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1227「節操のない世界」

所属している(かつ、取り仕切っている)BASSDRUMの2019年を振り返る記事をまとめさせて頂いた。書いてあるとおり、BASSDRUMにとってはとても実りがある1年で、仕事は全体的にとても楽しかった。BASSDRUMは会社組織でもあるので、会社経営という意味でもいろんな勉強をさせて頂いたところがあるが、同時にいろいろ考えさせられた1年でもあった。

よく考えると2019年に始まったことではなく、伏線は2-3年前くらいからいろいろと引かれていたとは思うが、2019年は、自分が根城にしているニューヨークと東京を中心とした現代社会の不全状態を自分の仕事の上でも、社会情勢的にもいろいろ実感してしまった年だった。

私が生まれた1976年は、東西でイデオロギーの対立が熱かった時代で、90年代にかけての私たちを取り巻く世界情勢は、基本的には共産主義の失敗と資本主義の勝利みたいなところに収束して、しかも日本という(わりと)資本主義側の国に生まれ育ったため、もうずっと資本主義の中で生きてきてそれを謳歌してきたし、そのつもりだった(アメリカに引っ越してきてから、「これが本当の資本主義やーー!!」というのを突きつけられて、自分が知っていた資本主義は結構マイルドだったこと、日本は実際のところ結構社会主義な社会であることを知ったのだが)。

で、その、私たちの環境そのものだった資本主義が曲がり角に来ているよね、なんていうことはいろんな人が言ってきたことだったわけだが、実のところ代替案もあるわけではなかったし、ピンときていたわけでもなかった。前述の通り株式会社なんかをやっているということはこれはもう資本主義の仕組みを前提として仕事をやっているということでもある。会社っていう仕組みは、毎年毎年成長を目指していくことになる。

「サルでも描けるまんが教室」という、1989年くらい、私が中学の頃にスピリッツに連載されていたまんが入門書の体を取りながら、ギャグをまじえた漫画評論、という作品がある。

この中で、「強い奴のインフレ」という概念が説明される。少年漫画においては、最初の敵より2番目の奴が、2番目より3番目の奴が強くなる。そして最終的に「宇宙の絶対悪のエネルギー体」みたいのと戦うことになり、そこには際限がない、という話だ。

会社を経営していて、じゃあ10年後、20年後どうなってるの? というときに、今年より来年、来年より再来年という形で売上と利益を増やしていく。会社を成長させる。そして今年より来年、来年より再来年と、関わる仕事を大きくしていく。実際すべての会社が10年・20年のスパンでそんなふうに成長できたら、すべての会社がGoogleになってしまうわけだが、しかし会社というものは成長すれば褒められるし、成長しなかったら評価が下がる。株価みたいのがそれについてくる。そう考えると、会社というのは少年漫画だ。そして少年漫画は、きっと資本主義を投影している。資本主義の中でやっている限り、最終的には「宇宙の絶対悪のエネルギー体」と戦うことになってしまう。どんどん大きい仕事、手強い仕事、予算が大きい仕事に取り組んで「オラ、ワクワクしてきたぞ」なんて言って難局を乗り越える。

2019年の前半は、BASSDRUMというより私は、細かいことはまだ書けないが「人の名前使って企業価値を上げて投資を入れてまた企業価値を上げて・・・」みたいなバブルモード全開のプロジェクトに知らずのうちに関わっていて、もんわりとした違和感を抱きながらいろいろ動いていた。なぜもんわりとした違和感があったのかというと、そのプロジェクトには社会的な目標、つまり自分たちが社会にどういう影響を及ぼして行くのか、みたいな話はまあ申し訳程度にしかなくて、実態はわかりやすく資本を膨らませることにフォーカスしていたのだ。もうこれは悲しい話、起業というのは結構な場合においてそのゲームに勝つことを意識して行われるのはわかる。「良いもの」をエンドユーザーに届ける、のではなく、資金を調達するために「良さそうなもの」をつくることが優先される。「良さそうなもの」は、うまくやれば手っ取り早くつくることができる。その現実の前には、じっくり煮込んでつくられた「良いもの」は無視される。

結局そのプロジェクトは既にクラッシュしているのだが、その流れを体験してとても大事だなと思ったのが、「節操」という概念だ。節操というのは、辞書的には「節義を堅く守って変えないこと。自分の信じる主義・主張などを守りとおすこと。」だ。大事マンブラザーズ感がある。資本主義における「節操」の前提となる主義・主張、つまりイデオロギーは資本主義そのものだ。つまり、前述のような資本的成長、最終的に「宇宙の絶対悪のエネルギー体」と戦うことになる世界では、成長のためには何をしてもOKということになる。競争相手を締め出したり、競合になりそうなサービスを買収してつぶしたり、等々、成長のために仁義なき大鉈が日々振り下ろされている。

しかし、そこに別の目的、たとえば「世の中を良くしたい」みたいなものを持ち込んだとき、そんな資本主義の鬼たちは、逆に「節操がない人」に見えてしまう。で、私はその「節操のなさ」に違和感を覚えて「アレー?」となってしまったところがある。

アメリカに暮らしていて、世界のニュースにアンテナを貼っていると、同じ感覚を持って、「アレー?」となっている人がどんどん増えているのを実感できる。いわゆる、GAFA(グーグル・アマゾン・フェイスブック・アップル)による個人情報を含むデータの独占みたいなものに対する抵抗感は、日本にいると想像できないほど強まっているし、深刻な問題になってきている。周囲のアメリカ人・ヨーロッパ人はどんどんFacebookを止めている。そんな中、WeWorkのような砂上の楼閣が象徴的に崩れ始めたりする。で、その実態はとっても資本主義的な自転車操業であることが明るみに出たりする。「節操のなさ」とそれに対する批判が可視化されつつある。

一方で、ニューヨークなんかでは「別に自分個人には特に得にならないのに環境や社会に配慮する」タイプの人というのは明らかに増加していて、Impossible Foodsのような植物由来の偽肉は、明らかに市場を拡げている。この偽肉は、健康にも環境にも良い、と言われている。が、もちろん本物の肉よりマズい。かなりおいしくはなって食えるようにはなってきたが、マズい。マズい上にやや高い。しかしそのマズい上にやや高いものをわざわざ買う人がかなりいるから、スーパーマーケットの偽肉コーナーは、どんどん広くなっていき、バリエーションも増える。偽肉を食っている人たちは、別に自分個人には特に得にならないのに環境や社会に配慮する行動を取っている。マズくて高いものを食うんだから、何の得にもならない。

それの最たるものが、例のグレタ・トゥーンベリさんなのだろう。みなさんおなじみの、スウェーデン出身の16歳の環境活動家だ。彼女の評価については人によってものすごく分かれる。彼女のことをものすごく嫌っている層がいるのは明らかだ。「電車でファーストクラス乗ってんじゃねえか」とか揚げ足を取りに行く人も多い。なんで彼女のような人が叩かれるのかというと、それはもうあからさまに資本主義の敵だからだ。実際問題彼女は「大人は無限の経済成長というおとぎ話を繰り返すな」「今のシステムでは解決できないならシステム自体を変えるべきだ」みたいなことを言って資本主義に中指を立てているわけで、ドナルド・トランプなんかに絡まれるのも理の必然だし、私たちが生きてきた資本主義のシステムの中での成功者、つまり今の時代の「既得権益」を持っている人たちが彼女をボコボコにするのも理の必然だ。

先述の「サルでも描けるまんが教室」では、劇中で主人公たちが「とんち番長」という漫画を描き、ヒットを飛ばす。一休さん的なとんちを使って、とんち番長が悪の組織である「とんち教団」と戦う劇中劇だが、「サルまん」の主人公である作者たちは、ヒット後に嫌になって自分たちで連載を終わらせてしまう。しかし、編集側の意向でそれは許されず、最終回掲載後に続行が決定してしまって、「ゲルとんち教団」と戦う展開になってしまい、いろいろ方向性を変えた末に破綻する。

資本主義だから、歩留まりというものがない。元となる人気作品からはしぼれるだけ搾り取るのだ。笑い話ではなく、現実世界でも似たような末路に突っ走っている映画シリーズなんかは容易に思い出せる。この構造では、良いものができない。「続編はだいたいの場合においてオリジナルよりつらい」という問題はそもそも資本主義の限界を示唆しているような気もする。人気があるゲームシリーズなんかでも思いっきりそこに陥っているものはある。

みたいなところから、2016年のアメリカ大統領選挙を振り返ると「あー、そういうことだったのか」と思う。私は、民主党の候補争いで、なぜ多くの人がバーニー・サンダースを支持するのかが肌感覚で良くわからなかった。しかし、今思うと「民主社会主義者」を自称するバーニー・サンダースは、かなり明確にこういった資本主義オワコン状態に殴り込みをかけていたのだなと思う。見た目のイメージで、良いこと言ってるだけのおじいちゃんかと思っていた。結果ヒラリー・クリントンが民主党候補になったことで、実際の選挙はヒラリーとトランプという資本主義者同士によるウンコの投げ合いになって、よりでかいウンコを投げたトランプが勝ってしまった。そもそも、バーニー・サンダースは民主党から大統領選には出るが元々は珍しい「無所属議員」で、2016年の大統領選の後も無所属に戻っているのだ。

そして恐らく、この2019年を経て、来年はもっとこの対立構造が顕在化する。グレタさんがあからさまに怒っているように、それに対して資本主義の成功者が怒っているように、それはイデオロギーとイデオロギーの殴り合いになる。私が生まれた頃の、イデオロギー殴り合いの時代がまたやってきたのだなと思う。自分の周りにも、「膨らますこと」しか考えていないような人はまあいて、そしてどうにも噛み合う感じがしない。その噛み合わなさがもっと深刻なものになったとき、戦争になっちゃうんじゃなかろうか、とか思ってしまう。今どきの人々は国のために戦うイメージはないが、自分たちが信じる「節操」のためならグレタさんとアンチ・グレタさんのように怒って戦うことができるような気がする。

私自身も、もう、空気的にも生理的にも、なるべく自分なりの「節操」を大事にして仕事をして生きていかないと人が離れていってしまうしやってられないな、という気の抜け感が強い。「働き方改革」みたいな話も、表層的に出勤退勤時間を正規化するとかそういうのではなくて、結局対立する「節操」の戦いになってしまうような気がする。2020年、オリンピックの後がどうとかではなく、そういう中で自分はどう振る舞えば健康で幸福でいられるのかを考えなくてはいけない。

今年11月末まで1年間続けたウンコ日記を終わらせて以来、私的な文章を書く気にならなかったが、来年はこんな感じで月1〜3くらいで何か書くのではないかと思う。仕事関係の発信はもっとしていきたいとは思う。

本年も大変お世話になりました。来年もよろしくお願い致します。

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