ドイツ旅行時のメモ(2014年当時)

しまい込んでいたドイツ周遊10日間の旅行のメモが発見されたので保存用に。某国擬人化コンテンツを踏まえて擬人化込でメモってます。


ドイツ・・・
 町と町の周りは、すべて畑か森か草原か菜の花畑。おそらくイタリアもそんな感じ。
 国樹は菩提樹。ライラックと菜の花が多い。アウトバーン沿いは平野、林、時々風力発電の風車の群れがどーん。
 名前はよく聞くが、ライプツィヒ、何もない。空港はあるが、いかんせん、広すぎてぽつぽつと近代的な建物が点在しているだけ、という印象を拭えない。家はログハウス調、というか南部独特の赤いレンガの屋根が目立つ。南北の分かれ目はこのあたりか。
 窓掃除が大切なゲルマン系。朝一番で窓を磨き上げる。レースや置物は、外から見られても恥ずかしくないようにするため。
 ドイツ人は基本的にみな親切。
 アウトバーンを南にぶっ飛ばすと、イタリア・オーストリアに行くらしい。途中、ザルツブルク、という看板が出ていた。
 都会は車が多くて渋滞。ロマンティック街道はトラクターがゆっくり走ってて渋滞。聞こえはいいが田舎。
 貴腐ワイン・アイスワインは強烈に高いが極甘口、はちみつみたいな。アルコール度数も低く、ワイン苦手な人でも飲みやすい。375mlで€40~47.5。高い。

○ベルリン
 ・ビールがあって都会的。が、旧東側の郊外に行くとやはり、オスタルギーを感じざるを得ない。
 ・路面電車が走る。比較的普通な乗り物らしい。バスのような感覚、というかバスのほうが見ない。
 ・日曜日のベルリン大聖堂は凄い。が、ミサやるっつってもプロテスタント多いのにどうすんだろうか。
 ・新教は割とオープンで大らからしい。ベルリン市民の男性の1割が同性愛者だとか。
 

○ブランデンブルク
 ・森。自然。都会とはいいがたいが、時々街に奇妙なオブジェが置いてある。
 ・あのポツダム会談の場所となったツィツェリエンホーフ宮殿はここ。第2次のあたりはまだベルリン州は無かったはずだから、第3帝国の首都は旧プロイセン=ブランデンブルク連合王国の首都と同一だったはず=つまり爆撃で死にかけたのはブランデンブルク。その状態でまさかのポツダム会談だから、精神的にも肉体的にもかなりきつかったと思う。そして爆撃してきたのはイギリス。・・・。
 ・ベルリン=プロイセンの首都と考えると、ソ連による占領とかブランデンブルクは大丈夫だったのだろうか。最後の最後までプロイセン守りながら敵睨みつけてそうだ。血ぃ吐きながらでも。
・サンスーシ宮殿もポツダム。無憂宮、鬱っぽくなったら行かせたりしたい。お墓参りとか。州特権で中もただで入れたりしたら楽しい。
 ・黒鷲に対して赤い鷲。誇りの高さを感じる。心の中で棲み分けができてるんだろうか。
 ・ツィツェリエンホーフ宮周辺は森、細かい石畳。ただポツダム会談の時にいろいろと造られたらしく、ソ連の面影が残る。


○テューリンゲン
 ・バッハ一族の本拠地。2.5世紀の間に60人も音楽家出したというから驚き。職業音楽家、それしか就けなかったらしいが。
 ・ってかライプツィヒの考察見てる限り、テューリンゲンって田舎か!?と思うが、そういう訳でも無いらしい。テューリンゲンバルトの中にぽつん、ぽつんと集落が現れる。割と昔風の家で、何故かノスタルジックな気分になるから不思議だ。
 ・教会などはロマネスク様式。古くからひっそりと存在している感じ。
 ・先進的なことを必要としない、むしろ拒絶するような雰囲気さえあるが、どうだろう。のどかに、柔らかく、閉鎖的。
 ・恐らく、ザクセンやブランデンブルクよりも年上。26歳?教えないけどね。
 ・ワイマールってそういえばここでした。政治の中核を担っていたが、バイエルン発祥のナチズムにつぶされる。なんかドラマ。そんな3つも歳下の子にぎりぎりしたりはしないけど、あんまり好きではなさそう。
 ・新教の牙城。元々旧教の中心勢力のバイエルンとは仲悪そう。
 ・エルフルトはともかく、アイゼナハは道が細い伝統的な町並みなので、路面電車が走る余地がない。よってバスをよく見かける。しかも連結してる。乗る人多いならバス連結しちゃえ、ってなかなか日本にはできない考え方。アイゼナハってなんか聞いたことあるとおもったら、ザクセン=ゴーダ=アイゼナハ公国でしたね。ザクセン=ゴーダ=コーブルグ公国とくっついて更になんか足されて、テューリンゲン州になったんだった。あの町がねぇ。


○ザクセン

 ・重い。黒い。かなり歴史も深め、思慮深さ?重厚さ。とりあえず歴史を感じさせることは確か。
 ・東側ドイツの最終防衛線というイメージ。エルベ川沿いに全て物が集中。河の近くは綺麗。旧城壁の上が散歩道になっている。
 ・第二次でかなり壊滅状態にされたよう。世界中から寄付が寄せられ、フラウエン教会なんかは一から再建された。
 ・だだっ広い草原とはまた違う、緑豊かな州。ただし郊外は田舎。中心もフランクフルトやベルリンのような都会じゃなくて、都。かわいらしいというか質素。合理的な何かを感じさせる。
 ・歴代君主の絵画・芸術好きはもはや凄いを通り越して異常。ローマ法王から街一個作れるくらいの金出して絵画奪うとかどんだけだ。
 ・ルターを受け入れてプロテスタントに。が、アウグスト強王はポーランド王になるためにカトリックに一人で改宗したらしい。随分とアグレッシブでファンキーなお方。真田幸村よりはマシだが。
 ・クリスマスマーケットが一番華やかなのがドレスデン。フラウエン教会前の大きな広場で盛大に開催される。
 ・州庁舎より州財務省の建物のほうが立派。歴代君主の居城ドレスデン城は現在も州関係のあれやこれやに使われているらしい。
 ・北のフィレンツェとはいうが、エルベ砂岩の影響か、ああいう感じはしない。確かに美しさはフィレンツェに匹敵すると思うが、・・・フィレンツェだったらやっぱり赤くないと。無論、ドレスデンも綺麗ですけどね。あれはあれで好きだ。


○バイエルン
 ・来ましたバイエルン。端のほうは、掲げられている旗は大概略式の旗。
 ・ローテンブルクなどでもそう思うが、やはり保守的な傾向が強い。政治も宗教もそうだが、守りが固いのか他を受け入れにくいのか。旧教の牙城・バイエルン。テューリンゲンとは真逆。ただ、守り過ぎるあまり、その実臆病な印象も与えていると思う。
 ・バイエルンのお国柄の主張の激しさはおかしい。ちょっとした看板の背景に、水色と白の菱形。ローテンブルクの置物屋には件の柄のテディベアや焼き物。ちょっとちょっと、やり過ぎじゃありません?
 ・民族衣装、女性物は胸元の露出が多い。男の人が目のやり場に困ってた。
 ・基本的に陽気なおっさんが多く、ねぇちゃん達は色白で綺麗。
 ・焦げ茶の屋根に、白い外壁。屋根はともかく外壁は色とりどりなベルリン・アイゼナハ・ワイマールと違って白いことが多い気が。
 ・ミュンヘンの町中は、路面電車の駅といいバスといい、どことなく水色が多い気がする。ソウルカラーか。
 ・基本旧市街の建物はゴシック様式。
 ・ミュンヘンブランドのロゴは大抵正式の旗を使ってる。しかも大紋章入りの旗。
 ・マリエン広場から少し行くと、再び開けてマルクトが現れる。木の下に大量のテーブルとイスがあって、こういうところで日がな一日ボーっとしてみたい。
 ・郊外に行けばいくほど建物が近代化。中心は“アルトシュタット”=旧市街。とはいっても、やはり都会。コーヒー飲みながら道歩いてる人、若者、いっぱいいる。歴史と現在が融合した街。都会的な洗練された感じと、旧市街の歴史的な誇りを感じさせられる。
 ・マクシミリアン通りはブランド品街。300m位はあるかな?
 ・ダルマイヤーのコーヒーは、もともとバイエルン王室御用達の店だったらしい。ホーフブロイハウスも同じく、もとはバイエルン王室御用達のビールの醸造所だったが、民間に開放されああなった。ショーは八時頃から。「1ℓサイズのジョッキで、盛大に乾杯だ!」のセリフは、たぶんここのビアホール。踊りだす大人・子供。酔っ払いパワーはすごい。イタリア人にナンパされたのもここ。
・民族衣装専門店みたいのもあったが、やはり服青い。


○バーデン=ヴュルテンベルグ
 ・古城街道突っ走ってるのってここだったんだね。川沿いに町と城が広がる。峡谷というか、片側山、そこに城、下に町、みたいな。風景は、与板から寺泊に抜ける時の山の中をもっと壮大にした感じ。
 ・そしてハイデルベルク城もここ。ファルツ選帝侯の居城だったくせに、バーデンに乗っ取られてやんの。ていうかここの州、基本的に歴史の遺産ないからなぁ。乗っ取ったのはバーデンか、ヴュルテンベルグか。バーデンじゃね?にこやかに腹黒い。
  (色々とバーデン・ファルツ間にはあったらしい。いざこざがね。ってかバーデンに関する資料がねぇぇぇぇぇえええええ!!)
 ・採石場があったり、ガウディーの工場あったり。工業都市なんだろうな。
 ・そしてポルシェ、メルセデスの本社はここ。つってもシュトゥットガルトもウルムも田舎。あんまりミュンヘンやドレスデン、ベルリンのような都・都会という感じはしない。どっちかっていうとライプツィヒに感じた印象に近い。閑散としている。
 ・古城街道沿いには、地味に帝国自由都市(旧)が多い。そのせいか、都市の旗は飾ってあってもバーデン=ヴュルテンベルグの州旗は飾ってない。バーデンは知らんがヴュルテンベルグは議会と市民と王の対立が激しい国だったから、きっとその他の都市についても頭悩ませてたんだと思う。


○ヘッセン
・リンゴのワイン。意外とかわいい趣味というか、まあ。
・ビルと古い建物が、棲み分けているのではなく、共存している。欧州中銀の本部が本当にあったりして、改めてヘッセンは仕事で死んでそうだなぁと思った。でも家はやっぱりヴィースバーデン。
・レーマー広場は割と若者が集う。古さの中に新しさが見いだせる、不思議な町。(フランクフルトね。) 
・ライン川を下る。リューデスハイム、これヘッセンだったんだね。そこからラインラント=ファルツを通過し、ノルトライン=ヴェストファーレンのケルンに着なのか。ひゃっはい。
 ・どこもそうだが、川の両岸に街。流域にぞわぞわと町が広がっている。
 ・ライン川沿いだから当たり前だと思うが、意外とワインの産地でもある。が、ビールについては無い、ですかね。南部勢に取られちゃった感じ。
 ・ビル群を見ていると、改めて都会だなぁ、と思う。が、ここももとはフランクフルトとして独立していた都市だったせいか、都市の旗はあれど、州旗は無い。

○ノルトライン=ヴェストファーレン
 ・(以下ケルン)敬虔なキリスト教徒の町かと思いきや、意外とそうでもない。都会と古い建物が混じっているのはフランクフルトと同じだが、なんていうか、ケルンのほうが雑然としている感じ。意外と洗練されて無い。片付けが苦手でどんどんと物を積み上げていっちゃうタイプかな。
 ・大聖堂前の広場では、変な集会やってたり大道芸人がいたりしている。イースター前はどこも盛り上がるらしい。
 ・少し郊外に行くと、だいぶ街並みも綺麗になる。どうして大聖堂周辺はあんなに汚いのか・・・。結構道にたばこの吸い殻とか落ちてる。
 ・ケルン大学は、この国で二番目に古い大学。1386年開校か。一番目がハイデルベルク大学というのに萌える。
 ・観光用のバスがあったり、意外と観光を推してる。
 ・他は綺麗だから、恐らく、大聖堂付近の治安が悪くなっちゃって嘆いている感じ。
・大聖堂自体は第二次の時にも、英仏連合は壊そうとしなかったらしい。こんだけ良い大聖堂を壊すのはちょっと・・・、っていう遠慮。凄いね。
 ・オーデコロンの発祥はケルンの地。宮内庁御用達らしい。世界的にも有名。
 ・アウグストゥスブルク宮殿を建てたのはヴィッテルスバッハの人。つーかヴィッテルスバッハってケルン大司教やってた時期があったんですね。ロココ様式なんて珍しい。夏の離宮だったそうで、夏の食事の間は空間を冷やすために全面タイル。壁が青と白の絵柄なのは、やはりヴィッテルスバッハ意識しての事らしい。てか結構バイエルンってケルンに甘いよね。大聖堂のステンドグラスをプレゼントしたりさ。
 ・あの宮殿、今でも使われるんだとよ。




以上

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?