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0612「煙草やめたくなる文章」

ここのところわりと、ニューヨークの冷たい風にやられてきた感があって、一昨日帰ってきてから、街に出るのすらやや辛い気分だった。今日は現場に戻っていろいろ調整していた。リアルタイムには書けない気持ちの動きがたくさんある。いまは臥薪嘗胆を唱えるほかない。で、その上に体調が悪く、さらに時差ボケで眠れない。総じて言うと、景気の良いことが書けない。ただ、こんなところに愚痴を並べても仕方ないので、多少はましなことを書こうと思う。

昔は体調が良くなっているかどうか、煙草がおいしいかどうかで判断できたものだ。

煙草を完全にやめてもう四年になる。次男が生まれてしばらくしてやめた。その次男ももう5歳で、その間にさらに子供が増えた。

煙草というのは、一度やめることに成功すると、それでもそれなりに喫いたくはなるが、一番の抑止力は、またニコチン中毒になると面倒なことになる、というのがでかい。いちいち外に出なくてはいけない。そもそも煙草を買いに出かけないといけない。運動するとつらい。みたいないろんな事象が束になるとかなり面倒くさいことになるし、ニコチン中毒になるとその面倒くさいいろいろをやらざるを得なくなる程度には中毒になるので、まあその面倒くささを想像してうんざりして、喫いたいけどやっぱり喫わないという判断になる。

中毒っていうのは、何がしか面倒くささがつきまとう。酒に依存しかかったこともあるし、ギャンブルはどちらかというと好きだ。しかしとにかく各々に入り込み過ぎると面倒くさいことになるから、まあ適当なところでやめておく、ということになる。しかし、人間この、適当なところでやめておく、ということほどつまらないこともない気がする。

そういう意味では、私は適当なところでやめる人になってしまっているな、とも思う。ああ、ネガティブな話になってしまった。

とはいえ、煙草とかアルコールとか、まあもちろん依存症というのは病気なのでそれでやめられるようなら苦労しないが、そこまで深刻でない人は、煙草をやめると生活の中の面倒が結構ドラスティックに減るので、何かをやめるというよりは、それまで自分は大リーグボール養成ギプスみたいなものを装着していたのだ、という感覚で、これからそれを外して本気モードになるのだ、いよいよ自分は本気を出すのだ、みたいな気分で行くとうまくいくような気がする。

思えば、それだけわかりやすく生活のいろんなものを変える方法がある、ということだし、考えようによってはこれだけ手っ取り早く自分を変える方法なんて他にはないから、煙草を喫っている人は逆に自分を変えるための大きな隠し球をまだ持っている、まだワンチャン確実にある、ということすら言える。

人間、そんなに簡単に変われるものではないが、いま煙草を喫っている人は、確実に多少マシになる方法を1つ持っているということになるので、ある種恵まれている。

私なんかもうやめちゃっているので、これ以上どう変われば良いのかわからない。逆に煙草を喫っている人が羨ましいとも思う。

気分と体調がひどいので、無理矢理良いことを書こうとしたら、意外に結構良いことをかけた気がする。誰かこれで一人でも禁煙に成功したりしたら、体調崩した甲斐があったなと思う。