自分で言いに来させなよ

「あの・・・今お時間、宜しいかしら」

 私は、病室のカーテンをそっと開ける。個人医院とはいえ歴史が長いせいか、随分と病室の手入れは行き届いていた。

 ”彼”は、窓の外を見つめている。一瞬その様子が死体のように見えてはっとしたが、すぐに彼はこちらを振り向いた。

「あんた・・アリス、だっけ。見舞いに来るのに拳銃引っ提げて来るってことは、一人で来たんだ。なら狙撃に気を付けたほうが良い」

 ちらとこちらを一瞥しただけで、レッグホルスターの中のベレッタの存在を見抜くその観察眼。物言いが可笑しくても実に聡明であるのは、今目の前で話す”彼”も、私がよく知る”彼”も同じだった。

「Mad Hatter(イカレ帽子屋)」と「No.47」。この紛争の最中、日の下に引きずり出された彼の昔の記憶は、本人のみならず街中にさえ影響を及ぼすほどの暗示と催眠との齟齬を許容することができず、結果彼の脳内には現在、二人の人格が同居している。帽子屋はもっと丁寧で、かつ現実を見ていないかのような話し癖の人間だった。となると、今の彼はNo.47と呼ばれていた頃の彼なのだろう。額の包帯の下のオッドアイは、こちらを品定めするように見ていた。

「ここから2番街はすぐそこだもの、2番街で私を狙撃するような輩は、秒で蜂の巣よ。貴方こそ調子は如何?と聞きたいところだけれど・・ここ数日あまり芳しくないと芋虫先生から聞いたわ」

「ああ、宜しくないよ。俺からしたら、頭の中は14のままだってのに起きたらもうアラサーだなんて言われてるんだもの。多少の錯乱や自傷は見逃してもらわないと困るんだけれど・・・大目に見てもらえたのは二日までだった。おかげで昨日から長いチューブ経由で安定剤と鎮静剤にドブ漬けだよ、碌に頭が回らなくて困っちゃう」

 ”彼”の身に昔何があったのかという事は、私は詳しくは分からない。けれど、腕に這わされた拘束具やその下に薄っすら赤が滲む包帯が見えたり、つまりはそういったことが日常茶飯事であったのだろう。点滴チューブに繋がれた薬剤の袋の数にそっと目をそらしながら、私は「本題」に切り込んだ。

「・・・白兎から伝言を預かっているの」

「白兎?今の?俺が候補だった時からもう13年も経ってるみたいだし、とっくに変わってるんでしょ」

 不思議そうに首をかしげるNo.47--はたから見ればいつもの帽子屋なのだが――に、私はうっかり失念していたことを思い出した。私にとっての「白兎」はあの長い銀髪を一つに結わえた幼女趣味の変態執事ただ一人であるが、本来白兎という名称は、彼の本来所属している組織での役職名に過ぎないのだ。・・・何といえば伝わるだろうか。相手はいつもの帽子屋ではなく、No.47。あの白兎に与えられていた番号は、確か―――

「No.36、からよ」

 彼は、目を見開く。この伝言は、白兎が書いたという手紙に基づくものだった。私宛だというのに直接読ませてもらうことは何故かできなかったのだが、その伝言の部分だけ、ハートの女王が教えてくれたのだ。

 ああいった結末を迎えた以上、白兎の事をそう簡単に返してもらえるとは思っていない。だからしばらく会わせてもらえないことについては仕方がないと分かっているのだが―――顔くらい見せてくれたっていいのに、って。怒ってはいないけれど、一言文句くらい言わせてもらわないと気が済まないのだ。

 続けようとしたが、意外にも彼は、首を静かに横に振った。

「申し訳ないけれど、あんたの口からは聞きたくない。言いたいことがあるなら直接本人に言えって、そう言っておいて。あいつの性格考えれば分かりそうな話だけど、あいつ多分――――」

 口をつぐんで、彼は溜息をついた。分からない。その溜息は何?今、何を言おうとしてやめたの?白兎は帰ってくるわ、そうよ。だってあの日だって、私にココアを淹れてくれたんだもの。

 そうよね、白兎。

「・・・頼むから、そんな顔しないでよ。慰めの言葉なんて俺は分からないし、ベッドに括りつけられて頭ン中薬漬けにされてんだから、俺がどうにかすることもできないんだし。あとはあんた次第だよ、欲しいなら自分で取りに行かなくちゃあ・・・アリス、なんでしょ、あんた。だからそんな不安そうな顔、したらいけないよ」

 全部、見透かされてた。ぐ、とせり上がって来る想いが、言葉が、叫びが、押さえつけられて涙になって、じわりと滲む。こんな姿、非合法組織の長たるものが見せていいものじゃないって、分かってるのに。弱いままじゃダメ。不安要素は、自分で消しに行くの。

 私は、顔を上げた。泣くにはまだ早い。あの変態白兎の頬を平手打ちしてやるまでは、何があっても絶対に泣くものか。目元を袖で拭って、私は踵を返す。

「貴方の言うとおりね、それこそ私が狙撃なんてされたら、このアンダーランドがまた大戦争よ。そうなったらこの芋虫医院だって野戦病院になるのだもの、貴方だってただじゃ済まないわ」

 ふ、と口角を上げて彼が皮肉げに笑う。組織縫合やら応急手当の実技の成績悪かったんだよ俺、と笑い声が聞こえたが、もう振り向くのはやめた。次はあの変態白兎を連れてくるわ、と宣言し、私は病室を出る。そう、きっと大丈夫。きっと連れ戻せる。通りすがりの看護師に帰る旨を伝えて、私は芋虫医院の隔離病棟を後にした。

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