1226「メタバースと銃社会」

2017年の10月1日は、まあ大変な日だった。翌日にラスベガスで打ち合わせがあるので、前の日からラスベガスに入っとこうと思って夜の9時くらいに空港に着いて、すぐにタクシーに乗って宿泊先のプラネット・ハリウッドに向かった。その途上、マンダレイ・ベイの横を通ったはずで、大きな野外コンサートをやっているのを見たはずなのだが、あんまり覚えていない。スマホでも見ていたのだろう。数十分後、その野外コンサート会場で、アメリカ史上最も多くの死者を出した銃撃事件が発生する。

結構長いんだけれども、あの日にfacebookに投稿したレポートを転載しておく。

全く愉快なことではないのですが、また例によって珍しい体験をしたので、記憶が鮮明なうちに書いておきます。

1日だけラスベガスに弾丸出張する必要がありまして、住んでいるニューヨークから1日の日曜日の夜に着いて、3日火曜日の朝にラスベガスを発つという予定で行くことになっていました。

私はまあ、周囲の方々はご存知の通り、カジノ大好きというか、サイコロ(クラップス)大好きなので、誤解されるからこの出張もしれっと行って何も言わずに帰ってこようと思っていました。

で、日曜日の午前中から息子の宿題見たりとかいろいろやって、午後にJFKに向かって、飛行機が微妙に遅れつつ、ずっとやる時間がなかったドラクエを空中で進めつつ、ラスベガスのマッカラン国際空港に着いたのが、9:15PMくらい。シャトル乗ったりバタバタしつつ、タクシー捕まえて、宿泊先のプラネット・ハリウッド・ホテルに到着したのが10PMジャスト(夕飯を食っておらず空腹だったので、糖質制限者にとっては選択肢が広がるカジノのビュッフェに行きたかったのだけど、ちょうど10時の閉店時間ギリギリで入れなかったゆえによく覚えている)。仕方がないからいったんチェックインして荷物を部屋に置いて、何せ空腹だからすぐに1Fのカジノフロアに下がって空いている飯屋を探しました。

この時点で、たぶん10:15PMとかそのくらい。実は、私が部屋に上がって荷物を置いたりしている間に、そこから歩いて25分くらいの場所(しかし、ラスベガスは1つ1つのブロックがでかいので、隣の隣くらいのブロック)で、アメリカの歴史上最悪の乱射事件が始まっていました。ニュースによると、銃撃が始まったのが10:08PM。ニュースではそこから15分〜20分程度銃撃が続いたとのことなので、惨劇が終わった時間が10:30PM前後。

で、レストランを見つけて、中華系の牛肉炒めを注文して、隣でお姉さん2人連れが食っていたエビの唐揚げみたいのが美味しそうだったのであまりに凝視しすぎて気づかれて、1個恵んでもらいつつ、食事を終えたのがたぶん10:45PMくらい。

食事を終わってカジノフロアを通りつつ、「仕事なんだから遊んじゃダメだ」なんて思いつつも、クラップスのテーブルをちょっと覗いてみたそのくらいのときでした。誰かの叫び声がして(したような気がしただけで記憶が定かではない)、そこにいた人たち全員が、バッと床に伏せて、カジノのテーブルの下に身を屈めて隠れたのです。

私も咄嗟に反応して、見ていたクラップステーブルの下に潜りました。悲鳴みたいなものはなく、みんな息を殺していました。そこにいるすべての人がそこから動こうとしません。横の人に小声で「何?」って聞いても「I don't know」と言うばかり。

このご時世でアメリカだから、それは普通に「え? テロ? 乱射?」みたいには思いました。当然、「なにこれやばい。こんなところで死ぬのとか嫌なんですけど。」などと考えました。

遠くで叫んでいる人がいます。何言っているのかはわからない。走っている人が2〜3人いて、「やばい、こいつらがテロリストだったらこっち来たら殺されるかも。来るなー!」なんて祈りつつ、息を殺し続けるしかありませんでした。このへんの時間帯が一番怖かったです。実際、銃声とか聞こえないか耳を凝らしました。それらしい音は聞こえませんでした。

しばらく様子を見ても何も起こっていない感じだったので、もうちょっと奥まったところに移動したほうが良いかも、と咄嗟に思って、クラップステーブルから、近くのレストランの方に走り出しました。他の人たちはまだじっとしていました。

なるべく奥に行かなきゃと思って、ハンバーガー屋か何かの奥のキッチンに入り込みました。逃げ込んできた人たちが他にも結構いました。そこでやっと、「何があったの?」とその人たちに聞いて、「外で銃撃があって、犯人がこっちに来ているらしい!」という情報を得ることができました。

しばらく、キッチンから外の様子を伺いつつ、待ちました。だんだん人がフロアに戻っていって、カジノテーブルに隠れていた人たちも出てきだしたので、大丈夫かなと思って、自分の部屋に向かうことにしました。その途中で、倒れて取り押さえられている人がいました。「え?! こいつが犯人?」と思いましたが、恐ろしいのでそのまま走って部屋に続くエレベーターに向かいました。

エレベーターには、どんどん逃げてきた人たちが駆け込んできました。泣いている女性とかもいました。みんなが、恐怖に顔を歪めていました。自分の部屋があった22階で降りたら、そこには何人か「宿泊客じゃないけどとりあえず安全な場所に上がってきた」ような人たちが座り込んでいました。

「何か詳しいこと知ってる?」と聞いたところ、「マンダレイ・ベイ(実際の乱射の犯人がいたホテル)のカジノで乱射があって、その後犯人はMGMグランド(その隣のホテル)に行ってそこでも乱射した。その後こっちの方に来ているらしい」とのことでした。

実際に、ラスベガス。ストリップ通りを北上するとマンダレイ・ベイ、MGMときて、次はこのホテルの周辺だったので、リアリティのある情報でした。ラスベガスは何回か来たことがある街ですし、マンダレイ・ベイの別館のDELANOにはつい3ヶ月前に宿泊していたので、そのへんの地理関係は理解していました。マンダレイ・ベイのカジノのバーで酒を飲んだりしたこともあったので、そこで銃撃があったというのは、かなりイメージしやすかったですし背筋が凍りました。

部屋に戻ってテレビをつけて、CNNやNBCにして情報を追いました。このくらいの時間はメディアも情報が錯綜していて、実際、さっき聞いたのと同じように「犯人はベラージオ方面(私のホテルの方向)に走った。建物の中にいる人は絶対に外に出ないでください!」とかそういう情報が流れていました。

このくらいのタイミングで、いろんなニュース速報も流れたみたいで、会社の社員とかから「Qanta、いまラスベガス? 生きてる?」みたいなメッセージが届き始めます。

しかし、ようやく、「これで死ぬことはなさそうかな」などと一息ついて、ニュースを見続けました。

1時間位すると、ニュースの方もだんだん落ち着いてきて、「犯人は1人。もう制圧している」とかそういう情報がラスベガス警察の記者会見で出てきたりしていました。

喉が乾いていて水を調達したかったのと、下の様子を見てみたくて、一度カジノフロアに下がってみました。

当然ながら、カジノフロアには誰もおらず、プレイ中のチップが放置されたまま散乱していました。

ガードの人がやってきて「いまこの時間は外に出ないでください。どうしてもというのなら自己責任で止めないけど、命の保証はしません」みたいなことを言われました。「宿泊客じゃないのならば2階のロビーに水を用意してあるからそこで待機しててくれ」と言われ、水が欲しかったので上がると、自分のホテルに戻れなくなった人々が床にザコ寝していました。

まだ泣いている人もいました。#写真は、このへんのタイミングで撮影したものたちです。

次の日になり、普段はラスベガスを彩っているデジタルサイネージ(看板)も、祈りや、献血の呼びかけなどになっていて、街全体が静かでした。

そんなわけで、よりによってこの日と次の日だけ、よりによってこんな場所にいていろいろ目撃しました。何で私のホテルでも、あんな感じでみんなが床に伏せるようなことになってしまったのかはわかりません。Twitterなどで追ってみると、「プラネット・ハリウッドでも確かに銃声を聞いたのに、何でどこも報道しないの?!」みたいなものもあったのですが、その中で、「マンダレイ・ベイの銃撃から逃げてきた人たちが、『銃撃犯が追ってきている、逃げろ!』と叫んでホテルに入ってきた」というのがあって、私も「あーたぶんそういうことなんじゃないかな?」と思っています。時間的にも、銃撃から逃げ切って、現場から私のホテルまで走って15〜20分と考えるとちょうど良いタイミングだったので。

亡くなられた方々のご冥福と、傷を負われた方々のご快癒を祈る以上に何もすることができないのですが、銃規制がグダグダなこの国で暮らすということは、こういうことに巻き込まれるリスクでもあるということであると、リアリティを持って理解することができました。私が住んでいるニューヨークでも、いつこんなことが起こっても不思議ではありません(どころか、ここは9.11が発生した街ですし)。

そのへんについて、いろいろ思うことも無くはありませんが、まずは自分の体験をきちんと記録しておきたかったのでファクトだけ書いてみました。ちょっと条件と時間がずれていたら、私も巻き込まれていたかもしれません。無事で良かった、というよりは、無事でラッキーでした。怖かったです。

自分のfacebookより

当時の写真もいくつか載せておく。

誰もいなくなったカジノフロア
集まってニュースを確認する人たち
自分のホテルに戻れなくなっている人々
ホテルから非常用に配られた水
チップが打ち捨てられたカジノ。これはとても非日常な光景。
自分のホテルに帰れなくなってザコ寝する人たち

いや、今思い出しても背筋が凍る。恐ろしかった。

それ以来、ちょっと怖くてできなくなってしまったことがあって、それは何かというと、アイススケートだ。

ニューヨークという場所は、緯度でいうと八戸とかに近いので、東京とかより全然寒い。ゆえに結構アイススケートが盛んな場所で、スケートリンクがたくさんある。

私たち家族は、ニューヨークに移り住んでからスケートをやるようになった。私も、全くアイススケートなんてできなくって、最初のうちは全然意味がわからなかったが、そのうち滑ることができるようになると、ああこれは愉快なものじゃないかということで、マイシューズまで購入して、毎週のように滑りに行っていた。

いつも行っていたのが、タイムズスクエアの近所のブライアントパークに毎冬設置されるスケートリンクだった。開けた公園の真ん中のスケートリンクで、みんなキャッキャ言いながら滑る。

のだが、この乱射事件ニアミス以降、行くのが怖くなってしまった。「こんな場所格好の乱射対象じゃないか」と思ってしまったのだ。

ラスベガスの屋外コンサート然り、テロリストはなるべく、楽しそうな人たちが集まっていると乱射をしたくなるのではないか。そっちのほうが世の中に与える衝撃はでかいだろうし、楽しそうな人たちが憎くて殺戮したい人というのもいるのだろう。

アメリカに住んでいると、こういうような感覚というのは当然リアルだ。

一方で、地方に行くと、そもそも車で長時間移動しないと人と会うことすらできない、広い国でもある。

人間にはコミュニケーションが必要だ。みんなで集まって楽しむことも必要だろう。ところが、特にアメリカでは、集まるのが物理的に非常に面倒だし、集まったら集まったで、銃撃やら何やら、リスクがでかい。

アメリカでは、人が集まるのが大変なのだ。

そう考えると、いま、この時代にいろんな人が「メタバース(現実世界とは異なる3次元の仮想空間)」なんていうことを言い出しているのは、日本人にとっては唐突な感じがしてしまうかもしれないが、自然の流れであるようにも感じられてしまう。

人が集まるのが大変でリスクもでかいアメリカの人々にとって、メタバースは、必要に迫られてつくらざるを得ない「物理的制約なく集まれて、銃撃されるリスクがない」理想郷なのではないか。そもそも日本にいて感じてしまう「本当にこんなん流行るのかな?」みたいな感覚と結構違うのではないか。

そんなことを強く感じさせるのが、私が7月に日本にやってきてから毎日通っているイベントだ。

イベントというと大袈裟だが、毎朝6:30AM、近所の広場に行くと、近所のおじいさんおばあさんが大量に集まって音楽に同期して身体を動かしている。そう。ラジオ体操だ。私は日本にやってきてから毎朝、老人たちに混じってラジオ体操に参加するようになった。

facebookの社名が「Meta」に変わった日の翌朝、いつものようにラジオ体操に参加していたときにハッと思った。「これって、リアルメタバースじゃなかろうか?」

ちなみにこれが、今朝のラジオ体操の様子。自分でも体操しなきゃいけないので最初だけです。

リアルメタバースってなんだよ、とも思うが、この国では、足腰の弱い老人でも、ちょっと歩けばこんなたくさんの人で集まることができるし、当然銃撃の心配なんて全くない。平和で牧歌的で日常的なラジオ体操だ。日本という国では、こんなにもカジュアルに、こんなにも意識せずにこんなことができてしまうのだ。

だからきっと、日本にいると「メタバースって本当に流行るのかな?」みたいな感覚になってしまうのだ。

コロナ禍は、たまたま日本人にも「集まるリスク」を感じさせる出来事だった。しかしそれはたぶん一時的なもので、しかし、日本の外に出ると結構事情が違う。

今後、一つの文化としてのメタバースとかバーチャルとか仮想現実とかを考えていくときに、こんなようなある種の「国際感覚」は、結構重要になってくるのではないだろうか。

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