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30年を経て『河殤』を振り返る(10)

前回


江沢民の講話から始まった③「重评《河殇》」は、以下構成となっている。

主たる内容は、以下5編の論稿で、全299ページのうち164ページを占める。

1. 为什么要重评《河殇》 なぜ改めて『河殤』を論評するのか
2. 怎样评价中国的传统文明 中国の伝統文化をどのように評価するか
3. 如何看待世界文明的发展 世界文明の発展をいかに招き入れるか
4. 《河殇》宣扬了什么样的政治观、历史观 『河殤』はどのような政治観・歴史観を宣揚したのか
5. 重评《河殇》给我们什么启示 「重评《河殇》」は我々にどのような啓示を与えるのか

いずれも極めて難解な論稿である。中国共産党の政治理論に対する深い知識がないと読みこなせない。

私の知識水準と余暇時間では容易に解読できないが、斜め読みした範囲内では“易家言”記事の内容をより精緻に展開している、と判断される。特に『1.なぜ改めて『河殤』を論評するのか』には共通点が散見される。

では、これらの論稿の執筆陣は、王震伝で言及されていた“易家言”記事執筆陣ではないのか?

執筆者は、各論稿の最後に以下名前が記載されているのみで、彼らの経歴等の情報は一切記載されていない。

1. 钟华民
2. 黄先海、郑国平
3. 杨杰
4. 胡华丁、郑国平、史平、汪林茂、薛泉、放宪玕、王兴华、方舟
5. 史月廷

そこで、彼らを百度で検索してみた。

钟华民
本名:呉秀明(1952~)
1976年 杭州大学中文学部卒 
現:浙江大学中文学部長・浙江省文聯委員・浙江省作家協会副主席

黄先海
現在浙江大学経済学院院長・党副書記に同名の学者がいるが1965年生まれなので、1989年当時は24才と若すぎる感がある。
但し、国家級の人材としてエリートコースを歩んでいる。

郑国平
マルクス主義哲学・経典を専門として杭州大学哲学部副部長を務めた鄭国平(1934-1991)ではないかと考えられる。
1988年には教授に昇格していることから、第2論稿は彼と若い黄先海とで執筆したという状況は現実的である。
内容も文化論が主で随所に経済的な内容が織り込まれている。

杨杰
不明

胡华丁
2015年の記事で、浙江大学公共管理学院政府管理学部元教員、という記録がある。

史平
不明

汪林茂
現:浙江大学中国近現代史研究所教授の汪林茂(1949- )と考えられる。

薛泉
不明

放宪玕
不明

方舟
不明

史月廷
2015年の記事で、浙江大学公共管理学院政府管理学部元教員、という記録がある。
《浙江省共産党誌》編纂委員であった模様。

以上の通り、判明した範囲内では、当時の浙江省における相応の知識人が執筆していたことがわかる。

(*)写真は2002年12月の水師営会見所

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