投票に行こうよと呼びかけるむなしさ
選挙の投票率が記録的に低下するなか、投票に行こうよと呼びかけるひとたちがいるのは、いかにも当然のことだ。しかし、そういうひとたちは、投票に行かないひとの気持を理解しているのかどうか。
投票に行くことを呼びかけるひとたちは、投票に行かないのは政治に失望しているからだという断定に立っているようだ。
投票に行かないひとたちは、いまの政治に失望しているだろうか?
もちろん、いまの暮らしに不満は持っているかもしれない。いや、大いに持っているだろう。だが、それが政治のせいだと考えるのは、あまり日本的な考え方ではない。
自分の不満を他人のせいにするのは、よくないことだ、という思考パターンは、近くは小泉政権時代にはやって、そのまま定着した感のある自己責任論に典型的に見られる。
だが、そもそもそういう自虐的な観念にとらわれることは、自己責任などという言葉が出て来るより、はるかに以前からあった。(念のために言うと、ぼくは、日本人が日本を卑下したり、近隣の外国に済まないと詫びるのが自虐だと思ったことはない)
もう知らないひとのほうが多くなったかもしれないが、柳亭痴楽という落語家がいて「郵便ポストが赤いのも電信柱が赤いのもみんな痴楽が悪いのよ」という妙なセリフを流行らせたのも、そういうきわめてニッポン的な風土があればこそだろう。
イラクの人質事件のとき、小泉がブッシュ政権にへつらって冷酷非情に3人の人質を煮て食うなり焼いて食うなりお好きなようにという対応をしたのも、ニッポン的な、自分の権利は主張しない、オカミの言うことには従うという文化があればこそだったので、小泉の発案ではなかった。
山本太郎が、繰り返し、この国の主人は誰ですか?あなたであり私ですよ、と説いて回らなければならないのも、この国のひとたちが、自分の権利を主張するのを遠慮し、自分を卑下するという、遠慮と卑下の文化のうちに生き、憲法で主権者と書かれても、実感がわかないからだ。
それを正すのが、ほんとうは教育の役目なのだが、誰もが知っているとおり、日本の学校の教師ほど、子どもに人権を自覚jさせるのに不似合いな人々が世界にいるだろうか。いったい誰が、そして何が、あんな教師たちを生み出したのか考えるべきだ。彼らが自分で勝手にあんなふうになったわけもなかろうから。
https://note.com/qiuguliang/n/nda4c47579725/edit
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