見出し画像

1028「アンチ・グローバル化」

昨日もわりと夜まで対応が続いてしまって、その後なんだかんだあって、4時就寝、7時に起きてMTGだったので、立派に忙しいアピールができるような感じになっている。その後、週末通しての心配ごとであったニューヨークのポスター美術館の常設サイネージのハードウェアトラブルを修理しに、半田ごてを持って現場に行く。これが幸いなことに配線をネジで止めている部分がゆるくなっていただけで、ガッチリ締めたら治ったので、とても気が楽になった。

その他、多少気が楽になるできごとはありつつ、結構な睡眠不足なので、修理作業が終わって、美術館の近くで作業をしていたら、あまりの眠さにその場で落ちそうになってしまった。

昨日、紀伊国屋書店に行ったときに、後で面白そうな本をKindleで買おうかなということで、平積みになっている本の表紙を撮影しておいた。

その中から谷本真由美さんの「世界のニュースを日本人は何も知らない」を買って読み始めてみた。よくよく見てみるとこの谷本真由美さんって、Twitterでたまにみかける「めいろま」さんのことなのだなと理解した。わりと出羽守的なアプローチの文章が多い印象があったから書名には納得したが、実際問題、日本の民放を中心として、他国ではゴシップとして扱われるようなわりとどうでも良いニュースが普通のニュースでフィーチャーされがちで、国際的な事件はあまり話題に上らないというのは確かにそうだよなあと思う。

あと、日本人が、海外での話題にあまり興味がないというのもわりとそうである気がする。が、具体的には、私の感覚だと「外国人の発言に興味がない」という傾向がすごくある気がする。理由はいろいろあるような気がする。どうしても外国人の言葉を日本語に翻訳すると、翻訳っぽい感じになってしまうとか。そもそも外国人に触れる機会が少ないからどうしても相手を彼岸化しすぎて、異界の存在としすぎてしまうのかもしれない。

逆に、日本人が主語になっている海外の話題はそこそこ受け入れられる傾向にある感じがする。

私は、海外に移住する前から業界専門誌とかに文章を連載しがちで、移住してからもいろんなところからお声がけを頂き、「海外がらみ」の文章を書かせて頂いた。

その中でも恐らく一番「バズった」のがニューヨークに来てわりとすぐに書かせて頂いた下記の記事で、この記事は宣伝会議のアドバタイムズの年間で一番読まれた記事とかになったはずだ。このシリーズは結構読まれてくれて、毎回そこそこ話題になった。

あとこれとか。

このへんは、私という「日本人」が、日本人として書いているからたぶん飲み込みやすくなる。一度日本人のフィルタを通している内容だから、特にディスアドバンテージはない。

ところが、書き手が日本人であっても、その対象が単純に海外のカルチャーだったり、海外で起こっていること、主語が外国人とかだと、突然話が「あっち側」の話になってしまって、内容が「翻訳もの」の遠い世界で起こっているような自分と関係のない世界の話として興味の対象から外れてしまうようなところがあるような気がする。

数年前、痩せていた頃に、自分の英語の学習のために、ニューヨーク周辺のクリエイティブ関係の知り合いにインタビューして回ってその人の言っていることを整理して伝える、みたいなことをやっていた。英語でインタビューして後でテープ起こしとかをやると、自分のクソ英語を強制的に何度も聴き直すことになるので、つらい思いに対して、とても英語力が上がる。

この連載が、全く受けなかった。登場してくれた人たちは、概ね結構すごい人たちなのだが(ジョン前田師匠までいる)、たぶん話者が日本人じゃないから、話が「あっちの世界」になってしまっていたのかもしれない。のと、内容が「日本」とそこそこ接点がなくて、つかみどころがなくなったからなのかなと思う。これの後、外国人のインタビューをやって起こしたりする際は、わりと日本の読者との接点・関係をどうつくるかを考えるようになった。たとえば「海外ではこういう人がこういうことを言っている。日本では・・・」とか、「日本ではこういうことになっているが、海外では・・・」みたいな言い方をすると、どうにか人の興味に引っかかりやすくなる気がする。

先述の谷本さんの本には「日本は島国なのだ」という論旨が出てくるが、それはもう仕方がなくって、たとえば子供の頃「ゴースト・バスターズ」なんかを映画で見た際、そこに映っているニューヨークの街というのは古びていて、まったく親しみが湧かなくて、結局「ゴースト・バスターズ」は、自分が知らない想像上の国で繰り広げられているファンタジーとして受容されてしまう。

ところが、ニューヨークに引っ越して生活してから「ゴースト・バスターズ」を見ると、実はこの映画が「あっちの世界」のファンタジーではなくて、リアルに存在するニューヨークの街「こっちの世界」に、ゴーストという非日常が襲来する物語であるということに気付かされる。いや、もともと設定はそうなのだが、どうしても日本育ちの日本人の子供であった私にはその世界が現実世界だとは思えていなかった。当時の日本人の子供にとって、ニューヨークなんて「秘境」だったのだ。そう考えると、それはそれで面白い話に思えてくる。

「インターネットによってグローバル化が進み〜」みたいな話も本の中に出てくるが、グローバル化っていうのは、自分たちにとっての「秘境」が減っていくということな気がする。秘境が多いのは総合的なQOLとしては楽しくて良いのではないか。そう考えると、少子高齢化で超やばい現状ではあるが、本当にやばくなってケツに火がつくまでグローバル化せずに、アンチ・グローバルを楽しむのも良いのではないか。

みんなにも読んでほしいですか?

オススメした記事はフォロワーのタイムラインに表示されます!