自己表現でしか生きた証は残せない。長谷川邦義

自己表現でしか生きた証は残せない。

「人間いつどうなるか分からないから後悔ないように生きよう!」 

と決意したあの感情は
まだ胸の中にありますか?

東日本大震災が起きてから
今日でちょうど10年。と1日

あれからどれだけの人が
本気で生きる事が出来たのか。

僕らは常に"一寸先は闇である環境"にいる。

当時、震災後にテレビで流れるニュースが
今のコロナ感染者数の発表みたいに
毎日、死者数が計上されていく

数字になると実感力が狂う

すぐボラティアにも行きたかったけど
1年半くらい時間がかかってしまった

当日僕は24歳でまだパニック障害後で人に会うのも嫌で辛くて精神的な不安な時期でさ

けど前を向くのを辞めなかった

[嫌なコト=下を向く]ではない。

嫌な出来事が起きても
別に前を向いても良い。

あれから10年が経ち振り返ると
楽しいことばかりの人生で
いつ死んでも悔いがない。

海外の行きたい国にはいけたし
美味しいご飯も沢山食べたし
仲間と楽しい思い出も出来たし
大好きなジュエリーも沢山作ってきた。

ゲーム全クリした気分なので
一旦、人生リセットして
若い年齢から始めたいくらい。笑

死ぬことよりも死んだように
生きる方が、怖い。

コロナで人やモノや金が止まったと
言われてるけど

時間も僕らの身体を流れる血流も
心臓も肺も、一度も止まっていない

時間は常に流れ続けている

移り変わり変化し続けるのが
自然だから自分も変化し続けないと
事前の摂理に反する事になる

ずっと動き続けてるから 
動かせ続けなきゃ。

自然は私たちの心を豊かにしてくれるけど
時として残酷な姿も見せる

僕らはこの自然界という
プラットホームに生きる小さな存在であり

ただ自然に生かされてるだけ

この世界に自分が生きた証を残すためには
自己表現者になるしかない。

誰かの記憶に残るような存在である

どこにでもいるような代わりがいくらでも
準備出来る存在である
"その他大勢"ではなく

"自分だけ"の存在をどれだけ残す事が
できるのだろうか。

それが生きた証である

人生で最も無駄な時間は、
"選択で悩む時間"である。

10年ってあっという間と感じた人は
またこれから10年もあっという間に過ぎていく

また今から10年後、未来の自分は
どう進化しているのか、楽しみ。

誰にもなれない奴になってやろうと思う。

先駆者としての足跡を歴史に刻みたいね。

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