人は一人では生きていけない。-与える人の話-

 人は誰しも羅針盤をもっている

 それは繋がっていって、世界を構成していく一要素でもあるんだ。

 君は君。それでいい。だって君の人生は君のもの。誰にも代わることはできない。

 何かをすることで結果がおき、そして結果には責任が伴う


 生きている限り、君は何かを選んだり、選ばなかったり、それ以外をするだろう。

 そうして、それらによって何かが起きて、その結果が君に返ってくる。

 そして返ってきた結果に対して、君が選んだ、選ばなかった、それ以外、の責任が伴う。

 懼(おそ)れなくていい。誰しもが同じ。

 人生はその繰り返しなんだ。

 何もしなくても、「何もしなかった」ことで「結果」がうまれ、その結果に「責任」が伴うんだ。

 誰もそこから逃げることはできない。

 だって、人間は三次元の中で生きているからね、三次元のモノ・コトからは脱することはできないんだ。

 例えば無人島に一人で逃げたって、無人島の中でそれが起きるだろう。どこへいっても同じだよ。

 人間は一人では生きられない。


 いわゆる、社会的生物なんだ。
 これは、たくさんの研究の中で証明されている。

 人と人は繋がっていないと、心や身体がダメになってしまう。
 そういう風にできているんだ。

 もちろん、一部の人の脳はそういうふうにできていなかったりする。でも大多数の人間はそうできている。

 だから人間は集まって社会を作る。

 人のために社会があり、社会のためにルールやマナーがある


 そして社会でたくさんの人たちが困らないようにルールやマナーが生まれるんだ。

 ルールやマナーはみんなのためにある。

 自分のためだけじゃないんだ。

 自分だけなら、そもそもいらないんだ。だって、自分がルールで自分がマナーなんだから合わせる必要がない。そしてそれは君の羅針盤でもある。

 一人の空間で一人で好き勝手するのはいい。

 けれどそれが、たとえば公共の場や誰かが一緒にいる場所であるならば、そこには必ずルールやマナーがうまれる。

 それは時には、尊重、配慮、譲り合い、妥協、協力なんて言ったりする。

 そうやってみんなが心地よく過ごせる場所にするんだ。

 誰しもがルールやマナーによって少しの窮屈さと引き換えに、心地よさを得られるんだよ。その恩恵にあずかっている。

 君もまたその一人で、ぼくもまたその一人なんだ。同じだよ。

 けれどルールやマナーが社会に合わないときは、変えていかなければならない。

 そうしなければ、ルールやマナーのために社会があることになってしまって、そうして社会が人を苦しめてしまうんだ。

 この問題はいつの時代もある。どんな社会でも発生する。

 時代ごとによりよい理想の社会は変わっていってしまうものなんだ。

 人は時間によって変わっていくものだから、時間が止まらない限り、必ず発生しつづける。

 見極めて。

 そのルールやマナーは本当に社会のためになっているか?
 それで苦しんでいる人がいないか?
 苦しんでいるならば、どうしたらいいのか?

 自分に何ができるのか?

 君もまた社会をつくっている一人なんだ。みんな同じ。一人一人のしたことが今の社会を作っている。同じなんだよ。

 一人一人が誰かのために動ける「与える人」になれば、社会は常によりよい状態になる。けれど一人一人が「欲しがる人」になれば、社会は欲しがる人であふれて、与える人がいなくなってしまうんだ。

 それもまた、自分自身で招くんだよ。

 まずは「与える人」になりなさい。そして「与える人」と繋がりなさい。そうすれば「よりよいもの」になっていくから。

 君が何か「もらう」ということは、誰かがきみに「与える」という事だよ。だから君もまた誰かに「与える」人になろう。「与える」輪を繋げていくんだ。

 君が誰かを助けたとき、きみは「与える」人になる。そして君が助けを求めたとき、誰かが「与える」人になってくれるように。

 そうすれば本来、助けがなくて困っている人はゼロになるはずなんだ。
(この実現のためにはもう一つ、少しでも困ったら、ちょっとした違和感くらいの段階で遠慮なく言える関係というのが必須だったりもする)

 いわゆる、「一人はみんなのために、みんなは一人のために」、「One for all All for one」だね。

 探せば他にも出てくるんじゃないかな? 

 どれも本質は同じ。みんなで「与える」人になろう。

 世界規模なら、「全は一、一は全」でもいいかもしれない。

 ようは、世界の構成要素である自分たち一人一人によって、世の中はある程度決まってしまうんだ。

 さて、こんな偉そうな事を言っているぼくもまた、「与える人」になろうと足掻いています。一緒に頑張ろうね。
 そしてぼくがもし違っていたなら、いつものように遠慮なく指摘してほしい。君もまた、ぼくにとって無知の先輩でもあるんだよ。
 若いとはシンプルなぶん、複雑さを突き抜けて物事の本質にたどり着きやすい。

 それはとても素敵なことで、ぼくをいつも謙虚な気持ちに立ち返らせてくれる。
 ぼくはとても君に感謝しているんだ。

 いつもありがとう。大好きだよ。愛している。
 君にとっての人生がよりよいものであることをいついつまでも願っています。

2022/02/15 from I.

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