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0429「平成最後のお言葉」

こういうことを書く人はたくさんいるのだろうけど、どうでも良いが、いろんなものが「平成最後の」になっていく。この日記を書いている時点でたぶん平成最後のプレゼンみたいのは終わったし、平成最後のカレー作りも、平成最後の洗い物も終わった。

で、ニューヨーク的には今日の夕飯が平成最後のディナーということになる。そんなときに、ニューヨーク在住、もうあんまり広告仕事やってないけどいわゆる「広告界のイチロー」であるレイ・イナモト氏と飯食おうぜという話になったので、自分にとっての平成最期の夕食は、あのレイ・イナモトということになった。普段誰とめしを食ったとか書かないが、今日は平成最後なので記録しておく。

業界の外の人はきっとよくわからないかとは思うが、若くしてアメリカに渡って、世界のデジタル広告クリエイティブの最前線で成功したやばい人だ。

そして、あのレイ・イナモトの平成最後の夜めしを私ごときがゲットすることになった。レイ・イナモトの平成最後の夕食は歴史上一度しかないので、その歴史上一度しかないレイ・イナモトの平成最後の夕食を一緒に食ったのは、この私だ。これからは、「レイ・イナモトの平成最後の夕食を共にした清水です」と名乗ろうと思う。私は、「広告界のイチロー」であるレイさんに対して、「広告界の二郎」(ラーメンの話です)を自認しているので、一朗と二郎が平成最後にめしを食ったということになる。アブラマシマシニンニクカラメだ。

で、相手がレイさんなので、当然ながらいろんな話を聞いたし、すごく面白かった。私はレイさんに、ベッドバグの恐ろしさを語り聞かせた。

これは一応平成最後の日記になるはずなので、むりやり平成を総括しておこうと思う。

平成元年は中学1年で、つらい思いをして中学受験をやって、中学に入った。入学式。ブラスバンド部による入場行進曲、「星条旗よ永遠に」的なものだったかと思うが、その音圧に圧倒された。中高一貫の学校だったので、高校生のプレイヤーも含めて、それまでの小学校のなんちゃってブラスバンドに較べて、本格的だったのだ。

「あの伸び縮みする楽器はなんなんだろう? どういう仕組みなんだろう?」、入学式の間、ずっとトロンボーンを見ていた。

で、ブラスバンドに入って希望通り(いや、途中で一瞬トランペットも良いかなと思ったが)トロンボーンを担当できることになった。初めてマウスピースに口をつけて、吹いてみたが、全く音が出なかった。

それから30年、平成の間ずっと、トロンボーンを吹くことになった。平成=トロンボーン歴、トロンボーン歴30年だ。毎日吹いている時期もあれば、そうでもない時期もあった。30年経っても完全に自分の意思を楽器に伝え切れてはいないと思うが、トロンボーンを持てば、すぐに自分の神経とつながる感じがする。「寄生獣」のミギーみたいなもので、うまくコントロールできないが、装着するとつながった感じがする。

トロンボーンにより、かなり多くの人と出会った。高校や大学時代の友人も、概ねトロンボーンがきっかけだ。

妻は私がトロンボーンを吹いていたバンドのお客さんだった。平成元年にトロンボーンを選ばなかったら、彼女と出会うことはなかった、とすると、長男とも次男とも長女とも出会うことがなかった。姑とも出会うことがなかった。

別にトロンボーンやってなくても出会えた人もいるし、体験できたこともあるが、自分にとって平成とはなんだったかというと、「トロンボーン」だったということになるかと思う。

じゃあ自分はトロンボーンについてどう思っているのかというと、「ちっくしょーなんでこんな楽器選んじまったんだ」と思い続けて30年だ。ボタンじゃなくてスライド(あの長い伸縮する管)の位置を合わせなくちゃいけないから音程が安定しないし、速いフレーズも吹けない。トランペットみたいに派手な高音じゃないし、チューバみたく重低音でもない、中途半端な中低音だ。人と合わせないと音楽にならない。1人だとあんまり成立しない。絵的には伸縮するから派手だ。そんな、つかみどころのない楽器だ。

なので、この30年間、トロンボーンの延長線で、つかみどころのない、ふわふわした平成が過ぎていった。たぶんこれからもトロンボーンを吹くので、このままふわふわした令和を過ごすのだと思う。嫌だなあ。

以上、平成最後のお言葉でした。

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