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1029「オーストラリア弁は萌える」

今週は深夜までのミーティングがすごく多い。日記を早めの時間にバーっと書いておかないとひどい時間に書かざるを得なくなってすごく疲れるので、合間にばばーっと書く。

しばらくちょこちょこ見ていた日本の「バチェラー・ジャパン」のシーズン3を見終わった。「一人の金持ちイケメンを20人以上の女子が奪い合う」という構図は、まああまり趣味の良いものではないだろうし、私も子供の前で見てたりすると怒られるし、ある種のポルノであろうとも思うが、参加者は、男性も含めて特殊な状況に追い込まれて特殊な制約の中でとても必死で、それはやはりドキュメンタリーとしては見ていてとても面白い。中には、この「一人の金持ちイケメンを20人以上の女子が奪い合う」、そして毎週女性が脱落していくというルール・図式の中で、このゲームに勝つことだけが目的化している参加者もいるだろう。それもすごく人間っぽい。

https://www.amazon.co.jp/gp/video/detail/B07SRSFJ9M/ref=atv_dp

すごい昔に考えたアート作品的なもので、うちの父に「ジョナサン・フリードマン」と名乗らせて、彼がフィーチャーされている雑誌の表紙や、かっこいいポスター等をつくって、そういう「メディアっぽい付加価値」を無理やりつくった上で、「ジョナサン・フリードマンに会える権利」を高額で売る、というものがあった。そういうのも結局、近代のメディアがつくった付加価値のルールを逆手に取って、そういったものに対する人間の同調性を呼び起こして、最終的に実質的に「うちの親父に会う権利を1万円で売る」みたいな無茶を実現する、という話で、実際にいかなイケメンであろうとこんな20人もの女性に一斉に囲まれる、という状況はそもそもそういう付加価値システムを利用しないと実現できないことではあると思うので、この番組は、「よくできたアート作品(あるいは社会実験)」だなあとすら思う。

ちなみに、上記のアイデアは8年くらい前に一度違う形で実現していて、うちの父を小部屋に閉じ込めて、父のポスターやグッズを売ったりして期待感と付加価値を盛り上げつつ、500円を払うと小部屋の中のうちの父と5分間、実際にしゃべることができる、ということをやって、結構多くの人がうちの父としゃべった。

で、日本のバチェラーは他のも見ているが、本家のアメリカ版を見たことが無かったので、仕事をする横で流し見してみた。

基本的な構図は違うが、やはりバチェラーを取り巻く女性が人種的にも職業的にもかなり多様なのは違うなと思った。そして面白かったのが、このシーズンのバチェラー(というか、最新版の人だが)が、自分が童貞であることを公表しているということだった。で、参加者の女性が、結構露骨に「あなたのチェリーを私が割ってあげるわよ!」とか言っていじる。2人になったときに、「なんであなたは童貞なの?」とかも平気で聞く。日本版だとそこまでのセクシュアルな表現は全然無いので、「えええっ!」となる。

しかし、スナップチャットの社長(ミランダ・カーの旦那)も、「結婚するまで何もしない」と宣言していて、童貞説もあったりしたので、案外、こちらでは日本でたまに炎上したりするみたく「童貞」=かっこ悪い、ではないのかもしれない。私の周囲にはそういうことを公言する人はいないけど。

で、日本版と違うポイントはもっとあって、割と初回からバチェラーと参加者の女性がmouth to mouthでチューしたりする。日本版は、まあまずこれはなくて、チューというものがある種神聖な行為として、最終回に1人が選ばれるまで行われない傾向にあるので、初回からいきなりそういうことをしていてとても驚いた。

一番面白かったのが、アメリカ出身なのに、オーストラリア訛りの英語をしゃべっている女性がいて「かわいく見せるためにわざとオーストラリア訛りにしてる」ということを告白していたりしたことだ。私の知り合いにもオーストラリア出身者は結構いるが、確かにわりと独特だ。ところが多くのアメリカ人男性は、女性がオーストラリア訛りでしゃべっていると結構「萌える」らしいのだ。

これは、日本でいうと、「博多弁や広島弁の女の子がかわいい」みたいな話に近いのだろうが、不覚にも6年間アメリカに住んでいて知らなかった。調べてみると「セクシーな英語の訛りランキング」みたいなウェブサイトがちょこちょこあって、確かにどこのサイトでもオーストラリア・ニュージーランド訛りは上位に来ている。

他に上位なのが、アイルランド訛りやスコットランド訛り、フランス訛りあたり。そして日本訛り・アジア訛りはかなり評価が低い。

オーストラリア訛りは、「No」を「ナーイ」みたく言ったりする気がする。確かに結構特殊だ。下記のビデオはわかりやすかった。

ともあれ、話を戻すと「人気」とかそういうものって無形の同調的価値なところがあって、Twitterみたいなシステムがとても辛いのは、そういうマスメディアっぽい価値をインターネットという自由な環境に持ち込んだところで、そのへんを理由として私は「ソーシャルメディアはインターネットの退化」だと考えているが、もういろいろ書いたので明日書く。明日書くと宣言して実際に次の日に書いたことはあまりないので、たぶん書かない。

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