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0708「『臭い』を仕事にする」

アイデア出しというか、ブレインストーミングというものが、嫌いなわけではなくて、苦手とまでも行かなくて、まあもちろんその中で何がしか良いものをつくってきた部分もあるが、ずっと「これやってるとこぼれてしまう、言葉ではわかってもらえないんだけど妙に人が動いてしまうような何か」というのはあるよなあ、と思っていた。

なんでかというと、そういう会議体で採択されるアイデアっていうのは、参加者の合意というか、反応とかも含めて、「これいいんじゃない? これで行こうよ!」みたいな感じになったものになるわけであって、つまり、いろんな人が、アイデア説明の段階で「いいね」となったものが残ることになる。あるいは、座長であるクリエイティブ・ディレクターみたいな人が採択したものが残るようなこともある。

もちろんそれは合理的で、広告とかの業界では、太古の昔から「一言で説明できるのが良いアイデア」みたいな伝説があるし、簡単に周りに理解してもらえるものは、より多くの広告なり表現の受け手に理解してもらえる、というのは合理的だ。

これはまあいい。普通にそういうプロセスで何かつくってうまくいくことはある。

ところが、そういうものをすっ飛ばして勝手につくったものが妙な反響を呼ぶことがあって、それが非常に厄介だ。なぜかというと、そういったものは全くと言っていいほど、言葉で説明してもわけがわからないからだ。

例としてはいくつかあるが、わかりやすいのが、ニューヨークで二度行われた「インターネットヤミ市」に個人で出展した「作品」たちだ。

初回でやったのは、こういうものだ。

大きめのテントの中にプロジェクターを設置。そのプロジェクターから、地球の反対側、夜の東京の実家のリビングで寝ているうちの父の姿をライブ中継。中継を見ている間は、手の甲に木工用ボンドを塗ってもらって、乾いたらそのボンドを剥がしてテントを出なくてはいけない。剥がしたボンドはテントの真ん中に置いてある容器に納めていってもらう。中では、ニューヨークの路上アイス屋さんの有名なBGMがスローになったやつが流れている。テントの入場料は1ドル。

自分で書いていても全く意味がわからない。ただ、なぜか「これだ!」という確信があって、家族総出でやってみた。

なぜか、ニューヨーカーたちがどんどんお金を払ってテントに入っていく。そして、「人生が変わったよ!」と興奮して出ていく。寝ている父の姿を見るために行列ができた。

画面の中の父は寝ているので動かない。扇風機だけが回っている。が、父がちょっと寝返りを打つだけで、テントの中で歓声が湧き上がる。

最終的に200ドルの収益が上がり、大量の手の甲から剥がした木工用ボンドが残った。

取材も受けて、記事にもなった。その収益で、家族で焼肉を食いに行った。

とりあえず私がものすごくやせている。

次の回には2つのものを出展した。1つは、夜の東京の路上にモニターを設置して、1ドル払うと好きなウェブサイトをそのモニターに映すことができる、というもので、これは全く受けなかった。

もう1つはこういうものだ。
会場の離れの密室に懺悔室みたいのをつくって、真ん中に、iPadでコントロールできるテレプレゼンスロボットを置く。
そのロボットの顔の部分のiPadには、東京在住の私の友人がアクセスしていて、ライブで会場とつながっている。ロボットには、箱がついている。 

懺悔室に入るのは無料だが、入った人は、東京からつないでいる私の友人に向かって、自分がいつも使っているパスワードを告白しなければいけない。
パスワードを告白すると、私の友人がロボットを揺すりながら、「Give me money」寄付を促す。

これも、書いていてさっぱり意味不明だと思うが、やはり行列ができて、「これはとんでもないアートだ!」などと言って目をキラキラさせて出てくる人などがいた。寄付も200ドル以上集まり、家族で焼肉を食いに行った。

これらの「アイデア」は、普段の仕事の会議などでは、まずもって提案しないだろう類のものだ。ブレインストーミングのような会議体で理解を得られるとは思えないからだ。提案したとしても、参加者の頭上に数秒間「?」が浮かんだ末に、「じゃあ、他には?」と言われるようなものだ。もしかしたら、「あ、もういいや」って言われちゃうかもしれない。

しかしながら、実際に好き勝手やってみる機会を得ると、なんかやたらと盛り上がる。

こういうような経験を通して、「一言で説明できるのが良いアイデア」という伝説に疑問を抱くようになってしまった。たぶんそれは、効率的に最大公約数のアイデアを見つけるための方便で、本当は、もっと個人の狂気を煮詰めたところに正解があることもあるのではないか、と思っていた。

その枠組だとなかなか、自分のアイデアを純度の高い形で仕事としてアウトプットしていくのはきついよね、というのもあって、本業である技術屋の方に時間を使うことにして、お金を貯めて、老後にメディアアーティストになろうと思っていた。

数日前にタイムラインを賑わしていた、コンテンツ会社のチョコレイトの栗林さんのセミナー。東京にいたらとても行きたかったが、まあいないのでまとめ記事で追っていた。

そこでまさに、「会議から始めない」「とりあえず好き勝手につくってみて育てる」というのがこれからの考え方だよね、ということが語られていて、「それやーーー」と思った。確かに、組織としてのアイデアの作り方をそのように変えてしまえば、狂気を純度の高い形で受け手に届けることができるかもしれない。そのやり方を確立すれば、老後にならなくても自分が理屈ではなく実現してみたい「匂い」というか「臭い」みたいのを仕事にできるかもしれない。

というわけで、わりと目から鱗ではあった。東京にいる間にいろいろ仕込んでみようかと思う。