相次ぐ登山者の安易な救助要請―心構えと費用請求の問題

携帯電話による安易な救助要請の問題点

 ネットニュースでは連日、登山者の遭難や救出が報告されている。コロナが一段落した今年は特に、登山者が増えているが、携帯電話の繋がるところも以前より大分増えているので、携帯で本人が連絡して救出される事例がかなりの数に上っているようだ。
元々、救助隊が救助に向かうのは、遭難したり、本人がどうしようもなくなりそのままでは遭難してしまう状態になった時のはずだが、いとも簡単に救助を求める風潮になっている。重傷を負ったり急病になって助けを求めるのは当然だろうが、大きく分けて以下のような場合が多くて問題に思える。
 ①    疲労困憊して歩けなくなった
 ②    日が暮れて行動不能になった
 ③    道に迷った
 これらのことは登山にはあり得ることであり、その場合、できるだけ登山者本人が自力で切り抜けようと努力するのが当たり前の話であるが、ネットニュースを見た限りでは、どうもそうは感じられない。詳細は判らないので必ずしも断定はできないが、それぞれ次のようにすべきだと思える。
 

 ①    の場合は単に休憩すればよいだけである。「もう一歩も動けない」という状態、は若いときには実感できなかったが今ではよく分かる。しかしそれでも長時間休めば間違いなくいくらかは歩けるはずである。それを繰り返せば登山口までや、近くの山小屋までたどり着けるはずである。ただし、そうしていると②の状態になってくることもある。そこで、
 ②    の場合だが、ニュースでは判らないが救助された登山者はライトを持っていなかったのだろうか。それぞれ夜間に歩けないような難コースではないようなのでおそらく持っていなかったか、持っていても夜間に行動すること自体を嫌がったのだと思える。それならば装備無しでもビバークすればよいだけである。今年の高温で好天の夏山であれば間違いなく無事に夜明けを迎えられたはずである。多少震えながら心細く怖い思いで一晩過ごすだけである。(もちろん荒天時や別の季節の時はそう簡単にはできないのだが。)
 ③    の場合は判断が難しく、やみくもに歩き回って谷に転落する事態を招かないように強く注意することが大前提だが、少なくともできる限り自分で努力すべきである。おそらく元来た道へ引き返すという選択は無理になっているのだろうが、本当にどうしようもなくなっているのかどうか。ニュースの一例では、朝に出発して既に午前中に救助を求めているのである。
 
 これら①~③以外にも巻き爪で歩けなくなったという事例があったが、靴を脱いで靴下の重ね履きで歩いてみたのだろうか。また負傷したという事例も歩けない状態だったのだろうかなどと疑問に思ってしまう。
 

問題は登山における心構え


 つまり問題なのは登山者の心構えである。山に入るということは不測の事態に直面する可能性があるということで、その時には自力でその事態に立ち向かうことが求められるのである。言わば、山こそまさに自己責任の世界である。一般社会で自己責任が叫ばれる時にはろくでもない意見のことが多いが、山はそれを覚悟して行くべきところである。登山の啓発で、装備や安全な登山計画作成が繰り返し注意喚起されているが、この心構えの問題こそもっと喧伝されるべきことだと思える。完全な装備でいながら安易に救助を求める人よりも、自信が有ってサンダルで登ってけがだらけで自力で戻ってくる人のほうがましとも言えるのではないか。携帯電話が無いちょっと昔には、夜になって登山者が帰って来ないと気付いた家族や宿泊予定の旅館などが騒ぎ出して、救助に向かうのは早くても翌日以降になったものである。
 これだけ携帯が通じやすくなって、最初からいざとなったら救助を呼べばいいやと、あまりに安易な気持ちで救助を求める人が多すぎるように思える。さらに心配なのは、これだけネットやテレビで上記のようなニュースが流れると、そういうもんだと、そういう時は救助を呼べばいいんだと思い込む人がますます増えるだろうということである。
 

救助費用の請求とその条例化


 そこで、以前から時々取り上げられている救助費用の登山者負担の問題である。上記のような事例を多数聞くと、やはり安易な救助要請には、事後に救助費用実費くらいは登山者あてに請求すべきだと思われる。警察などの救助担当部門で審査項目を決めておいて、本当に救助を呼ぶしかなかったのかどうか、救助後に判断すればよい。救助された登山者が納得できなければ異議申し立ての受付部門も決めておいて再審査することにするのである。
 詳細は議論を尽くして決めなければならないが、この際のポイントは救助を求めた状況だけに絞っての審査である。装備や計画などの原因や責任は考慮・追及しないのである。そもそも警察などの救助隊は遭難者や遭難しかけている人のためであり、困ったから助けてくれという性質のものではないのである。
 これと似たような話に街でタクシー代わりの感覚で救急車を呼ぶ人の問題がある。この場合有料化すると、本当にすぐ救急車を呼ばなければならない状態の人が我慢して呼ばないで、重大な結果を招く恐れがあるということが、大きな反対理由となっている。しかし登山中の救助要請はこの救急車の件とは全く別の話であろう。登山者もごく気軽にいい加減な気持ちで救助を呼んだのではなく状況に我慢できなくて呼んだのであれば、そのための費用負担もあらかじめ決めてあれば納得するのではないだろうか。もちろん登山中も急病になったり重傷を負った場合は無条件に救助を要請すべきなのは前述のとおりである。

 そしてこれらは条例によって明確化すべきであろう。条例制定と同時に周知活動も積極的に行い、その際には合わせて、登山装備・登山計画の問題と共に登山における心構えの問題も力説すべきであろう。昨今の状況を見ると、長野県、山梨県などで緊急の条例化が求められていると思う。
 それとも、コロナ以来山小屋も完全予約制が主流になるなど登山の様相も変わってきている現在、山小屋や警察などの関係者は、上記のような安易な登山者をも仕方ないものだと受け入れていくのだろうか。
 
 

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