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0720「発信あたり」

昨日は家族が外出していたので、初めて、湯乃泉・東名厚木健康センターに行った。古い施設なので少し敬遠していたが、全体的に、日本の素晴らしい健康ランドを精一杯体現していて、素晴らしいとしか言いようがなかった。

施設に入ると、なんかもうすごい多幸感を増幅させる揚げ物の匂い。ちょうど良い温度と湿度のサウナ、ちょうど良い温度の水風呂、すぐに出れる外気浴スペース、有名な爆風ロウリュ。座椅子と座布団使い放題で、ゴロゴロしながら相撲が見れる畳の休憩所。誰でも壇上でカラオケを楽しめる宴会スペース。特製メンマを食いながら酒を飲む。これは完全に日本人の故郷だ。ゴロゴロしているうちに、炎鵬が勝ち越して泣いていた。

これは総合的な体験としてはサウナしきじに次ぐ程度に素晴らしい場所なのではないか。草加と相模大野にも系列店があり、そっちはさらに良いと聞くが、一体どこまで良いのか。

その過程で、日本にいるなりに、宮迫さんの会見とか、レペゼン地球とか、いろいろなものを目にしてしまって、いろいろ考えてしまうが、私などが何か言っても、茂木さんとかヤフコメみたいな毛の生えない何かになってしまうので、何も書く気がしない。と思ったら、案の定茂木さんが、吉本の件について特に何の考察にもなっていないことを書いていて、iPhoneのタッチスクリーンに向かって壮大に顔をしかめてしまった。別に言うことないなら、何も思いつかないのなら何も言わなければいいのに、と思ってしまうが、よく考えたら私も書くことないのに空間を埋めるようなスカスカの文章と昨日行った健康ランドのレビューを書いているわけで、「ああ、茂木さんはこういう気持ちで、いつも何か発言しなくてはいけない強迫観念に追われているのか」と思って、妙にシンパシーを感じ始めてしまった。そうか。茂木さんも大変なんだな。

自分は去年の11月にこの日記を書き始めて、書くことがある日もない日も何かを書いてきたが、最近いろんな人に「読んでますよ」と言われるというか、話のきっかけとして確かにすごく機能していて、良い部分もあるが、これはそれ以上に、一度書くと決めてしまって、空間を埋め続け無くてはならない、という病気のような気がしていて、どうしてもこの日記の話になると苦笑いしてしまうところがある。よく話すのが、クオリティの低い文章でもなんでも、とにかくひたすら毎日アウトプットすることが、クオリティの高いコンテンツを長い間磨いて満を持して公開するよりも受け入れられてしまう現代というものをある程度身を持って知れたのが、このコーナーに文章を書いてきて一番良かったことだ。今の時代、なんでも良いから空間と時間を埋めて、つながりが切れないように音を出し続けることは恐らく価値なのだ。

毎日いろんなニュースがあって、ネタが供給され毎日それに対して、ワーッといろんな人がいろんなことを発信する。それは、インターネットというものが始まった時に具現化した、発信がみんなのものになった素晴らしい世界の絵図ではある。

昨日、健康ランドで「お湯に入りすぎると、湯あたりするので気をつけてください」という張り紙を見た。この自由なインターネットの海で発信をし続けていると、湯あたりならぬ、「発信あたり」みたくなってしまう。そしてみんな発信あたりして書かなくて良いことを「吐き出」してしまう。ちょっと書いたことがバズったりすると、それが気持ちよくて発信したくなっちゃうのもわかる。しかし、特に自分から湧き出てこないようなことをひねり出す必要はない。だから私は、いろんなニュースが目の前に並べられて何か書きなよ言いなよ、と迫られるような誘惑に負けず、温浴施設と相撲について書く。

今日は千秋楽だ。照ノ富士の7番相撲だ。照ノ富士がんばれ。

みんなにも読んでほしいですか?

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