【日記】読書録とかな入力

 ここに書いている読書録を遡ってみると、西谷修からカタストロイカ、あるいはフロイト全集、というか狼男の有名な分析を読んだところで、途絶えている。言い訳するわけじゃないが、かな入力の練習を始めたから、闊達に書き写すというのができなくなったのだ。読書録は、書き写すばかりじゃないが、とにかく今は量が書けなくなった。しかし日に日に上達しているので、そのうち、ローマ字打ちと同じだけの早さで動かすことが出来れば、理屈上は、1.5~1.7倍程度早く文章が打てる筈なのだ。しかし、そこまで計算通りにもいかなそうだと、実践していて気づきつつある。今は、分速120~140打くらいで打つことが出来るが、200から300のあたりで、一度壁に当たりそうだ、というのは、ローマ字打ちというのは、同じ分量を打つのに打数を多く使う分だけ、シーケンスとしての組み合わせは少なくなる。かんたんに言えば、子音の次に母音が来る、そのあとはたいがいまた子音であり、その相互の繋がりにおいて、子音がずっと続くとかは基本的にないので、パターンというか組み合わせの数が減るのである。それに比べて、かな入力の場合は、日本語的な規則性があるとはいえ、ローマ字ほど決まりきってはいない。素早く打つには、一つ一つの打鍵を早くするというよりも、三つか四つの塊として、その組み合わせというか配置というか流れを指に覚え込ませなければならない。たとえば「です」とかは頻出するので、ローマ字でいえばw@rなのだが、それを丸ごと覚える。しかし、語尾とか漢字における音読みでよくある組み合わせとかはあるものの、それはローマ字の場合よりも明らかにパターンが増えるのである。打つ早さが早くなるとは、単純に早くなるというよりも、一度に組み合わせとして認識できるフレーズがどんどん伸びていくという感覚の方が合っている。なので、今たとえば三文字ずつくらいを一定の時間で認識しているとしたら、次の段階は五文字か、七文字を一単位として認識することなのである。そうすると、一気に膨大な組み合わせになるシーケンスを、覚えきれるかの勝負になってくる。そこで一度頭打ちしそうな予感が、今のところはしている。大幅に話が逸れたが、勢いが落ちただけで、読書の方は続けているにも関わらず、このnoteを開設した理由でもある、読書のアウトプットというのが久しく出来ていない。これからまた読書録を増やしていこうと思う。

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