女性による女性のための女性の医療、それが社会を変える

女性の母性的心理・・
 女はね、ある年代にさしかかると、子ども見ると涙が出そうになることがあるもんだね、女どうしでそう語り合って共感したと、ある女性は語った。それも、ただいとおしいという感じでね。
 女に生まれたくて生まれたわけではない、オトコに生まれたかったという女性である。そしてそんなことを語り合って共感した女性も、えらく気の強い女性で、どっちも、いわゆる女らしさなど要らねえ系のひとたちである。

 なぜ、そんな心理が、忽然として、女には生まれるのか。
 オトコの場合、自分に子どもができてみると、よその子も可愛く思えるという体験はあるのだが、女の場合は、わりに一定した年代に決まって表れて、しかも強烈なので、本人もびっくりするらしい。そして閉経とともに、そんな衝動的な気持は湧かなくなったそうだ。

 彼女は、それが自然の仕組みなのだろう、と考える。女は子どもを産んで育てるように、先天的に生物学的にプログラミングされて生まれてくるのだろうと。オトコに生まれたほうがよかったと思っているようなひとで(ただしオトコとの恋愛の経験もあるが)、先天的に女は女らしく生まれるなどとは、金輪際思わない種類の女性である。文系の思考はせず、理系の発想で考えるタイプだ。

女性心理における生物学的要因
 この女性の発想は、あくまで、女性の心理における生理的、生物学的条件の不可抗性を指摘したまでで、性差別を是認することとは、まったく反対の立場で述べられている。女は「やっぱり」女、などという偏見に安心して舞い戻り、寄りかかることとはまったく無縁である。日本語で「やっぱり」と言ったら、眉に唾をつけなければならない。

 彼女は、バセドウ病を患い、のちに子宮内膜症を患った経験を持っている。
 子宮内膜症は当然女性だけが罹る病気だ。子宮内膜は、月経とともに剥がれ落ちるし、妊娠し分娩すれば胎児とともに体外に出ていく。それが女性の体から不要な物質を排出する貴重な役割を果たしているのだが、妊娠しない女性においては、それが残り、子宮から腹腔内に迷いこんで、そこで、いろんな臓器にとりついて回る。いわばいろんな臓器を子宮に見立てて、そこにへばりついて、血の塊を形成しては、腐っていき、体にとって害毒の元となる。
 というのも、自然が牝の体を、ひたすら子どもを産むようにプログラミングしているからだ、と彼女は言う。
 それと同じプログラムが情緒にも表れて、一定年齢になると子どもというものがかわいくてたまらないと思わせるのだと。
 女性は若いうちから、なにかと言えば「かわいい」を連発するが、いわば自然の企みを受け入れた母親たちの言動を日頃見て、刷り込まれて、それを無批判無抵抗に受け継ぐように社会が無意識にたくらんでいるのだろう。
 なんだか腹立たしい。まして人口過剰の時代に。だが、そうであるならば、社会全体が、女性のそういう特性を尊重というか配慮したシステムを用意すべきじゃないかと彼女は言いたいのだ。

女性特有の疾患は無視される
 子宮内膜症にせよバセドウ病にせよ、内分泌系の疾患である。ホルモン恐るべし。でも、そうであれば、ステロイド剤の投与が効果的であるはずだと、自分の疾患に関係のありそうな医学文献を読みあさった彼女は言う。ところが、ステロイド剤はいっこうに用いられず、女性は苦しむままに放置され、おざなりの、間に合わせみたいな治療ばかりを受けさせられる。

 というのも、子宮内膜症はもちろん、バセドウ病も女性のほうが罹患率が圧倒的に高いのだが、そういう病気に限って、医学界はあまり力を入れないからだ。医者の多数は男だからにほかなるまい。彼らは、外科は腕力が要るからと言って医大の試験から女子を締め出しながら、こんなことをしているのである。

 他方で、医学界は、妊娠し分娩する女性には手厚い。
 これには、実際に子を生んだ女性から反論があるにちがいない。オトコの産婦人科医にかかる不快、彼らの不備を、きっと指摘することだろう。それはもちろんだが、それでも、周産期医学は、ウマズメより生む女を圧倒的に重視していることは確かだろう。

女性による女性のための女性のブレークスルーを!!
 医療、それも確実にニッポンの医療においては、性差別、そしてそれと不可分の、生む女と生まない女の差別が、疑われもせずに罷り通っている、と彼女は言う。
 医療に女性の声を反映させるには、女性の国会議員を中心とする政治の働きかけが是非とも必要ではないか。
 それが発端となって、女性の政治家、医師など、さまざまな職種への女性の進出も本格的に促進され、無視されてきた女性目線での政治、医療、その他が開発されて、行き詰まっているように見える現状に、重要なブレイクスルーを引き起こすにちがいない。



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