【日記】情報をあるだけ全て、というわけではない

 英語のリーディングを、ウィキペディアの記事で続けている。
 キリンジについて、英語でどう書いてあるのかが気になって、調べてみた。

 実にあっさりしたもので拍子抜けしてしまった。
 自分にとっては思い入れのあるバンドで、事実、日本語版の記述はもっと充実している。自分のイメージとして、英語版ウィキペディアというのは、有志が、というのは日本語版の「キリンジ」の項を書いているような人の中で、英語が使える人が、そこも同様に埋めている、ものすごくマニアックな対象でなければ、大体同じような濃度で書かれているのだろうな、と漠然と思っていたのだが、それが裏切られた感がある。
 これは、手が回っていない状態、書き手が少なかったり、時間がないという問題なのだろうか。そのいずれかが充実した場合に、あの記事は書き足されるものなのか。もう一つの恐ろしい可能性についても考えてしまった。というのは、たとえば本当の百科事典のように、全体の分量、この場合で言うと容量に制限はないのだから、おおよその英語圏の人の興味関心と記事の長さのバランスで考えた場合に、日本語記事と同じ長さだと長すぎると判断されたので、あえて情報を削り、この程度にしたのではないかと……。

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