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『こぐまねこ軒 自分を人間だと思っているレッサーパンダの料理店』読了

 鳩見すたという作家は人間を描くことに大変長けた作家だと思う。登場する人物の背景、思想という下地がしっかりできているので彼らを配置して動いてもらうだけで話が転がる。決してストーリーのための駒ではなく、彼らの生き様をただ観察して記録しているかのように描いていく。もちろんそこにいる人たちは皆個性的で、いつもなにかを考え、求め、行動していく人たちなので必然的にストーリーは生まれていく。

 子供から老人まで幅広い立場の人物が振舞うごく自然な言動を、自然な展開を、ありのままに描いていくように見えるから氏の作品はとても読みやすく、心に染み渡る(特に最近は一人称形式の文体でオムニバス方式の作品が多いので特にそれを楽しめる)。

 まるでご近所にいるかのような人物の存在感と、ほんの少しのファンタジーを泡立て器で軽く混ぜて、上手に泡が立たないように馴染ませていく。エマルジョン効果でまるで一つに融合したかのように見えるそれは、独自の味わいをもって読者を迎えてくれる。

 読みやすいというのは書きやすいということではない。そこにある構成力は上質な料理の地道な下拵えのように手間と努力の賜物だ。


 新作の『こぐまねこ軒 自分を人間だと思っているレッサーパンダの料理店』は、タイトルの通りにレッサーパンダがシェフの小さな洋食屋が舞台の物語だ。前作までの日常系ミステリの体を取らず(レッサーパンダの件をミステリと呼ぶならそうかもしれないが)、いわゆる料理系のキャラ文芸というジャンルになる。

 もともと氏の料理描写は初期の頃から大変卓越しており、五感で読み取れる食べ物のシーンは読むだけで腹が減ってくる。新境地であった『アリクイのいんぼう』ではカフェのご飯やスイーツが作中で煌き、次作『フォカッチャ』シリーズでは焼きたてのパンの香りを読むたびに味わえる。

 今作は洋食店が舞台であり、今まで以上に食事のシーンの比率と重要度が高い。その分様々な料理が登場しては読者の空腹度を刺激する。自分で作るのは少し難しい、お店に行って食べたい料理は今のご時世では大変かもしれないが、行けるようになったらまず洋食店に行こうと固く心に誓うほどに魅力的だ。

 ネタバレになるので詳細は書かないが、僕は作中最後に登場する人物に対して強く感情移入してしまった。それはそこに似たシチュエーションを経験したことがあったからだ。それはコロナウィルスが現在のようになる少し前の話。今回はそこに感情が強くフォーカスしてしまったせいで揺れまくってしまった。電車内でスマホを持ったまま目に涙を浮かばせて、マスクの下で鼻から出そうで出ないやつを必死にこらえて最後まで読んだ。コロナウィルス以後のマスク着用について今日だけは感謝したい。少しくらい涙目でもそこまで目立たない。

 今作に点在する、単純な「平和な日常」だけではない、何かの終わりを予見させ続ける伏線とその回収。過去の作品と比べてあまり(恐らくは意図的に調整した)強くはない引きではあるものの、最初に登場する「高校三年生の男子」という卒業を控えた人物から、今作はずっと『別れ』をテーマとして描いているのだと思う。

 自分が何かの別れに直面した時に、自分ならどういうことを考え、行動するだろうか。後悔のない行動が取れるだろうか。何をしたって後悔のない別れなんて、きっと存在しない。それでも最善を尽くそうという意思があれば、何かが変わるかもしれない。

 優しい人物に囲まれた(もちろん当人もまた十分に優しい)登場人物は、周囲の人たちのお陰で、きっと最善を尽くせたと思う。

 劇的な、映画のような幸せや刺激は飛び込んでは来ないけれど、柔らかな日差しの中でハンモックに揺れるような穏やかな幸せが彼らに舞い降りる。そしてその幸せの真ん中にはレッサーパンダのシェフの料理がある。


 心を満たしてくれる料理を味わえる良作を、この読書の秋にぜひ読んでいただきたい。


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