今更すけべ怪談の話をする
彼は何でも目に見える形で残したがる人でした。日記を書く、逐一写真を撮る、それだけに留まらず、デートで行った映画の半券、レストランのレシートなども欠かさず保管し、撮った写真も定期的に現像しているようでした。
彼のそういった性情は、ベッドの上──セックスの際も同様でした。首筋、背中、腕、乳房、お腹、ふともも、内股……私の体はキスマークや歯形、いわば彼が私を抱いた「あと」で埋め尽くされていました。
嗜虐心、ではないように思います。彼は私の反応というよりはむしろ、私の体へ「あと」を残すこと、また「あと」の残った私の体を見て興奮しているようでした。
私はそれが嫌ではありませんでした。平生は内気で口数も多くなく、感情表現の得意でない彼が、激しく私を求め、執拗に口付ける様に内心興奮していました。「あと」を残したがる、私はそれを独占欲の表れだと解釈しており、彼のむき出しの感情や欲望を一身にぶつけられているようで、嬉しくもあったのです。
しかしある日、彼は行為の際に「あと」を残すことをしませんでした。そんなことは今までに1度もなかったので、今日はキスマつけなかったね、と尋ねてみたのですが、そういう気分だっただけ、とはぐらかすような口吻で言うばかりでした。私は少し不安になりました。先述の通り、私は彼のそういった行動を愛情表現として捉えていましたから、それをしなかったということが、私への愛情が薄れたのと同義に思えたのです。ですが、それ以上に私が嫌だったのは、単純に物足りなかったということです。皮膚が強く吸われて圧迫される感覚、血の出ない程度に歯が食い込む感覚、彼の荒い鼻息が肌を撫でる感覚……それらは私の中で性感と完全にリンクしていました。それらがないと最早十分に満足できない体になっていたのです。
それから5日程経ち、彼の家でデートをすることになった日です。彼の部屋へ上がると、宅配業者のロゴの印刷された段ボールが、丁寧に畳まれて隅へ置かれているのが目に入りました。
「何買ったの?」
と何の気なしに聞きましたが、
「ん?ああ、まあ、ちょっとね」
と言ったきり、その荷物について話しませんでした。そこまで気になったわけでもないので、私もそれ以上は追及しませんでした。
それからは、2人でゲームをしたり、映画を見たり、いわゆる普通の家デートの時間が続きました。
夕飯を食べ終え、それなりに夜も遅くなり、弛緩した空気の流れ出した頃、ベッドへ腰掛けていた彼は、自分の隣をポンポン、と叩き、私を誘いました。隣へ座ると、彼は私の首筋をそっと撫でました。彼が一際強く「あと」を残した場所でした。
「意外と早く消えるもんだね」
そう呟いた彼の唇に、私はゆっくりと口付けました。
その日も、彼は私に「あと」を残しませんでした。物足りなさを感じながら、果てた彼のモノからゴムを外し、それを捨てようとゴミ箱の中を見遣ると──
『はんだごて』
ぐしゃぐしゃに丸められた紙片にそう書かれているのが見えました。
ああ、彼は待っていたんだ。「跡」が消えるのを。
消えない「痕」を残すために。
ちなみにその後彼とはすぐに別れたので何の痕も残らず済んだのですが、その代わりに噛まれたり強く吸われたりしないと感じないという癖だけが残りました。
──という話を力一さんの配信「すけべ怪談四十八物語」に送った。残念ながらアーカイブは見られなくなってしまったが、採用されたのはとても嬉しかった。
記憶が間違っていなければ、「すけべ怪談四十八物語」は2021年に初回が配信され、それから一昨年、昨年、今年と計4回行われている。私の書いた話が採用されたのは今年が初、というか初回に送った話の不採用になって以降今年まで送っていなかった。理由は単純明快で、単に私のホラー・怪談ジャンルの引き出しの乏しさ故である。初回に関しては試しに送ってみたが、本配信を聞いて「ああ、私にゃ無理だ」と思い、送るのをやめた。
では何故今年は送ったのか。最近になってホラーに触れるようになったとかいうわけではない。引き出しの増えた実感もない。ならば何故今年になって急に心が変わったのか。
結論から言おう。わからん。
投稿フォームの締め切り当日、ふと「何か書いてみよう」と思い立った。それだけである。
今になって考えてみると、おそらく私が「自分には書けない」と思っていたのは幽霊や心霊現象を題材にしたものであり、いわゆる「ヒトコワ」のジャンルは書けないこともなかったのかもしれない。あるいはラーメンズのコント内のセリフ「誰でも一生に1本くらいは面白い物語が書ける」、その1本が私にとってはこれだったのかもしれない。
とはいえ、これは「書けた理由」であって「これまで書けないと思っていたものを書こうと思い立った理由」ではない。何だろう。眠かったのかな。フォームが開いていて、今日が締切日、それで条件反射で「何か送んなきゃ」って思ったのかな。
だが、眠かったにしてはこの話を考える過程の思考は頭に残っている。
最初は「はんだごて当てようとしてくるヤツいたら怖いかな」くらいの思いつきだった。あとはできるだけ自然に──あくまでも話の流れ上という意味で──「はんだごて」へ持っていけるように作った。
改めて振り返ってみると「はんだごて」を思いついて以後のロジックは説明できてもゼロから「はんだごて」が出てきたロジックがないな。怖。やはり眠かった、というのは正鵠を射ていたのかもしれない。
来年以降「すけべ怪談」の配信があったとしても、私は投稿するかわからない。投稿する気概があったとしても、いい話を思いつくかはわからない。だから尚更、今年送ってよかったと思うし、採用されたのが嬉しい。少なくとも配信から暫く経った今になってこれについて話そうと思うくらいには喜んでいる。
そういえば、私と松本乱菊の身長体重が同じであることが判明したよ。
ここまで読んでくれてありがとう。