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0123「これが働き方改革や!」

昨日は日中と夜合わせて打ち合わせが7つもあり、完全に疲れた。昔みたいに1時間以上の打ち合わせはあんまりしないようにしているが、それでもこれだけ量があると作業の余力が削られてしまうので、とてもごつい。

毎日の20分勉強は、昨日ARKit入門が終わったが、この本の最終章のARKit+Metalの最後らへんがそこそこわからなくなったので、理解しなければと思って同じ堤さんが書いている「Metal入門」をやり始める。

ホニャララGLみたいなもんだという理解はあったし、ホニャララGLの仕組みは理解しているので、概ねついていけている気もするが、パイプラインとかあのへんで結構わけわからなくなった。

たぶんそういう読者を対象にはしていないような気がするが、VertexShaderとかFragmentShaderの理屈をわかっていない状態でこの本を読んでも全然ついて行けなさそうな感じはする。あと、冒頭に書いてあるように、現代社会においてGPUの気持ちを理解することはとても大事なような気がする。

という専門用語を連発しているが、私が仕事で触っている世の中のいろんな技術というやつは、本当に豊かな世界で、「よくこんな仕組み思いついたな天才か」というような仕組みに満ち溢れている。上記の「VertexShader」は、この場合、「3Dデータの各頂点に対して同じような計算・処理をする命令を書いてそういう単純作業が得意なGPUにその命令を実行させる」というものになるが、どうやったらそんな素敵で合理的な仕組みを思いついて仕様化できるのか、常人には理解できない。偉すぎる。

ので、ちょっと知識があれば、プログラミングや技術の勉強っていうものは普通にエンターテインメントとして面白いところがあって、文学的ですらある。小説読んでるよりか技術書読んでる方が楽しい場合というのもあるように思う。いや、小説のほうが楽しいような気もするが、技術を知るということは何しろ人の叡智というものを垣間見る行為ではあるので、なかなかドキドキするものだと思う。時として、プログラミングの中にある概念は「世界をどう解釈するか」みたいな話である場合すらある。上記の、「CPUで設計書書いてキューに突っ込んでGPUにやらす」みたいのって、仕様というより世界観に近い気がする。

現代の人工「知能」の礎というか、基盤になっている機械学習とかディープラーニングの大事なところは、世界中のGPUのおかげで発達したところがあると思うが、GPUっていうのは一番知能と離れたところにある、むしろもう言われたことを愚直に繰り返すしかない機構なので、「全然知能じゃないものがすごい頑張って結果的に知能めいたものをつくり出している」ということになっていて、非常にぐっと来る。なんかよくわからないけど「労働組合や! 働き方改革や!」みたいな気分になる。

「はたらく細胞」の読後感って技術書に近いと思っていて、あれは「人体の仕組み・概念ってスゲー」というのが根底にあって、擬人化を通してそのへんの興味を刺激してくる。読んでいない人のためにすごくつまらなそうな紹介をすると「はたらく細胞」というのは擬人化された細胞たちが雑菌とか病気とかと戦う漫画だ。主人公のボーイッシュな女性は、赤血球だ。

プログラミングやテクノロジーでもこういう説明表現が出てくると良いのに、と思う。

個人的には子供に手段というか技術としてのプログラミングを教えても、どんどん進歩しちゃうし、それは「技術」であるがゆえに結構反復というかスポーツ的な練習も要するわけなので、1回とか2回とかの授業でどうこうなるものではないわけで、「プログラミング教育」みたいなことを謳うときにもっとそれが立脚する思想とか煮詰められ続けてきた哲学を教えたほうが良いんじゃないかと思う。いや、それがコンピュータ・サイエンスというものでもあるのか。

教える教師によっては確実に眠れる授業になりそうだけど。

みんなにも読んでほしいですか?

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