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0611「食いつめもののブルース」

ニューヨークに戻ってきた。飛行機に乗る前、もはや完全に体調が崩れていて、毛布を身体に巻いてマスクを装着し、寝て起きて着いて、子供にお土産を渡して、ゴロゴロしていたら、なんかだいたい治った。我ながら、完膚なきまでに東京ニューヨーク間の移動に慣れきっている。東京がひどい雨で、無駄になるかなーと思って仕方なく買ったビニール傘だったが、ニューヨークも結構な雨だったのでそのまま使うことができた。最近の出来事で一番良かった。

離陸直後くらいに、とても珍しいことに飛行機で映画を観た。そもそも映画をそんなに見ない人だし、飛行機で映像を見ない人なので、輪をかけて珍しい。何を観たかというと、「翔んで埼玉」を観た。埼玉県人が東京都民に差別されるさまを面白おかしく描いた、漫画が原作の作品だ。これは、生まれた土地による差別の大げさなカリカチュアライズで、「そんな大げさな笑」という楽しみ方が正しいのだろうし、そういう意味ですごく面白かったのだが、これの原作が発表されたのが昭和58年とかであることを考えると、部落差別や在日韓国人差別はもっともっとひどい形で顕在化していた時期だと思うし、そもそも原作に出てくる「埼玉県解放連盟」という団体は、そのへんを下敷きにして描かれているのだよなあと思う。ハンセン病患者の差別なんかもたぶんそうで、悪名高い「らい予防法」の廃止は平成に入った1996年なので、「翔んで埼玉」が生まれた時代にはまだまだリアルな話だったともいえる(この時代には小学校低学年だったのでリアルな空気はよく知らないけど)。

さらにさらに言うと、「翔んで埼玉」が描かれた当時は南アフリカではまだ全然アパルトヘイトの時代だし、ここで描かれている埼玉差別以上にとんでもない差別が同時進行で存在していたのは事実だ。

そう考えると、今の時代においてはこれは「茶番」として楽しめるものなのかもしれないが、当時においては結構ガチでメッセージを持った何かだった可能性すらある。なので、こういうものを純粋なエンターテインメントとして楽しめる良い時代になった、ということでめでたしめでたしなのかと思いきや、こういう「生まれた場所による格差(扱いの違い)」が横行している場所は、まだ結構身近に存在している。

というのを私もあんまり知らなかったのだが、以前、この本を読んだときに中国の戸籍問題というものが相当に出生地依存で、重い十字架になっていることを知った。実際、上海に行って最新技術や未来都市の一端に触れても、ちょっと郊外に出ると、この本に描かれているような地方出身者のリアルのようなものをすぐに目にすることができる。

この本はすごく勉強になった。今の中国の発展とか、その裏にある戦略とかを考察する意味でも読むといろいろわかる感じがする。で、もしかしたら中国の人たちは「翔んで埼玉」を観てもリアルすぎて笑えないんじゃないかと思った。ここに描かれている「都会籍」の人々と地方生まれの「農民工」の人々の格差たるや、正直なところまるで、「翔んで埼玉」のようだ。

映画「翔んで埼玉」は、エンターテインメントとしてとても楽しかったので、全くこれを否定しないし、これで良いと思うのだが、一方で人間は放っておくとこのくらいの状況は余裕で作り出すよなあ、とか思うし、そこで考え込んでしまう自分は損だなあとも思う。

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