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0213「老後の目標」

残念なことも重なって、なかなか精神状態が悪く、別に直接的に表に出すこともないがずっと頭に来ている。その上朝会った不動産ブローカーが信じられないほど横柄だったり、いろんなことがうまく行かず、どんどん気分が下降していく。健康で幸せな生活を送れているので十分なはずなのに、どんどん新しい欲求が生まれて、それが満たされないことにフラストレーションを溜めていく。人間が生きるということはつくづくポルノだな、と思う。

こういう日は、昨日に引き続き、好きなもの・ことについて書くに限る。

これはきっと、どこかの偉い先生とかが似たようなものを体系化して学問にしているのではないかと思ったりもするのだが、私は常々、コンテンツとかメディアとかデバイスみたいなものを評価する際に、独自のオレオレ学術をベースに評価している。

人間の感覚というのはいくつかチャネルがある、というか、触覚と味覚と嗅覚と聴覚と視覚がある。で、これらのうち別の感覚を使うものは同時に楽しむことができる。たとえば、ご飯を食べながら音楽を聴くことは可能だ。

音楽というのは私という人間にとって相当に大事な嗜好物だが、これはとても効率がいい。聴覚だけで済むからだ。つまり、音楽は、何かをやりながら楽しむことに親和性が高いし、集中したければ聴覚だけに集中するという自由がある。

映画というものがあんまり好きではないのは、2時間とか2時間半とかの長時間、視覚と聴覚の2つがフル拘束されることになるのが結構辛いからだ。テレビは拘束義務みたいのがないので非常に好きだが、やはり視覚と聴覚を持っていかれるので贅沢品だと思う。テレビを音を消してつけっぱなしにしておくのはすごく好きだ。あとやはり結構重要なのは、メインの知覚を使っているときの「負荷」という要素は重要で、たとえばKindleで本を読むときに、それがiPad Proだとでかいし重い、ただし字が大きくて見やすい。寝転がって読み続けるには辛い可能性がある。iPhoneだと軽いが、字が小さい。このへんはいろんな変数がトレードオフになっている。

これは普通に単行本と文庫本なんかにも通じるかもしれない。映画館だと寝っ転がれないし拘束される。テレビだと全裸で見ても構わない。みたいのも「知覚」のパラメータと「負荷」のパラメータの話になる。

で、このへんの話は別に何かの本を読んで言語化しているわけではないしそういう勉強をしたわけではないので適当なのだが、現代のように、知覚デバイスのバリエーションがたくさんある世の中においてはかなり面白い話で、突き詰めるとユーザー・エクスペリエンス総体の話になる。お化け屋敷とホラー映画のパラメータを比較して、お化け屋敷とホラー映画の中間にあるようなものは何か、とか考え出すとこれはなかなか楽しい話になる。世の中にはまだ発見されていない、この知覚と負荷の絶妙な配合みたいのはたぶん結構あって、スマートフォンみたいなものはそのへんをうまく研究すると発明できるもののような気がする。

上記のオレオレ学術の概念の中では、「知覚」と「負荷」と、あともう1つ「効果」(あるいは「薬効」)という概念があって、これはつまり、映画を見て感動する、とか、本を読んで勉強になる、とかそういう、知覚体験がもたらすベネフィットのことを指す。この「薬効」には、「サイズ」つまり、効果がどれだけ大きいか、と「持続性」つまり、その効果がどれだけ長続きするか、あと「中毒性」、どれだけリピートしたくなるか、がある、と勝手に脳内で体系化している。

このへんは個別に語りたいことは結構ある。この記事になんかすごい反応がたくさんあったらそのうちちゃんと体系化して書く。「負荷」にも種類があったりとか、「薬効」をインプットにして「知覚」や「負荷」に変化を与えるとか。なんか寝る前とかにこのへん考えてると、だんだんニューラルネットワークじみた世界になってくるが、実際に世の中の構造はそんな感じになっている気もする。

このオレオレ学術の話は書こうと思えばいくらでも書けるが、何はともあれ、自分にとってこの論理でいくと一番楽なエンターテインメントというのは何かというと、Wikipediaである。加えていえば、スマホでWikipediaを読むのが一番いい。

まず、Wikipediaは、視覚しか使わない。正確に言うと音声や映像なんかも上がっているが、基本視覚だ。読んでればいい。知覚効率がいい。次に、負荷が低い。単純にスマホで読めるというだけではなく、「読みたいものを探さずに、適当に始められる。そして無限につながる」という、参入障壁の低さがある。本なんかだと、本屋に行くとか、ネットで調べてアマゾンのレビュー見るとか、読みたい本を探すために準備が必要なので、そこに負荷が存在する。私がWikipediaを読む場合、アプリのトップに出てくるランダム記事から読み始めるか、あるいは後述する「一覧の一覧」から記事を辿っていくか。どのみち各々の記事中に貼ってあるリンクをたどって無限に、自分が興味がない項目について学ぶことができる。

しかも、自分の仕事の場合、いろんなプロダクトやサービスが対象になることが多く、どうでもいい知識というのが全体的に役立つので、それを学ぶことに寄る「薬効」が大きい上に、「持続性」が非常に高い。
そして繰り返すが、視覚しか使わないので知覚効率が良い。つまり、音楽を聴きながらWikipediaを読むことができるし、ご飯を食べながらWikipediaを読むことができる。「負荷」が低いので寝る前にWikipediaを読むことができる。強いて言えばタッチパネルを使うので、洗い物をしながらWikipediaを読むことができない。

世の中には本当に味わい深い記事を発見してアーカイブしていく本物のWikipediaジャンキーの方々がいるが、自分の場合はもうちょっと雑で、そういった方々が積み上げてきたものを享受したり、特筆すべき事のない記事を読み込んだりというスタイルだ。世の中にはもっとWikipediaの世界を掘り進んでいる先人がいるので、そういった人たちを差し置いて私が記事を紹介したりするのは本当に僭越なのだが、折角なので、自分にとって最も大事なWikipediaの記事を紹介しておく。

この「珍項目」には、人類の叡智とWikipediaの素晴らしさが詰まっているので、全ての項目を読まれると良いと思う。「エルデシュ数」とか、何度企画会議で出したかわからない。「チェスボクシング」なんかもすごく好きで、ブレインストーミングではわりと高頻度で言う。

あとは、もう少しカジュアルに自分と関係のない知識を吸収したい場合は、「一覧の一覧」から興味深そうな一覧を探して、その中から記事を探すと良い。適当にやっているだけで必ず良い記事に出会えるはずだ。

というわけで、ひどい気分のときは好きなもののことを書くと血行が良くなる。今日も書きながら、Wikipediaのことを考えながら、どんどん多幸感が増していって、心が穏やかになっていった。老後は高円寺とかでWikipedia喫茶をやりたい。

明日も精神状態が悪かったら、明日はたぶんアメリカ横断ウルトラクイズについて書く。

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