プロ野球選手になれたきっかけ
大学卒業後、日産自動車に入社した一年目に休部を経験した
2009年入社だったのだが、2008年のリーマンショックの影響によりコストカットのため運動部すべての活動が休止となった
2009年1月末、練習中に寮に呼ばれるとそこには野球部長らがスーツを着て神妙な面持ちで我々監督、コーチ以下選手たちを待っていた
そこで年内限りの休部を告げられた
即休止ではなく一年間の活動は行えるとのことで、自分たち新人もまずは入社をして来年以降も野球を続けたい選手はシーズン中に移籍先を探していくことになった
シーズンが始まり、周りの選手はどんどん移籍先が決まる中、僕はピッチングフォームを崩し人生で初めてのイップスを経験するなど絶不調になってしまったこともあり声をかけてくれる企業はなかった
そんな中、夏の東北遠征で最後のチャンスなのか先発を任せていただいたが、案の定3イニングで8個の四球を出すなど散々な結果だった
遠征も終わり残り数ヶ月で野球部の活動が終わるため、諦めて引退しようと思っていた矢先に自分をとってくれる企業があると監督に言われた
そこは宮城県石巻市にある日本製紙石巻という野球部だった
正直、そのとき初めて聞く野球部でどれくらいの強さなのか?、そもそも石巻ってどこだ?そんな印象だった
日産で引退すればそのまま正社員として残れるため、すぐに答えは出せずに悩んでいたが、このまま野球を辞めたら後悔する。と思い日本製紙石巻でお世話になることを決めた
そして2010年1月に日本製紙石巻に入社した
日本製紙石巻野球部は1986年に発足していたが、社業優先で練習時間が限られていたり、選手のスカウトもしていなかかったため、都市対抗に出場したこともなければ、練習試合ですら社会人チーム相手に勝ったことがなかった
しかし自分が入社する2年ほど前から野球部を強化しようとする動きが始まり、まだ移籍先の決まっていない僕にも声を掛けてくれた
(当時の日本製紙はまだ実績がなかったため、選手の獲得にも苦労していたんだと思う)
僕は休部を経験したことで野球が出来ることが当たり前ではないことを身に染みて感じた。それからは野球が出来ることに素直に感謝を気持ちを持てるようになった
そして自分にできることは野球が出来る時間を大切にする、一日一日を無駄にしないことだと思い、日々なんでもよいから少し頑張ればできるくらいの個人的な目標を立て、クリアすることを習慣化させた(腕立て50回、3キロ走る、腹筋50回など)
そして試合の中でも自分でコントロールできる目標(力まず投げる。など)を掲げそれをクリアすることに集中した。すると、以前までは試合で良いプレーをしようとするがあまりにプレッシャーに負けてしまっていたが、安定するようになった。
春先のオープン戦で強豪のセガサミーとのオープン戦で自分が完投して勝利を挙げることができた。自分自身も当然嬉しかったが、日本製紙にとっては初めて社会人チーム相手に勝利したこともあり、皆凄く喜んでいたのが印象的だった。
それからチーム全体に"やればできる"という思いが伝染し、日を追うごとに自信を持ってプレーが出来るようになっていった
そして東北の都市対応一次予選で優勝し、2次予選でも優勝することができ、チーム初の都市対応出場を決めた
自分の野球人生で初めて大きな目標を達成出来た瞬間だった。日々の小さな目標や自分のコントロールできる目標(=意識)をクリアすることに集中することでプレッシャーのかかる試合でも自分のプレーが出来るようになっていったのだと思う
そしてその年のドラフト会議でヤクルトから指名を受けた
約一年前は日産に残るか日本製紙に行くかで迷っていた自分からは信じられないことだった
日産自動車での休部によって野球ができることに感謝の気持ちを持つことで、自分の取り組みが変わり、プロ野球選手という夢を叶えることができた
※もちろん周りのサポートがあってのことだけど
人生何が起きるかわからない。
これから先もピンチをチャンスに変えていけるよう日々頑張っていきたい
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