ペンス副大統領演説が引用した漢籍(2) 人見目前天見久遠

 2018年11月4日にペンス米国副大統領がハドソン研究所(The Hudson Institute)で行った対中政策演説(Administration’s Policy Toward China(*))においては、中華人民共和国成立以前の政権・王朝時期の文章が2編引用されていた。

(*)https://www.whitehouse.gov/briefings-statements/remarks-vice-president-pence-administrations-policy-toward-china/

 このうち最初の1編は明確に魯迅の文章であることが明言されていた。また、引用原典をハドソン研究所自身が明らかにしていないものの、《新青年》第六巻第二号(1919.2.15.)に初掲載された「随感録四十八」からの引用であることは、おそらく間違いないであろう。

 さて2編目の演説当該部分は次の通りだ。演説の最後段、締めの部分である。

 There is an ancient Chinese proverb that reads, “Men see only the present, but heaven sees the future.”  As we go forward, let us pursue a future of peace and prosperity with resolve and faith.  Faith in President Trump’s leadership and vision, and the relationship that he has forged with China’s president.  Faith in the enduring friendship between the American people and the Chinese people.  And Faith that heaven sees the future — and by God’s grace, America and China will meet that future together.

これについても、トランプ政権が行間に込めた意図を勝手に妄想して意訳してみた。

 「人は目先のことしか見ないが、天は未来を見る。」という古代中国のことわざがあります。
 我々とみなさんと、まさに今進めている通り、平和と繁栄という未来を、不屈の精神とお互いの信頼とを忘れずに希求し続けようではありませんか。
 トランプ大統領が実現させた指導力と政策目標、そして何よりも習近平国家主席との間で打ち立てた強い関係性に対してみなさんも信頼しているはずです。アメリカ人と中国人との間で長年継続してきた不朽の友情を、みなさんは確信しているはずです。ことわざに残っている通り、みなさんは、天が未来を見るということを信じているはずです。
 そうであればこそ、アメリカと中国とは同じ未来の利益を享受するという恩恵を神から賜ることになるのです。

 困ったことに、この部分については演説の中で出典を明示していない。古代のことわざ(an ancient Chinese proverb)というが、いったい何だろうか?

 魯迅の時と同様に、中華人民共和国の投稿サイトへの書き込み(*)を見てみると、《喩世明言》第三十一卷《鬧陰司司馬貌斷獄》にある「人見目前、天見久遠」が出典だという。ネット空間で他の意見は見当たらない。
(*)https://user.guancha.cn/main/content?id=43449
「用鲁迅和古文指责中国,彭斯你好歹得先读懂吧」

 では、《喩世明言》とは何か。魯迅の次に、しかも演説の最後に登場するのだから、老荘や論語のような評価の高い古典だろうと思ってしまうが、これがなんと明代の伝奇小説集なのである。現代で言えば、ファンタジー小説集の類である。

 小説の舞台は、時代は始皇帝から、前漢、後漢、三国と往ったり来たりし、果ては天界と地獄まで登場する。おおよそ筋立てを語る意味もない内容で、「人見目前、天見久遠」は特段含意も認められない決め台詞のようなものに過ぎない。

 一応念のために故事成語辞典も調べたが発見できないし、百度で検索すると出てくるのは、ペンス演説である。

 魯迅の引用に比べるといかにも際立って不明確で、胡散臭い。ペンス演説全体の水準の高さに比べると、著しく見劣りがする。しかも、演説の最後である。

 尖閣問題などまで細かく言及しているように、ペンス演説は中国に関係するあらゆる分野について、アメリカ国内の知識を総動員して作成されている。なんらかの意図のもとに綿密な精査なくして原稿となるはずはない。したがって、出典不明で怪しげな引用を用いる事にも戦略がある、と理解すべきであろう。

 しかし、その戦略・意図を推測しても、「アメリカは何でも知っている。魯迅のような偉大な思想家も、民間の大衆小説も知っている。」ことを強く印象付ける・・・ということぐらいしか、思いつかない。

 おそらくは、チャーチルの鉄のカーテン演説と同様に、歴史の画期として必ず残るであろう演説であるが、なんとも締まりが悪い。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?