0417「飛光よ、飛光よ」

ロサンゼルスから帰り、頼まれていた東京からの荷物を友人に渡して、やっと自宅に戻ってきた。もう既に家族は寝ていて、一人でお土産の仕分けをした。カバン内で、実家の母に託されたマーマレードが微妙に爆発していて、すべてがベタベタになっていた。

いつになく長い旅だった。ロサンゼルスにいろんな人で集まってプロジェクトを進めて、東京のサウナでその筋の人と親睦を深め、京都〜大阪に出かけて抹茶買って、岡山オフィスで仕事して、岡山の皆さんとうどんを食って、大阪でプレゼンして、東京に戻って間伐材食ったと思ったらすぐに台湾に向かい、真面目な話をしたりイベントをやったりして、東京に戻ってサウナに行ってシロコロホルモンを食って、東京でもイベントをやり、帰りにロサンゼルスに寄って行きに仕込んだやつの進捗確認、という感じで、いろいろなところに行った。

こう長く移動ばっかりしていると、旅路がやや「深夜特急」な感じになってくる。実際問題、この日記にも書いた通り、深夜バスでも移動したし、カプセルとかサウナのリクライニングで寝ることが多かったし、ある種、仕事にことよせてバックパッカーをやっているようなところもあった。 

「深夜特急」は言わずもがな、沢木耕太郎による乗合バスによるユーラシア横断の旅を描いた旅行記で、旅というものの良さ、自由というものの味わいを3巻に渡って展開する、放浪傾向にある人間たちのバイブルだ。私の場合、どこに行ってもギリギリまで宿泊する場所を決めない癖なんかも、この本の影響がとてもでかい。

この本の中では、旅が人生になぞらえられる。旅立ったばかりの若年期、旅に慣れてきた壮年期、旅が終わろうとしている老年期。

「深夜特急」の中で印象的な場面は多々あって、後年実際に行ってみたりもしたけれど、一番好きなのは、ギリシャからイタリアに船で地中海を移動する際に、筆者が昼間から明るい陽射しの中でバランタインを飲んでぐでんぐでんになりながら、そこまでたどってきた旅路についてそこで出会った女性に語りながら、旅の終わりを感じで感傷的になるシーンだ。この筆舌に尽くしがたい、「旅の終わり」の感じは、長旅に出たことがある人ならば、誰でも共感できるはずだ。

そこで、初めて登場するのが漢詩から引用した「飛光よ、飛光よ、汝に一杯の酒をすすめん」というフレーズがある。勢いとか、自由とか、未来が広がっている感じとか、過ぎ去っていく光を感じながら酒を呑み、さらには時間に酒を捧げる、みたいな感じだ。

別に仕事だったので自由もへったくれもなくてずっと仕事していたが、LAの取引先で夕方の打ち合わせが終わって、「いいウイスキーがあるから飲んでけよ」と言われて、彼がコストコの店員に詰め寄ったら隠しているのを出してきたという、サントリーの響をすすりながら夕日を感じたとき、自然に「飛光よ、飛光よ、汝に一杯の酒をすすめん」などというフレーズが去来した。「ああ、この旅が終わるんだなあ」と思った。今回の旅は、そんな気にさせるほど「旅」だった。

過ぎ去った時間は戻ってこないし、また私は戻ってこない時間を何かに換えるため、あるいはただ消費するためにどこかに出かけるのだろう。

お土産や荷物を整理していたら、寝ていた次男が起きてきて、寝ぼけ眼で迎えてくれた。私が第一世代なら、この子は私が旅に出ている間に「人生再設計第二世代」になっちまったんだな、と思って、寝顔を覗き込んだ。家に帰ってきたし、金曜日からはイースター休みだ。ゆっくり人生再設計しようと思う。

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