いつテレビ局や番組に呼ばれなくなっても良いように自分の活動場所を確保し出したことの現れと思います。

つまり、時代はもうそうなって行っていると思うのです。大きな事務所や大物演出家の下で下積みをする(もちろんその団体やその人尾のことが好きであれば別ですが)長いものに巻かれてチャンスを待つ時代では無く、個人で考えながらトライアンドエラーを繰り返しながらガンガン動いて自分のフィールドを切り開いていく時代になってきていると思います。

1〜100よりも0〜1に憧れる

もう一つのきっかけは自分がデザイン学科の授業を受けたことです。日芸は演劇学科以外に7つの学科があり、各々が他の学科の学生へ向けオープンな授業を開いていることがあります。僕は大学4年生の時デザイン学科の授業を受講しました。授業の内容としては、「どんな手段を使っても良いからあなた達の学んできたスキルを使って作品を一つ作りなさい」という、今思うとすごく荒々しい総合格闘技のような授業でした。僕以外にも写真学科や放送学科や音楽学科など様々なジャンルの学生が参加しており、クリエーションの過程やそれ以前のアイデアの種となる段階で、各々の表現手法を見つめ合い各自の作品制作におけるヒントとして持って帰るという主旨があったと思います。

この授業で僕はかなりの挫折をしてしましました。写真やデザイン学科の学生は授業があるたびに作品の制作過程や完成品を持ってきて評価をもらっていました。しかし、僕は演技コースの学生であるため演技はできるのですが、作品を授業に持っていくことはできませんでした。台本や演出がないと恥ずかしくて人前で未完成な芝居をすることが出来なかったのです。この時に気づいたのです。
「自分は今まで(即興芝居を除いて)台本という出来上がっている作品の上に立っていたにすぎない」ということに。1を100にすることは出来ても0から1を生み出すことが出来ませんでした。また、当たり前のように0から1を持ってくる周りの学生にすごく憧れたのを覚えています。この経験は当時、演技力だけで食っていく覚悟がなかった自分に火をつけたことを覚えています。役者だけでなく自分で作品を作るアーティストとして活動していきたい。その中で自分の学んできた役者というエッセンスを使えば唯一無二の自分だけのオリジナルの役者になれるのではないかと思いました。当時は挫折もあり悔しい思いもしたのですが、今思えばくしくも自分の領域を模索していたことと重なり青天の霹靂のような体験だったと思います。

この一年後大学を卒業後たまたま劇場であった今の相方である大橋悠太に自分の思いを打ち明けると、一緒に何か作品を作らないかということになりユニットを結成という流れになりました。


まとめ

僕は、①自分の活動するプラットフォームを作りたい、②0〜1を作れるクリエイターとしての役者になりたい、という二つの理由から自分の団体を持つことを決めました。
本当にやりたいことをやる事は辛く簡単な道のりじゃないと思います。最初に打ち立てた旗はなんとか守り続けたい気持ちもわかりますし、途中で旗色を変えるのはなんだか格好悪い気もします。しかし、本当に最初に立てた旗は守らなければならない旗でしょうか?
僕自身、有名役者になりたい! 役者一本で食っていきたい! という夢を抱え上京してきました。しかし、いろいろなものに揉まれる中で、当時抱えていた思いは少しずつ変化してきました。でもそれは当然のこととも思うのです、時代が変わっているし自分も成長しているのだから見える景色も違います。最初に旗を立てた丘よりも今は高い丘に立っていたならば旗を立て直すことも大切だと思うのです。

大切な事は常に今自分は何がしたいのか? と言うことを正直に自分の心に問えるかだと思います。役者一本で食ってる訳ではないですが、自分でしっかりとした活動の場所を確保して、出たい作品があればオーディションに参加するという考えに至って、自分の中に抱えていた焦りのようなものはかなり解消さたと思います。

今コロナで自分の活動に迷ってる方がこの記事を読んで、自分の活動と向き合って解決の糸口になればと思います。


QoiQoi 吉次匠生



QoiQoiプロフィール
2018年2月9日に大橋悠太と吉次匠生によって結成されたアートユニット。 当初はano(アノ)として活動していたが、2020年10月1日より団体名を改めQoiQoi(コイコイ)として新たな活動を始めている。

また、「想像力を創造する」をモットーに演劇、映像、インスタレーションなどさざまな分野を飛び越え作品制作を行う。団体名のQoiQoiもquality of imaginationが由来である。 また、社会問題から個人の体験まで幅広い事象を可視化し、常に観客に「当事者性」を提示する作品作りが特徴である。

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