0427「ジャズ漫画とサクラエビ」

昨日は結局ひどい日記を書いた後におもむろに飛行機が飛んで、飛んだら飛んだでモントリオールからニューヨークは非常に近いので、1時間かからずにすぐに到着した。そこまでがあまりにダイ・ハードだったので、悪天候で引き返すとか、別のところに着陸するとか、そのくらいの覚悟はしていたが、飛んでからはスムーズだった。空港から乗ったタクシーの運転手さんが福建出身の方で、ちらっと福建の話をした。「土筍凍っておいしいの?」とか聞こうと思ったけどやめた。台湾にも稀に売っているのだけど、あれはおいしいのだろうか。いつも食う勇気が出ない。

以前この日記で「セッション」をdisったり(あの映画は本当に嫌いだ)、書くことがないから何か読んで感想を書いて欲しい本を教えてください、ということを書いてみたりしたところ、川村さんとかも含めて「『Blue Giant』についてどう思うの?」というのを頂いた。「セッション」をdisってるのは下記の記事だ。久しぶりに見たら、我ながら良いことを書いているじゃないかと思った。

「Blue Giant」は、石塚真一さんによる、「ジャズ漫画」だ。仙台出身のジャズサックスプレイヤーが、プレイヤーとして成長していくさまを描いた作品だ。

そんなわけで先日の長い出張の際に飛行機で読んでみたのだが、ああこれは真面目に書かないとダメだなあと思ったので、お休み中の日記のことなどあまり考えたくないタイミングで書くことはやめておいた。そうこうしているうちに、ニューヨークでミュージシャンをやっている日本人の友人がTwitterでこの作品の感想を書いていて、なんか普通にだいたい同じ感想だったので、これは敢えて自分の言葉で書くのもどうなのか、とか思い始めていたが、まあ書く。

あくまで自分にとっての話だが、この漫画は「セッション(whiplash)」の7650倍くらいは良い。「セッション」という映画は自分にとんでもない不愉快映画だったが、「Blue Giant」は、すごく共感するところも多い。ジャズというものと「自由」を結びつけているのは正しいと思うし、ゴールがない、再現性のない音楽であることもその通りだし、別に大人の音楽とかじゃなくて強くて尖ったものにもなりうるし、要するに何にでもなる感じというのも正しいと思う。あと、「私がジャズを好きなのは、全てを飛び越えられるから」みたいなフレーズにもぐっと来た。大事なことが描いてあると思う。細かいところでもグッとくるところがとてもたくさんあって、定禅寺ジャズフェスティバルなんか私も出たことあるので個人的にすごく懐かしかった。

総じてすごく良くできたジャズ漫画だと思うが、じゃあこれを繰り返し読むかというとどうかなーと思うし、続きが読みたいかというと、まあ、完結してから機会があれば、くらいな感じだ。すっごい良い話なのだが、まず1つは、ビバップというか、コルトレーンとかソニー・ロリンズとかそのへんに漂う古き良き形式のジャズをややみかん箱の上に置いていて、そういうんじゃない新しいことにチャレンジしている方向のものをちょっと亜流として描いているというか、「ジャズの王道」みたいな雰囲気が出てきちゃうところが辛い。

私にとっては、ジャズというのは前述のように自由なものなので、自由な世界に王道など無い。王道なんかあったら自由ではないではないか。だから極端な話、自分の中ではヘヴィーメタルでもミクスチャー・ロックでもステレオラブでも、あるいは柳家喬太郎さえも、もっと言うと、openFrameworksとかでさえも、オープンな心構えでつくられているものはジャズの前ではすべて平等にジャズであると思っているので、たまーに垣間見られるそのへんの「王道ドリブン」な感じは、奥歯にサクラエビが詰まったような感覚を催す。自由のことを描いているのに、たまに自由じゃない感じがする。しかし、漫画なんて、先日亡くなった小池一夫先生も仰っていたが、対立構造とかちゃんと描かないと面白くならないので仕方ないことだとは思うが、思いつつ、なンだかなあとは思う。

このへんがあって、この漫画はやや、ジャズ漫画というよりは、「ジャズ業界漫画」になっちゃっているところがあると思った。私はプロになったことがないので、あんまり業界のことはわからないのだが、まあ垣間見ることはある。私が学生時代、下北沢に「マサコ」というジャズ喫茶があった。大学が近所だったので、よく楽器の練習場から自転車で行っていた。そして、マサコの前に自転車を駐めておいたら左折してきたトラックに自転車をつぶされて泣いたこともある。「ホットコーラ」というやばい飲み物があった。

で、この「マサコ」は「王道」を大事にする古き良きジャズがかかっている場所だった。リクエストをすると、レコードを掛けてくれる。そして、この「マサコ」でパット・メセニーを掛けると何が起こるのかというと、みんな帰る。何回か実験してみたことがあったが、「王道」の人たちはパット・メセニーを忌み嫌っていることがあって、ほぼ間違いなく帰る。しかしパット・メセニーがジャズかどうかでいうと、それはジャズだろうし、「The Way Up」なんて、2005年の作品だけど、現在進行系の音楽として、全力で殴りに来ている音楽だと思う。

「マサコ」は、自分にとってとても懐かしい場所だが、なんかそこに見え隠れした謎のジャズ内ヒエラルキーみたいなものを「Blue Giant」にほのかに感じてしまった部分はある。

あと、友人も書いていた通り、主人公の「天才性」みたいなものが、日本の天才信仰を感じさせるところもなくはないが、この漫画の場合、主人公はどういう天才かと言うと、「この海で一番自由なやつが海賊王」的な、「一番自由なやつがトッププレイヤー」的な、フィロソフィーと結びついたものではあって、「響 〜小説家になる方法〜」みたいな、古来の価値観の中で謎の天才性を礼賛する「天才ポルノ」とは違うと思うし(あの漫画は本当に辛い)、それそのものは自分はあんまり気にならない。がしかし、この作品の世界もまた、天才ポルノ系にあるような、価値観の固定というか、主人公のプレイヤーとしての価値に対するオルタナティブがあんまり描かれていない世界ではあって、奥歯にサクラエビが詰まったような感覚はちょっとある。

ただしかし、「Blue Giant」は間違いなく「ジャズ良さそう」と人に思わせることができる漫画だと思うし、「セッション」みたいに、ジャズに対する恐ろしい誤解を与える害悪作品とはまた別のものだと思う。ので、奥歯にサクラエビが詰まったような感覚はあるが、良いものだと思う。が、奥歯に詰まったサクラエビが取れたときって気持ち良いなと思うし、完結して飛行機で読むものがなかったときなどにまた読むのかも知れない。サクラエビが取れていると良いなと思う。

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