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「シン・ジブン」〜震そして伸そして深そして浸〜

『シン・ニホン』このタイトルから「シン・ゴジラ」がピンときたわけでも、AI時代の到来について深い興味や洞察があったわけでもない。なのになぜ自分が、この分厚い本を一気に読めてしまったのか。振り返ると、本書から溢れ出る「日本がこのままではまずい」というメッセージと自分の内にあった「自分はこのままでいいのか?」という思いが共鳴しあったからではないか。そして何より、近年の日本が置かれた厳しい現実を直視しつつ、それでも「呪いや諦めの書」ではなく、溢れんばかりの情熱あふれる「希望の書」であったことが、私を強く引きつけてくれたのだと思う。
 
「震・ジブン」
「文句は言っていい、しかし言った人が直す」。確かに、自分はいつの間にかこの基本原則を忘れていたかもしれない。こういう人にだけはなるまいと思いつつ、手前勝手な批評家になっていなかったか。
「人に未来を聞くのはやめよう」確かに。見えない未来は、自分の手でどうにかできるとは考えず、予測できないことに怯え、踏みとどまってはいなかったか。
「僕らは少しでもましになる未来を描き、バトンを次世代に渡していくべきだ」
そう、50を過ぎた私は、今まさに、これを考えていたのだ。
 安宅さんに会ったことはない。しかし語りかけてくる一言一言が、自分に突き刺さり、そして気づいたら、おそらく自分はこの「シン・ニホン」と対話しながら読み切ってしまったと思う。もちろん、よくわからない言葉や十分に理解できない内容もたくさんあった。しかし心が震えた。恐れ多いが、同志を見つけたかような感動を覚えた。
 あぁ、ここに、自分が忘れかけていた情熱を、本気さを、良いことは必ずできるという確信を持って、自ら行っている人がいたのだ・・・。
 それにひきかえ、自分の、志に対する熱意が、中途半端すぎて話にならないレベルであることにも気づいた。そして、未来は待っているものではなく創るものであり、振り回される側でなく振り回す側に立つ。そうでなければ何も仕掛けることはできない、というメッセージに、動くしかないという思いが湧いてきた。
 「自分が生まれた時よりも、少しでも良い社会に」
このことをどこまで本気で、どこまでしつこく、どこまで拘って思い続けることができるか。人生半ばを過ぎた自分の挑戦が始まった。

「伸・ジブン」
 震えた自分は手を伸ばしてみた。するとそこに「『シン・ニホン』アンバサダー養成講座」なるものがあることを知った。「なんだこれは?」。思っても見なかった。見ず知らずの人たちと「日本の未来を本気でどうにかしたい」という志によって繋がることができる、こんな奇跡のようなコミュニティが、すでに生まれていたことに強い衝撃を覚えた。締め切りまで1ヶ月足らず・・、まだ時間はある。そして、読み終えた感動を応募フォームに綴った。運よくアンバサダー養成講座の一員に迎え入れられた自分は、年甲斐もなく飛び上がった。よし、やるぞ!
 そして始まった5期。想像以上の厚みと広がり、愛と温かさに溢れたメンバーたちに恵まれた。なんだろう、この居心地の良さは。リアルで会ったこともない、初対面なのに、繋がっている。会う前からすでに繋がっていたような不思議な感覚だった。多様な視点はもちろんだが、それ以上にそこに生まれる一体感が新鮮だった。点と点が繋がり線となり面ができ、そして年齢や空間を越えた大きな流れが生まれていることを肌で感じた。
 誰一人同じ体験を積んできたわけでもなく、相手が何者であるかもよく知らない。もちろんここに辿り着いた背景も知らない。にも関わらず、議論をするたびに、そこに大きくは同じ方向に向かう目に見えない風が起こっていることを感じた。
 これは人と人とのつながりだけではない。「問い」もまた然りだった。一つの問いがまた次の問いを生む。時に、一見破壊的に見える問いかけも、場の信頼感があれば、むしろ次の創造へと広がっていくという体験もさせてもらった。問いの連鎖が風を起こす。自分はこの講座を受講するまで、問いとは答えがあるもの、漠然とそう思っていた。だからいつも答えを探し、見つからないと諦めたり、一瞬見つかったように感じても、それが正しくなさそうな局面に遭遇すると、自信を失ったりしていた。しかし、問いは閉じていくものではなく、広がっていくものだった。自分が思っていたような窮屈なものではなく、自由で果てしなく、ときに思ってもみなかった方向へも広がっていって良いものであった。どんどん問いかける、その過程こそが今を豊かにし未来につながっていく。
 自分は『シン・ニホン』によって、思い切って未知の領域に手を伸ばした。するとそこに同じように手を伸ばしている友がいた。もう片方の手がまた別の誰かと繋がった。その友の手がまた別の友と繋がった。物理的に手は2本だが、見えない手が何本も。これからも無限に広がっていきたいと思うようになった。その先に、自分が生まれてきた時よりも、少しでも良い未来が紡ぎ出されていきそうな、そんな予感も勇気を与えてくれた。

 「深・ジブン」
 自分が『シン・二ホン』をどう読んだか。それを改めて考えた時、自分がなぜ『シン・二ホン』にここまで陶酔したか、という問いに繋がった。これまでも書いてきた通り、私は安宅さんの数々の言葉に良い意味で引っかかった。『シン・二ホン』の副題に「AI×データ時代における日本の再生と人材育成」とあるが、「AI×データ時代」は自分にとっては馴染みのある内容とはいえなかった。もし本書がそれだけの内容だったら、自分は途中で読むのをやめてしまっていたかもしれない。しかし、第3章には、こう記されていた「データ×AIの力を解き放ったときに求められるのは、さまざまな価値やよさ、美しさを知覚する力であり、人としての生命力、人間力になる可能性が高い。(中略)キカイの強さを解き放ちつつ、人間の強さを活かす。そんな時代に突入しているのだ」と。
「それなら自分も、より良い未来を作る一人になれるかもしれない」そう思えた。
 
「自分が生まれてきた時よりも、良い未来を」このメッセージを読んだ時、実は初めて聞いた言葉ではない気がした。自分が忘れていた、諦めていた、どうせダメだと蓋をしていた、自分の中にある思いを揺さぶり、もう一度引っ張り出させてくれた。そう、自分は、もうずっと前から、この願いと共にいたんだ。

 今から38年前、12歳の私は自由学園という学校に入学した。当時雑誌『家庭の友』を出版していた羽仁もと子が自分の子供に行かせたい学校がない、それならばと「それ自身、一つの社会として生き成長し、そうして働きかけつつある学校」として大正10年に設立。学校は小社会であり、生徒はその成員である。だからこそ全ての運営を生徒に任せ、生徒自身にこの社会を創らせる。日々の問題・課題はもちろん生徒自身で解決していく。文字通り生徒主役の学校だ。入学式には、ずばり「あなた方は学校をよくするために、同志・同学・同行の友として入学を許された」と告げられ「ん?」と思った時のことは今でも鮮明に覚えている。
 そんな学校は聞いたことがない。学校というのは自分が成長するために行くところで、なんで自分が学校をよくしなくちゃいけないの?「同志・同学・同行の友って何?」だが、自由学園はガチでそれを生徒にさせた。「人は本来、社会のためひとのために力を出すもの」ー 私は8年間で骨の髄までこの精神を擦り込まれてしまったようだ。そんな学校だから、いわゆる試験のための勉強ではなく「生活即教育」の大義?の下、簡単にいうと、普通の中高生がやらないことは全てやった。日々の600人分の食事作りは献立を考え食材の仕入れから行った。木々が生い茂る3万坪のキャンパスを生徒が管理し、集めた落ち葉で堆肥を作り、作物を育て、食した。養豚を行い殺して食べた。木を切り、薪を割ってご飯を炊き、石炭ストーブも炊いた。24時間の寮の運営と管理、部屋がえ、挙げればキリがない。全て生徒が行う自労自治の生活。この生活のおかげで五感は研ぎすまされたはずだ。しかし一方で当時はその価値をなかなか素直に認められない自分がいた。
 世間的には、どこから見てもおかしな学校、これでいいんだという自信も誇りも持てなかった。なぜ、自分はこんな学校に入ったのだろう。もっと普通の学校に入れば、普通に勉強して、部活して、別の人生があったかもしれない、と思ったこともあった。自分が変であることがバレないように、長い間、自由学園を卒業した、とはあまり大きな声では言わないようにしてきた。 
 しかし時代は変わった、いや変わりつつあると言った方が的確かもしれない。「異人」の時代。同質であり普通であることが社会に適応していく術だと思い、そうしてきた自分にとって異人時代の到来は願ってもなかったはず。しかし出っぱりそうになる角を引っ込め引っ込め、世間と折り合いをつけてきた自分は、いつの間にかどこかに角を隠して、あえてもう探し出せないようにしてきてしまった(と言っても、周りから見るとだいぶ変わり種のようだが)。
 だが『シン・二ホン』はいう。「ファーストハンドの経験が知覚を鍛える」と、「ひとの感想は気にしない、実際に自分がどう感じるかだ」と。受験のための勉強ではなく、本物に触り、実物と対峙してきた自由学園時代。世間並みの勉強はできなかったが、その分、自分たちの住む社会のために、手を使い、頭を使い、リヤカーを引き、友と語った。その時々の質感、匂い、空気、今でも鮮明に覚えている。体に染み付いたものは、頭だけで理解した(つもりになっている)ことより格段に忘れにくい。そんな自分が気づけることを大切にしたい。今ようやくそう心から思える。アンバサダー講座の議論でも「気づき」が重視されていたが、実は自由学園には「気がつき仕事」という言葉があり、奨励されていた。これは、誰かが困っていたら、手が足りなそうだったら、自ら気がついてそこへ赴いてする仕事のこと。気づきの大切さも実は相当前から教えてもらっていたのだ。人と違うことを怖がり、人にどう評価されるかを気にしていた自分に、卒業後30年経ってようやく本気でメスを入れることができた。この作文を書く機会がなければ、自分でも気づかなかった心の奥深くにまで入り込む、棚卸し作業ができた。さぁ、もう一度、自分の感覚を研ぎ澄まし、その感覚で得られたものを未来に繋いでいこう。

「浸・ジブン」
 気づきは楽しい、気づきは大事。そう感じられたのは、アンバサダーのメンバーと議論をさせてもらったおかげだ。気づきはそれがしなければならないことになった途端、実は面倒の始まりでもある。気づかなければやらなくて済むのに、気づいたらやらなければならないからだ。
 しかし養成講座では、そんなことをつゆほども感じなかった。むしろ毎回新鮮で、刺激的で、かつ勇気と元気をもらう時間だった。すぐには答えが出ない問い、答えが一つに決まらない問いをうんうん唸りながら、あーじゃないかこーじゃないか、と互いの気づきを共有し合うのはこの上なく楽しかった。こんな輪(和)ができたのも『シン・ニホン』で集まれたからだ。だから自分は『シン・ニホン』とアンバサダー制度とはセットだと思う。安宅さんが、『シン・ニホン』を通して多様な突起をばら撒いてくれて、そのいずれかにくっついてきた人たちが集められ、集まった人が横に斜めに縦に世代や空間を超えて繋がっていく。この繋がりはアンバサダーズコミュニティなしには考えにくいと思う。

 「自分が生まれた時より、より良い未来を」あとの価値観は自由。『シン・ニホン』を読み「この課題を必ず成し遂げる」という強い意志にこそ共感者が集まり共感の輪が広がることを実感した。一人では難しい。息切れするし、限界もある。やる気いっぱいの時もそうでない時もある。でも仲間となら、互いに補い合い励まし合って未来へ繋げていけるはず。一人一人が繋がり、これがどんどん膨らんで、気づいたら大きなうねりになっていたら素晴らしい。今日本が直面している現実は、決して楽観できるものではないが、それでもしかめっつらではなく、楽しく笑顔で未来を作る側にまわれたらどんなにいいだろう。自分は運よくこの輪に加えていただいたことに感謝だし、この『シン・ニホン』の空気感をもっともっと広げていきたい。だからこそ『シン・ニホン』を自分の中にもっともっと浸みこませ→「浸・ジブン」、そして『シン・ニホン』をまだ知らない人に、社会に浸透させていける存在となりたい。

終わりに
 『シン・ニホン』は私にとって二つの意味で「行いの書」であった。自らの行動に、これほどまでにインパクトを与えた書は今まで他になかったと思う(震)。一つは、アンバサダー養成講座の扉を叩くことができた(伸)。もう一つは、思いがけずではあったが、長い間自分の奥底で眠っていた、母校との繋がりを想起し、自分の奥底にあったものが『シン・ニホン』の志と繋がっていることを自覚することができた(深)。そして、今、この一連の行いによって『シン・ジブン』が生まれつつある気がしている。
 これからが本番だ。第三の行い『シン・ニホン』で得たものを、どう浸透させていくか。「生まれた時より、少しても良い未来を作ることができるか」は、自分の行動にかかっている。
「さあ行動だ」。同志とともに、『シン・ニホン』とつぶやきながら、笑顔で未来に仕掛けていこう。

2021年8月23日

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