好きとか愛とか(就活日記)

今日は月が綺麗だった。私が月を見上げるのは疲れているときと決まっているので、月の綺麗さを実感した直後、早く帰って早く寝ようと誓ったのだが、午前2時にこれを書いている時点で達成されていない。疲れているのは心の様だ。

自分の好きなことがわからなくなった。アイドル、音楽、吹奏楽、演劇、劇場街、本、古典、ドラマ、歴史、謎解き、短歌、パン屋、カヌレ、喫茶店、寿司、うどん、京都、銀座、東京、モダン、ハイカラ、伝統、革新、

すべて私の「好き」で、全部が私を構成している。でも本当は何が好きなのか、どこが好きなのか、なぜ好きなのか、よくわからない。
今までの人生は好きなことだけを選択して生きてくることができた。これは間違いなくそんな環境を用意してくれた両親のおかげで、そこに妥協しなかった私のわがままだ。でも、この先はどうだろう。今後40年を捧げる「仕事」も好きなことだけをしていたいけれど、そんなこと可能なんだろうか。私のとってこの「好きなこと」というのは「楽なこと」とイコールではない。好きなことに関わっていられて、全力を注いでいられれば、その内容が、身体的精神的に大変でも根を上げないのが私の長所だ。中学の吹奏楽も高校の合唱も大学受験もぜんぶぜんぶすごく大変だった。何回も泣いた。けれど最後までやめたいと思ったことは一度もなかった。結局は好きなことに全力を注いでいる時間が好きだったし、そうしている自分が誇らしかったんだと思う。だから私にとって今活動していることが「好き」かどうかということは、何よりも重要視すべき観点なんだと思う。

今はちっとも楽しくない。就活のシステムそのものが嫌い。自分の好きに関われるチャンスなのはよーくわかっているのだが、何か好きになれない。筆を尽くして書いたESがあっさり落とされ、会ったこともない人から「要らない」と評価され、なんか好きでもない人にラブレターを書き続けあっさりフラれる気分。本気で好きだと思える人にも書いてるんだけど、それも同じく、フラれた。

一番ショックなのは、本気で好きな人にフラれたのに、あまり心が動かなかったことだ。どうでもいい相手にフラれすぎて、その行為そのものに感情が動かなくなってきた。


本当に?実はそんなに好きじゃなかったんじゃ?あんなに好きにこだわってたくせに、諦めのいい態度とって何してんの?私の好きって何?


最近短歌を詠むようになり、自分が「愛」について考えたがりなことを発見した。「好き」と「愛」は似ている。そこから生まれる行動はきっと違うけれど、心の中で前向きな感情が渦巻くという意味で共通するところは大きい。
でも大衆が意味するところの人間への「恋愛」をしたことがない私の好きは本当の「好き」なのか不安になる。どんな感情が「好き」なんだろう。アイドルを見て涙したり、音楽を聞いてウキウキしたり、銀座でカヌレを買って幸せだな~と思ったり、こういうことを「好き」というんだと思ってこれまで告白してきた。もしそれが違うとなると、なかなか難しい。

社会はいろんな角度の価値提供で回っていて、会社は利益を追求している。「好き」だけでなんでもできる訳じゃない。それは十分承知。だけど、自分の「好き」からしか他人の「好き」は生まれないとも思う。じゃあ私の好きってなに?誰に還元できる?

もう少し綺麗にプログラミングされた心が欲しかった。


まだまだ私の就活は続くが、どこかで決断しなければならない日はくる。
それまでもう少し、上手に自分をひらいて、見てもらえるようになりたい。
誰かに好きになってもらえますように。


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